古代社会と奴隷――西尾幹二教授

古代には古代人に特有の観念があり、価値観があった。それを今から簡単にどうこう言うべきではないという慎重さと、見えない遠い世界への“畏れ”の意識があったなら、それだけでも、あんな薄っぺらなばかばかしい記述は、恥しくて書けないであろう。日本の教科書でおかしいのはなにも近現代史に限っていない。すでに古代史からして滅茶苦茶である。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


メルマガ『心超臨界』今週のハイライト

今週配信しましたメルマガ『心超臨界』のハイライトをお届けしています。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


自分も周囲も幸福にできる人間――ウエイン・W・ダイアー

このようにダイアーの思想を見ると、それは恐ろしい、わがままな思想ではないかという心配が読者に起こるのではなかろうか。しかし、ここに一つのパラドックスが起こる。それは一種の性善説に対する信念と言ってもよいのであるが、もしもわれわれが自分で選択した人生を送る覚悟を決め、生きているのは現在なのであるということを反省する機会を持つと、そこに必然的に自己実現ということが起こる。自己実現が進むと、そこに当初予想しなかったことが起こってくる。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


向坂逸郎――「いまに、中国から解放軍がくる」という証言の意味するもの

ゆえに進歩的文化人の言説は、大きくわけて次のような二通りの道筋をたどりました。第一に比較的おっとりした論理型は、自分が社会主義・共産主義にどれほど深い共感を抱いているかを一生懸命に弁じたてました。第二に、もっとなりふりかまわぬ熱烈な情念型は、ひたすらモスクワ政権と北京政権と平壌(へいじょう)政権におべんちゃらの限りをつくして持ちあげました。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


どんな小さな癖一つにも“人格”は表われる――S・スマイルズ

英雄たちの弱みや欠点はもとより、彼らの小さな癖やデリケートな心理状態などを生き生きと描写する技術もプルタークは持っていた。これらはみな忠実で正確な人物描写には欠かせぬものである。プルタークは話題を砕いて、ごくありふれた癖や特徴まで読者に伝えてくれる。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


ミッドウェイで消滅した日本の人的資源――渡部昇一教授

ハーマン・ウォーク(アメリカの小説家、『戦争の嵐』『戦争と追憶』などの著作がある)の仮定によれば、もし、ミッドウェイの海戦に日本が勝てば、ただちにアメリカ西海岸の守備が緊急の問題になる。そこに米軍が貼りつけられることになれば、ヨーロッパにおいてヒトラーの制覇が成功したであろう。ヨーロッパがヒトラーに制圧されれば、アメリカは日本やドイツと講和せざるをえなかったであろう、という筋がはっきり出てくるのである。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


虚脱状態から飛躍するために――松原泰道禅師

私は自分のわずかな経験からですが、原則として患者の生命の末期状態を告知することに賛成です。最近、厚生省の検討会がまとめた報告書にも「患者に残された時間が限られていることを告げることに重要な意味がある」とありますが、自分の人生の最後の一章を自分で書き下ろす意義は、たしかに厳粛です。「いまや、私たちは自分の死を自分の手で決める時代になっている」といわれます。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「猫の神学」・「猿の神学」――渡部昇一教授

猫が自分の子どもを運ぶときに、その頸(くび)をくわえる。猫の子は何もすることがない。親猫にまかせればよいのである。ちょうど、阿弥陀の慈悲にまかせるように、あるいはお題目のお力にまかせるように。それはルターの「信仰のみ」の考え方に通ずるし、カルヴィンの予定説(プレデステネーション)もこれである。カルヴィンの神学の場合は、親猫が口を話せば子猫は落ちる。それは、子猫のほうではどうすることもできないという神学である。したがって当時のカトリックは、プロテスタント信者を「ルターの猫の子」とか「カルヴィンの猫の子」と言っていた。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


天命思想と徳治主義――西尾幹二教授

中国史はめまぐるしい王朝交代の歴史であり、易姓革命の連続であったといってもほぼ等しい。それに対し日本の天皇の地位は、天照大神の子孫によって受け継がれるもので、血統世襲が重んじられ、必ずしも徳治主義によっていない。天皇は徳が高いにこしたことはないが、道徳とか人格とかいったような人間尺度の問題から解放されるということがむしろ大切とされる。それを近代に入って理論的に唱えたのは、幕末の後期水戸学のパイオニア、藤田幽谷(ゆうこく)の『正名論』であった。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


孟氏使膚為士師。問於曾子。曾子曰。上失其道。民散久矣――『論語』

孟氏(もうし)、陽膚(ようふ)をして士師たらしむ。曾子に問う。曾子曰く、上(かみ)、其の道を失い、民散ずること久し。如し其の情を得んとせば、哀矜(あいきょう)して喜(この)むことある勿れ。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


曾子曰。吾聞諸夫子。孟荘子之孝也。其他可能也――『論語』

曾子曰く、吾れはこれを夫子に聞けり。孟荘子の孝や、其の他は能くすべきなり。其の父の臣と父の政とを改めざるは、是れ能くし難きなり、と。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


曾子曰。吾聞諸夫子。人未有自致者也。必也親喪乎――『論語』

曾子曰く、吾れはこれを夫子に聞く。人未だ自ら致す者あらざるなり。必ずや親の喪か、と。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


曾子曰。堂堂乎張也。難与並為仁矣――『論語』

曾子曰く、堂堂たるかな、張や。与に並んで仁を為し難し。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


子游曰。吾友張也。為難能也。然而未仁――『論語』

子游曰く、吾が友の張や、能くし難きを為す。然れども未だ仁ならず。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


子游曰。喪致乎哀而止――『論語』

子游曰く、喪には哀(あい)を致して止(や)む。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ