電脳筆写『 心超臨界 』

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( H・ジャクソン・ブラウン・Jr. )

般若心経 《 「如是我聞」の不思議――松原泰道 》

2024-09-12 | 03-自己・信念・努力
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「如是我聞」は、釈尊が亡(な)くなった直後、遺(のこ)された弟子たちが釈尊の教えを確認しあい、伝えていくために、編集会議ともいうべき「結集(けつじゅう)」の場で、「このように私は聞きました」と、お互いに耳で聞いた体験を表現した言葉です。釈尊の滅後の弟子たちは感激も新たに、おそらくは涙を頬(ほお)に流しつつ“私はこのように教えていただきました。私はかくかくに承(うけたまわ)りました”と語りあったことでしょう。


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p52 )
1章 自らを光とせよ――般若心経を本当に理解するカギとは

◆「如是我聞(にょぜがもん)」の不思議

一例として、多くの経典のはじめにある「如是我聞(にょぜがもん)(このように私は聞いた・私が聞いたところによると)」の意味を、あらためて学びましょう。

「如是我聞」は、釈尊が亡(な)くなった直後、遺(のこ)された弟子たちが釈尊の教えを確認しあい、伝えていくために、編集会議ともいうべき「結集(けつじゅう)」の場で、「このように私は聞きました」と、お互いに耳で聞いた体験を表現した言葉です。釈尊の滅後の弟子たちは感激も新たに、おそらくは涙を頬(ほお)に流しつつ“私はこのように教えていただきました。私はかくかくに承(うけたまわ)りました”と語りあったことでしょう。

この言葉は、釈尊入滅直後に編纂(へんさん)された原始経典にあって、はじめて意味があるのです。しかし釈尊入滅の後、それも数世紀も後に編まれた「大乗仏教」と呼ばれる経典の冒頭にまで、なお「如是我聞」とあるのは、理解できないと考える人がいても当然です。

この点を仏教学者は、釈尊が入滅するとき、多聞(たもん)(釈尊の教えを一番多く聞きよく知っている)第一の弟子の阿難(アーナンダ)に遺した「すべての経典の初めにこの語を置いて、他の教派の経典と区別するようにせよ」との釈尊自身の言に基づくとします。しかし異説もあります。

現代のある翻訳者は、史的事実との矛盾を緩和しようとしてか、「伝えるところによると」と意訳します。

あるいは進んで、次のような見方もあります。

すなわち「(後世の)仏教徒が勝手に作り上げたと一見してわかるものを、どうして釈迦の言説としたのか。あつかましいといえよう。この点についていろいろと理由が考えられるが、その一つに、インド人は歴史というものに関心が薄かったからだと考えられる。インドには歴史書がないといわれるが、全般的に歴史の世界を超えて、目を広大・無辺なかなたに注いだということは事実だ」と実証的に解説します。
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