電脳筆写『 心超臨界 』

真の発見の旅は新しい景色を求めることではなく
新しい視野を持つことにある
( マルセル・プルースト )

悪魔の思想 《 大内兵衛――日本の近代を「ドロボウ根性」と呼ぶ倒錯/谷沢永一 》

2024-07-17 | 04-歴史・文化・社会
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生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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大内兵衛は兇暴な本物(ほんまもん)の「ドロボウ」を崇拝してその肩をもち、「ドロボウ」に押し入られている可憐な被害者を、逆に「ドロボウ」呼ばわりする倒錯した言いくるめに興じました。民族が織りなした長い歴史の過程をふりかえるとき、反省すべき事柄がまったくないという楽観はありえないでしょう。ただし、その場合における後悔からは悲しみと痛みの情が湧きあがるでしょう。それが人間としてごく普通の温かみにみちた心理でありますまいか。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p69 )
戦後の学界、言論界の大ボス・大内兵衛(おおうちひょうえ)への告発状
第2章 「日本は第二次大戦の主犯」と言う歴史の偽造家

  大内兵衛(おおうちひょうえ)
  明治21年生まれ。東京帝大卒。東大教授、法大総長、東大名誉教
  授を歴任。東大経済学部を左翼の巣窟にした張本人。昭和55年没。

  東京大学をはじめとする戦後日本の大学に、数えきれぬほど多量の
  「進歩的文化人」を送りこんで、鬱然たる大内山脈を築き上げた手
  配師の親玉、戦後日本の幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)が
  大内兵衛です。世の大学教授には時として隅におけぬ政治屋がいる
  ものですが、大内兵衛は学界支配の名人でした。東大定年のあとは
  法政大学の総長として乗りこみ、学生を前に訓示して、読むべき出
  版物を指示し、雑誌は『世界』、新聞は『朝日』と、「進歩的文化
  人」の聖典(バイブル)を教えたことはあまりにも有名です。


2-6 日本の近代を「ドロボウ根性」と呼ぶ倒錯

大内兵衛の見るところ、日本近代史は一貫して悪業(あくごう)ばかりの積みかさねに映ります。

  明治・大正・昭和を通じての日本のドロボウ根性――軍国主義をた
  たき直さないかぎり、日本は世界を大手をふって歩くことはできな
  い。
         (昭和40年8月『世界』〈対談〉「日本と中国」)

今は共産主義国となっている尊崇すべきシナおよびロシアと戦ったのですから、この許しがたい戦争は徹底的に否認しなければなりません。たとえ反日的とまでは言えないにしても、戦後のいわゆる進歩的文化人の大群が、こぞって日清戦争と日露戦争を弾劾し呪うのは、日本に負けた相手国が、いずれも今は進歩的文化人の精神的祖国であるシナとロシアであったゆえであろうと思われます。日本が日露戦争に立ち上がっていなければ、あるいはもし負けていたら、日本は果たしてどうなっていたでしょうか。

司馬遼太郎が『坂の上の雲』(文春文庫)に簡潔な展望を試みています。

  要するに、日露戦争の原因は、満州と朝鮮である。満州をとったロ
  シアが、やがて朝鮮をとる。これは、きわめて明白である。日露戦
  争にもし日本が負けていれば、朝鮮はロシアの所有になっていたこ
  とは、うたがうべくもない。
                       (全集24巻435頁)

幸いにして日本が占領されなかったとしても、残酷な軛(くびき)が日本の身体に嵌(は)められたでしょう。

  ばく大な償金を支払うがために、産業は昭和中期までは停頓したに
  ちがいない。さらには、北海道一つをとられ、敦賀港と対馬一島は
  ロシア租借地になったにちがいない。
                            (437頁)

大内兵衛は兇暴な本物(ほんまもん)の「ドロボウ」を崇拝してその肩をもち、「ドロボウ」に押し入られている可憐な被害者を、逆に「ドロボウ」呼ばわりする倒錯した言いくるめに興じました。

民族が織りなした長い歴史の過程をふりかえるとき、反省すべき事柄がまったくないという楽観はありえないでしょう。ただし、その場合における後悔からは悲しみと痛みの情が湧きあがるでしょう。それが人間としてごく普通の温かみにみちた心理でありますまいか。

しかるに、明治・大正・昭和の三代を生きた私たちに、もっとも近しい日本人のすべてを指して「ドロボウ根性」と言い捨てる罵倒根性は、どうして出現したのでしょうか。このように典型的な反日的日本人が生まれた基盤を究明する努力を、怠ってはならぬと、胸にしみて思いを致す次第です。
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