電脳筆写『 心超臨界 』

リーダーシップとは
ビジョンを現実に転換する能力である
( ウォレン・ベニス )

差別と平等とのバランスが保てて、はじめて安定する――松原泰道老師

2007-01-21 | 03-自己・信念・努力
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「法華経入門」 NON BOOK、p75
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先に、仏の知恵による自覚を「仏知(ぶっち)」と申しましたが、仏の知恵とは空(くう)を知る知恵です。空を知る知恵を般若(はんにゃ)の知恵と申します。般若の知恵は、何ものにも一切執(とら)われないはたらきをいたします。よって仏知とは、無執着の知恵のはたらきのことです。

さらに、仏知は「仏知仏見(ぶっちぶっけん=仏知見とも)」と展開されます。仏見は、仏の知恵による見方です。自分が見るという自分にも執われないようになると、見るのではなく「見えてくる」ようになります。目だけではありません。耳も同じです。自我がなくなると、聞くのではなく「聞こえてくる」ようになるものです。よって仏知仏見とは、人生を見る正しい見方(正見(しょうけん)という)を知る目が開けることです。法華経は、釈尊がこの世に生まれ出た本意とは、このような仏知見を、人々に「聞かせ・示し・悟らせ・入らしむ」ため、とします。

出世の本懐を言い換えると、釈尊の“生きがい・生きる目的”となりましょう。したがって、法華経の「出世の本懐・一大事因縁」の項を読むときは、私たちは自分自身に引きあてて、何のために人間に生まれて、何を目的に働くのかと、自分自身を見つめて読むのが、本当のお経の読み方です。ここでいう「因縁」はむずかしく考えずに、軽く「わけあい・かかわりあい」と受け止めればよいでしょう。

現代の社会は、平等と差別とのかかわりが、あらゆる組織のもとになっています。平等一辺倒では、社会は無秩序状態になるし、差別感情が強くなると、排他的になるでしょう。私たちは、部屋の戸障子などの立てつけが悪くて音のするのをガタピシと申します。ガタピシは、仏教用語の「我他彼此見(がたぴしのけん)」の転用で、我(われ)と他人・彼(かれ)と此(これ)と対立差別する意味です。敷居(しきい)と建具、ヨコとタテの関係がうまくいかないと、戸の開け閉(た)てにガタピシと騒音を発します。このことは、ひろく家庭や社会の人間関係にも通じる事実です。

人間はもとより、あらゆる存在は差別と平等とのバランスが保てて、はじめて我他彼此(がたぴし)することなく安定できるのです。我と他人、彼と此とが、いわば相互乗り入れ(入我我入(にゅうががにゅう))するはたらきが、「入(にゅう)」といえましょう。

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