goo blog サービス終了のお知らせ 

電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

不都合な真実 歴史編 《 アメリカの助力で誕生した中国共産党政権――馬淵睦夫 》

2025-04-03 | 05-真相・背景・経緯
20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■超拡散記事『十倉経団連の「選択的夫婦別姓」は戸籍廃止を目論む中国政府の意向』【「水間条項」国益最前線ブログ】
■国内外に拡散宜しく『安倍晋三ファン必見10連発動画』
■超拡散記事『上限の無い特定技能外国人(移民)に認めるバス運転手・鉄道運転手に貴方の命を預けられますか!』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


中華人民共和国成立の立役者はアメリカのジョージ・マーシャル将軍です。マーシャルは陸軍参謀総長として、第二次大戦のアメリカ軍を指導した英雄ですが、なぜか大戦終了後国民政府軍と共産党軍の間で内戦が開始された中国にトルーマン大統領の特使として派遣されました(1945年12月から47年1月)。マーシャルは蒋介石に対して何と共産軍に対する戦闘の停止と共産党との連立政権を要求しました。


◆アメリカの助力で誕生した中国共産党政権――馬淵睦夫

『ディープステート 世界を操るのは誰か』
( 馬淵睦夫、ワック (2021/6/20)、p92 )

第二次大戦はアメリカに率いられた民主勢力連合国が日独伊のファシズム枢軸国を破った正義の戦いだったというのが世界共通の教科書的認識です。しかし、彼ら連合国、特にアメリカは、ならば民主主義連合が勝利したはずなのに、何故中国に共産主義独裁政権が誕生したのか、アメリカは本当に勝ったと言えるのか、という素朴な質問には現在に至るも答えられないのです。アメリカは毛沢東の共産主義勢力を過小評価してきた、毛沢東に騙された云々、と耳に胼胝(たこ)ができるほど聞かされてきました。正しい答えは、アメリカは第二次大戦中から蒋介石の国民党ではなく毛沢東の共産党を支援して、中国を共産化するために日本と戦ったと言うことです。もちろん、このような回答では大学入試に受かりません。大学の先生方は、何かを隠しているのか、あるいは真実に無知なのか、どちらなのでしょうか。

既に、この間の真相は様々な機会に明らかにしてきましたので、本稿では簡単に触れるに留めますが、結論を一言で言えば、中華人民共和国はディープステートが意図的に作ったということです。アメリカが作ったというと理解不可能になりますが、ルーズベルト大統領やトルーマン大統領の背後にいたディープステートが毛沢東を支援していたことは、これまで本書を読んでこられた読者の方々には理解されるのではないでしょうか。

中華人民共和国成立の立役者はアメリカのジョージ・マーシャル将軍です。マーシャルは陸軍参謀総長として、第二次大戦のアメリカ軍を指導した英雄ですが、なぜか大戦終了後国民政府軍と共産党軍の間で内戦が開始された中国にトルーマン大統領の特使として派遣されました(1945年12月から47年1月)。マーシャルは蒋介石に対して何と共産軍に対する戦闘の停止と共産党との連立政権を要求しました。民主主義国のアメリカが一緒に日本と戦った国民政府に対し共産党との連立政権を要求すること自体蒋介石の理解を超えていたことでしょう。

もし、蒋介石がこの要求を拒否すれば以後アメリカは蒋介石を支持しないと脅迫しました。なかなか応じない蒋介石に対し、マーシャルは軍事援助を停止しました。実は蒋介石はこの時点で満洲において共産党軍に壊滅的打撃を与えていたのです。しかし、アメリカの支持を失えば、政権維持は不可能です。蒋介石は共産党軍との停戦に応じましたが、苦渋の選択だったと同情したくなります。

停戦には同意したものの、共産党との連立政権の要求は蒋介石として最後まで飲むことができませんでした。これは当然のことで、共産党との連立政権は中国共産党の背後にいるソ連共産党に乗っ取られることを意味します。いわゆる人民戦線方式の歴史を知っていれば、共産党との連立の結末は明らかなのです。マーシャル特使があくまで共産党との連立に拘ったわけは、マーシャルの背後にいるディープステートが中国を共産化しようとしていたことを証明しています。このようなマーシャル将軍の態度に不信を持ったのが、終戦末期の1944年10月に中国方面アメリカ軍総司令官及び蒋介石の参謀長となったアルバート・ウェデマイヤー中将でした(1946年4月まで)。

ウェデマイヤーは前任のスティルウエルが共産主義者に融和的で蒋介石の怒りを買って更迭(こうてつ)された後を襲ったのですが、ウェデマイヤーは共産主義の脅威を正しく理解していました。彼は回想録『第二次大戦に勝者なし』(講談社文庫、1997年)の中で、ヒトラーよりもスターリンの方が危険だと指摘しています。第二次大戦の大義である、ファシズムを打倒するためにアメリカが共産主義ソ連と組んだことに疑問を持っていたのです。その意味で、ウェデマイヤーはディープステートとは一線を画していたと言えます。

ウェデマイヤーは、中国に派遣されたマーシャルは大戦での戦争指導などで疲労困憊していたから、中国情勢を的確に把握することができなかったと軍の先輩を立ててはいますが、彼のマーシャル評には厳しいものがあります。アメリカは蒋介石を支援すべきであり国民党と共産党との妥協を図ることは不可能であるとマーシャルに進言したウェデマイヤーは、中国のすべての犯罪を蒋介石の所為(せい)にするマーシャルとは意見が衝突しました。しかし、マーシャルは蒋介石に民主的な改革を行うよう圧力をかけるとともに、あくまで共産党との連立政権にこだわり続けました。ウェデマイヤーはマーシャルが共産主義に無知だったとして、アメリカ国内の共産主義融和勢力である国務省を強く批判しています。マーシャルが国務長官に就任するため中国を去ったのが1947年1月ですが、この頃には劣勢だった共産勢力が力を盛り返していたのです。

マーシャルが共産主義者との連立に拘泥したのは、必ずしも彼が共産主義の脅威に無知であったからではありません。国務省や国防省統合幕僚会議は中国内の紛争において米軍は中立を維持すべきであり、アメリカの対中援助は国民政府が共産側と妥協するか否かにかかっているとの姿勢で一貫していました。裏返せば、蒋介石ではなく共産主義勢力を支援する方針であったのです。

ウェデマイヤーにもう一度巻き返すチャンスが訪れました。1947年の7月から8月にかけて中国使節団を率いて中国の実情を視察することになったのです。視察後、ウェデマイヤーは大統領に蒋介石の国民政府への援助を勧告する報告書を提出しました。ところが、この報告書はマーシャル国務長官によって公表が禁止されたのです。理由は言うまでもなく。国務省が対中援助の条件として、アメリカと中国共産主義者の双方から民主的とみなされる中国政府の樹立を要求したからです。要するに国務省の対中政策を牛耳(ぎゅうじ)っていた共産主義者などの容共勢力の姿勢は、中国政府が民主的であるかどうかは中国共産党が決めるというに等しいのです。アメリカが中国に共産主義政権を樹立する決意であることが改めて証明されたわけです。このような国務省に侵入していた共産主義者たちこそ、2018年の中間選挙遊説中にトランプ大統領がディープステートとして非難した特定の利益を代弁する官僚群の先駆けと言えます。

なお、ウェデマイヤーの中国におけるもう一つの重大なミッションは約400万人の日本軍人と在留日本人の本国送還オペレーションでした。中国共産党に厳しいウェデマイヤーのお蔭で、共産勢力の妨害や混乱もなく日本送還が終了したことについて、私たちは感謝しなければならないでしょう。

ところで、なぜ蒋介石は日本との和平に応じず戦い続けたのか、最終的に毛沢東に敗れることになったのは、自業自得ではないかと言いたくなります。日本政府はいわゆる盧溝橋事件以来、とりわけ首都南京攻略を目前にした第二次上海事件後、幾度も和平を提案しましたが、些細な難癖をつけて応じなかったのは蒋介石でした。もっとも、ポーランドとヒトラーの交渉の例で見たように、蒋介石の背後であくまで日本と戦うように圧力をかけていたのはアメリカでした。戦後にアメリカ国内の各層に浸透していた共産主義者を暴いた「赤狩り」を主導したジョセフ・マッカーシーは、首都南京を追われて重慶にまで逃げ延びた蒋介石にあくまで日本と戦うよう圧力をかけたのはアメリカだったと、『共産中国はアメリカが作った』(成甲書房、2005年)で告白しています。

アメリカが蒋介石にあくまで日本と戦うよう圧力をかけ続けたのは、共産党政権を樹立するために障害となる蒋介石の国民党を対日戦で疲弊させる必要があったわけです。蒋介石もアメリカの魂胆を読み誤りました。蒋介石が政権を取った頃は、夫人の宋美齢(そうびれい)ともどもアメリカで中国民主化のリーダーとして大歓迎を受けて有頂天になっていたのかもしれませんが、毛沢東政権樹立を目指すアメリカの隠された意図をおくびにも出さず蒋介石を騙して日本と戦わせたディープステートの巧妙な戦術はまさに青天の霹靂(へきれき)だったことでしょう。

話をマーシャル将軍に戻しますと、このような人物が第二次大戦や米ソ冷戦開始後のソ連にとって得難い人物であったことを窺わせるのが、グロムイコ外相の回顧録です。グロムイコは『グロムイコ回想録』(読売新聞社、1989年)の中で「ジョージ・マーシャルは戦時中の軍、政界における有力者だった。彼の重要性は、テヘラン、ヤルタ、ポツダムの各会談に参加した事実から分かる。政府は戦後も彼の権威を当てにした」とマーシャルを評価しています。この戦後の権威の中に、中華人民共和国設立に際してのマーシャルの役割が含まれているように解釈されます。しかし一方で、ソ連にとってマーシャルは国務長官時代に共産化防止のためにヨーロッパ経済の復興に対する援助計画、マーシャルプランを立ち上げ、ソ連の脅威に軍事的に対抗するNATO創設に主導的役割を果たしたにもかかわらず、グロムイコは「マーシャルには外交官のモーニングコートも軍服もよく似合ったようだ」とほめているのです。

ソ連がマーシャルをあてにしていたことは、マッカーシーも指摘しているところです。マッカーシーは前掲書の中で、スターリンもマーシャルを称賛していたことを当時のバーンズ国務長官の著書『率直に語る』(中部日本新聞社)を引用して、「スターリンは中国問題に決着をつけられる人間はマーシャル以外にいないと言った。スターリンは正確にはこう言ったかもしれない、自分が満足できるようにと」と述べています。

この一節からも、中華人民共和国建設の秘密が窺われます。アメリカのディープステートの代理人ジョージ・マーシャルがソ連のために毛沢東が勝利するよう図ったということです。ディープステートとソ連の利害は一致していたのです。既述の通りソ連をディープステートが作ったことを考えれば、それは当然のことです。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 従軍慰安婦という嘘 《 「歴... | トップ | 不都合な真実 《 新聞に書か... »
最新の画像もっと見る

05-真相・背景・経緯」カテゴリの最新記事