電脳筆写『 心超臨界 』

リーダーシップとは
ビジョンを現実に転換する能力である
( ウォレン・ベニス )

田中角栄通産大臣は繊維摩擦をたった3カ月で解決した――渡部昇一教授

2015-02-23 | 04-歴史・文化・社会
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【 渡部昇一、徳間書店 (1997/12)、p175 】

角栄氏の場合も、たとえばこういう事件がありました。戦後、日米が本格的に衝突したのは繊維摩擦が最初です。たまたまその頃私はアメリカに行っていましたが、『タイム』や『ニューズウィーク』は見るのが怖いぐらい、大きい活字で日米の衝突を言っておりました。「対決」という言葉さえも使われた。

なかなか解決がつかず、時の通産大臣・宮澤喜一氏は何らなすことなく、時間が経っていくばかり。佐藤首相まで食言をアメリカで指摘される有様であった。それで、第三次の佐藤内閣は田中角栄を通産大臣にした。そうしたらたった3カ月で解決してしまった。その後、繊維摩擦は、少なくとも思い出せるほどの形では起こっていない。それほど究極的な解決の仕方であった。それはアメリカの反論をなくしたのみならず、決して日本の繊維界を潰したものでないことは、今日も日本の繊維界は世界最強であることを見ても明らかです。

では、そのとき角栄氏はどうやって一挙に解決したか。それはガチャマン(昭和20年代によく用いられた語で、ガチャと織れば万円ともうかるというところから零細織物業者を指す)以来の零細な繊維業者がダンピングするのが、通商摩擦の一番の原因になっていたのですが、そういう人たちにおカネをやって機械を買い上げて壊した。その補償金がどのぐらいあればいいかを彼はまず計算したわけです。当時のカネで数千億円、と言われました。零細な繊維業者たちは喜んで壊した。私の田舎の、織物をやっていた知人も2億円なんてそれまで見たこともないと、喜んで廃業したわけです。

このカネは、短期間に当時の唯一最大の国際摩擦を一挙に解決した。生きガネと言うべきでありましょう。共産党や社会党は通産大臣の不信任案を出しましたが、関係者はみな満足した。

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