足るを知ることは最高の充足――松原泰道禅師

知足は、釈尊の最後の教えを伝える『遺教経』にある言葉です。修行者が守らなければならない八つの徳目(八大人覚(はちだいじんかく))として「少欲(しょうよく)」(多くを望まない)、「寂情(じゃくじょう)」(静かな所に住む)、「精進(しょうじん)」(勤め励むこと)、「不忘念(ふぼうねん)」(法を守り忘れない)、「禅定(ぜんじょう)」(心を乱さない)、「修智慧(しゅちえ)」(智慧を修める)、「認識」(正しく考える)、「知足」(足ることを知る)が挙げられています。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


互郷難与言。童子見。門人惑。子曰。与其進也。不与其退也――『論語』

互郷(ごきょう)は与(とも)に言い難し。童子(どうじ)、見(まみ)えんとす。門人惑う。子曰く、其の進むことを与(ゆる)し、其の退くを与さざるならば、唯何ぞ甚しきや。人、己を潔(きよ)くして以て進まば、其の潔きを与さん。其の往(むかし)を保せざるなり。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


子曰。蓋有不知而作之者。我無是也。多聞。択其善者而従之――『論語』

子曰く、蓋(けだ)し、知らずして之を作る者あらん。我は是なきなり。多く聞き、其の善き者を択(えら)んでこれに従う。多く見て〔これを識るは、知るの次なり。〕これを識りこれを知るは次なり。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


子釣而不綱。弋不射宿――『論語』

子は釣(つり)して綱(あみ)せず。弋(よく)して宿(やどり)を射ず。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


子曰。聖人吾不得而見之矣。得見君子者。斯可矣――『論語』

子曰く、聖人は吾れ得てこれを見ざらん。君子者を見るを得ば、斯(ここ)に可なり。子曰く、善人は吾れ得てこれを見ざらん。恒(つね)ある者を見るを得ば、斯に可なり。亡くして有りと為し、虚(むな)しくして盈(み)てりと為し、約にして泰(たい)と為さば、恒あること難いかな。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


恩を仇で返した日本人学童の隔離――渡部昇一教授

アメリカの排日移民の動きはシナ移民の排斥に引き続き、1880年代からあったのであるが、政府間でも民衆レベルでも大きな問題になっていなかった。それが急に注目をあびるようになったのは、奇(く)しくも日露戦争の翌年(1906)の二つの事件によってである。それは一つには4月18日のサンフランシスコ大地震であり、もう一つは、その年の10月11日にサンフランシスコ市教育委員会が、日本人と韓国人の児童を白人から隔離することを決定したことである。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


科学の世界において二等賞以下の椅子はない――福岡伸一さん

科学の世界において二等賞以下の椅子はない。どんなに多数のライバルたちが競争に参加したとしても、一番最初にゴールに到達したものだけが、発見者としてのクレジットとそれに伴う栄誉と褒賞、そして場合によっては莫大な富を得る。同じ着想とアイデアを抱き、同じ方法で、同じ発見をなし得ても、二番手にはそのすべてがない。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


何が「クレオパトラの鼻」になるかわからない――S・スマイルズ

伝記は歴史と同じで、明らかにつまらぬ事柄にも意味があり、とるに足りないことが原因んで大きな結果を招くものである。パスカルは、「クレオパトラの鼻がもう少し低ければ、世界の歴史はちがっていただろう」と指摘している。また、7世紀フランク王国の実力者にピピンの恋愛事件がなければ、ヨーロッパはサラセン人に征服されていたかもしれない。そのロマンスの落とし胤(だね)カール・マルテルがトゥール=ポワティエでサラセン軍を破り、彼らをフランスから追い出してしまったからだ。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


平成28年(2016)11月 名言との出会い

H25.11.30 読むに値するものを書くか、書くに値することをなすか、いずれかをせよ ( ベンジャミン・フランクリン ) Either write something worth reading or do something worth writing. ( Benjamin Franklin ) H25.11.29 知恵は善のなかにその根を持つ 善が知恵のなかにその根を持つのではない ( . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


メルマガ『心超臨界』今週のハイライト

今週配信しましたメルマガ『心超臨界』のハイライトをお届けしています。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


歴史とは「民族共通の記憶」である――渡部昇一教授

考古学的発見から出発して日本史を再建するのは、排泄物から、それをやった者の思想を推測するようなことになるのではないだろうか。記紀万葉に登場する者は、神も人間も、日本語を語り、考え、感じ、悲しむ。だからわれわれは、「日本人」と関係あるかないかわからない原住民からはじめないで、明かにわれわれの先祖であり、われわれの言葉を語った者たちから考察をはじめてゆきたい。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一より習い十を知り、十より帰るもとのその一――松原泰道禅師

『古事記』は、元明(げんめい)天皇の勅を受けて太安万侶(おおのやすまろ)が、史料を整理して編纂したわが国最古の歴史書です。その序文に、「古(いにしえ)を稽(かんが)えて以て風猷(ふうゆう)をすでに廃(すた)れたるに縄(ただ)し、今を照らして以て典教(てんきょう)を絶えんと欲するに補わずということなし」とあります。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


ドイツ語では歴史と作り話は同じ――川口マーン恵美さん

ドイツ語で「歴史」という言葉は Geschichte というが「物語」、つまり「作り話」も、同じく Geschichte だ。最初、ドイツに渡ったころ、ドイツ語はなんて曖昧なのかと怪訝に思ったが、いまではドイツ語は非常に正しいと思っている。ドイツ人は、歴史は作り話であるということをきちんと認識しているのである。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


天皇と皇帝を前にした臣下の自称の違い――西尾幹二教授

しかし、なんといっても私に興味があるのは、「臣」とか「妾」という自称の形式が口頭では用いられることがなく、たんに文書を提出する場合にのみ要請されたことだ。ということは、いかにもゆるやかであり、曖昧であり、ぎしぎしした感覚を引き起こさない。唐の法規をきわめて意識的に真似した自称の形式なのではあるが、厳密な意味では、中国的な君臣秩序は日本には定着しなかったことを暗示している。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


“自画自賛”は聞いている人の心を逆撫(さかな)でする――ジョン・トッド

自分のことや自分の友だちのことや自分の業績のことは、できるだけ口にしないことである。さもなければ、誉めてほしいのか憐れんでほしいのか、そのいずれかを期待しているのだと人は解釈する。あるすぐれた文筆業は、世の中に大きく貢献しない限り自分については語らないようにすべきだ、と提案している。確かに、そうでない場合もあることはある。ただしそれは、自分の意見を述べれば必ず何らかの形で話題に貢献することになる場合である。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ