電脳筆写『 心超臨界 』

現存する良品はすべて創造力の産物である
( ジョン・スチュアート・ミル )

塚本元委員長と日本の安全保障――田久保忠衛さん

2020-06-19 | 04-歴史・文化・社会
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塚本元委員長と日本の安全保障――田久保忠衛・杏林大学名誉教授
【「正論」産経新聞 R02(2020).06.18 】

◆旧民社党の果たした役割

旧民社党にいた8人の委員長で最後まで存命した、塚本三郎氏が亡くなられた。個人として寂しいし、解党後も不思議な存在感を残していたこの党にも新しい時代が到来したのであろうか。

死児の齢(よわい)を数えるようなものだが、民社党の果たした功績は2つあった。1つは戦後の日本社会に不気味な影響力をいまだに残しているマルクス主義に痛打を浴びせ続けてきたことだ。その役を担ったのは政治家よりも、党に賛同した知識人、とりわけ戦前自由主義思想家で東京帝国大学教授だった河合栄次郎門下生であった。

一例だけ挙げると、昭和34年の社会党大会後にNHKテレビで行われた猪木正道京大教授と、労農派の流れをくむマルクス経済学者で、日米安保条約改定闘争と同時に展開された三井三池炭鉱闘争の中心人物であった向坂逸郎氏の公開討論だ。

民社党発足前のできごとだが、カリスマ的存在だった向坂氏が中産階級没落説、暴力革命論、プロレタリアート独裁論などについて一つ一つ論破される様子をかなりの若者が視聴したと思う。共産主義の理論に挑戦する学者は小泉信三慶大教授以外には存在しなかった時代である。

◆自由な防衛論議の土台

民社時代に入った59年3月の予算委員会で、同じ河合門下の関嘉彦・参院議員が教育問題について中曽根康弘首相に質問した。冒頭、中曽根首相が「あなたの先生である河合栄次郎の本を読んで非常に共鳴し、私の血肉になっている」とリップサービスをした。関議員はすかさず「もしそうなら、あなたは政党の選択を誤った。今でも遅くないから自民党をやめて民社党に入党すべきだ」と応じ、その場は大笑いになった。関先生はことのほかユーモアを解する人だったが、全身から発散させているこの知的自信とゆとりこそは旧民社党の特徴だった。

もう1つこの党が演じた役割は防衛問題を小さな役所間の水準から政治家が国会で自由に議論する水準に引き上げたことだ。防衛庁が発足してしばらくの間、この役所は次官以下主要なポストは他省からの出向者が占めていた。海原治、久保卓也の両氏に代表されるように旧内務省で警察畑を歩き、防衛庁に入ってから絶大な権力を振るった人物が少なくない。

戦前に役所間でどのような争いがあったかは知らぬが、軍刀の下にサーベルはひどい横暴に遭ったらしい。その仕返しが人事その他の面で行われ、制服は自分たちの不満の捌(は)け口を失っていた。そこで制服の味方になったのが民社党で、書記長、委員長時代の塚本氏が少なからぬ役割を演じた。

「私は、書記長を12年やっておりますので、問題をいちいち国会で提起するものだから、陸、海、空の幕僚長も学者の諸君も、自分の意見が議会の訴状にのぼって具体化の道を歩む期待感をもって集まってくださって、彼らとして非常にいい知恵を述べてくれたと思います」(「塚本三郎 オーラルヒストリー」)と塚本氏自身も語っている。

塚本書記長時代の53年に栗栖弘臣統合幕僚会議議長の解任問題が発生した。日本が第三国から奇襲攻撃を受けた場合、首相の防衛出動が出るまで自衛隊は動きが取れないので、超法規行動に出ることはあり得る、と栗栖氏は述べ、自民党の金丸信防衛庁長官は文民統制違反だとして栗栖氏を帰任した。

◆行動は断固として素早く

戦前の反動期で公然税金ドロボーと誹謗(ひぼう)するなど珍しくない時代だった。防衛庁内局の一課長がテーブルの上に足を投げ出して「栗栖を切ったのはオレだ」などと威張っていたころだ。シビリアン・コントロールの意味を防衛庁長官がどの程度理解していたか、私はいまでも疑っている。

塚本氏の行動は断固として素早かった。栗栖氏を民社党が参院選で東京地方区の公認候補に指名し、元自民党ハト派代議士の宇都宮徳馬氏と事実上の一騎打ちに出たのである。結果は僅差で栗栖氏が敗けたが、防衛問題が日本でこれほど湧いたことは恐らくない。海原氏には「日本列島守備隊論」という題名の当時の名著があるが、列島守備隊などという古色蒼然(そうぜん)たる代物は国際情勢に沿うはずがない。一人前の軍隊への道をつけた塚本氏の功績はいくら強調してもし過ぎることはあるまい。

小学校4年生のときから朝4時に起床、新聞配達をしながら小学校を、国鉄名古屋駅の下働きをしながら旧制中学を卒業した。戦後も働きながら中央大学夜間部を卒業した苦学力行の人である。この手の人には人生の表裏に通じた賢者が多いが、塚本氏は直情径行だった。鄧小平と言い合いをしたし、24年間駐米大使を務めたドブルイニン・ソ連共産党中央委書記兼国際部長と、中距離ミサイルSS20をめぐり大論争を展開した。

闘争に明け暮れた男の一生で、民社党を代表する政治家だった。悔いはないと思う。
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