電脳筆写『 心超臨界 』

リーダーシップとは
ビジョンを現実に転換する能力である
( ウォレン・ベニス )

もう昔のように、モノにもヒトにもひと目惚れしなくなってしまった――工藤美代子さん

2008-12-26 | 03-自己・信念・努力
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「こころの玉手箱」ノンフィクション作家・工藤美代子

  [1] 西脇順三郎の色紙
  [2] 川端夫人にいただいた般若心経
  [3] カナダで買った指輪


[3] カナダで買った指輪――奨学金はたいた青春の遺産
 ノンフィクション作家・工藤美代子
【「こころの玉手箱」08.12.17日経新聞(夕刊)】

ある時期、暇さえあれば骨董(こっとう)屋をのぞいていたことがあった。20代の後半で、カナダの大学に通っていた。もちろん、学生だからお金はなかった。それでも、骨董を見るだけで楽しかった。

ふと立ち寄った骨董屋のウインドーに1個の指輪が置かれていた。一見して前世紀のものであり、しかもフランス製だとわかった。

店の人に頼んで、飾り棚から出してもらって、しげしげと眺めた。精巧な細工は指輪の裏側にまで施されている。まだプラチナやホワイトゴールドが現在ほど普通に使われてはいなかった時代のものなので、ローズカットのダイヤは金と銀とで装飾されていた。

ひと目惚(ぼ)れだった。これほど美しい指輪に出逢ったことはないと思った。

普段なら、いくら惚れても、とても自分の手が届く値段ではないとあきらめるところだ。しかし、タイミングが悪かった。

私はこの日、カナダ政府から奨学金を受け取ったばかりだったのである。お財布には2千ドルの大金があった。当時の2千ドルは貧しい学生が10カ月は暮らせるほどの価値がじゅうぶんにあった。なにしろ1ドルが280円くらいした時代だ。

指輪の値段は2千2百ドルだったと記憶している。それを一生懸命に2千ドルに値切って、自分のものにした。嬉しかった。

指輪が納められた銀のケースを大切にバッグに入れて、飛ぶように自宅へ帰った。

それから後、どうやって食べていたのか全く憶(おぼ)えていない。生活費をすべて指輪につぎ込んでしまったのだから、ひどく困窮したはずなのだが、若いというのは恐ろしい。どうにかなるさ」とあまり真剣に悩みもしなかった。

思えば現在に到るまで、真面目に生活設計など立てずに暮らしてきた。それでも飢え死にはしないのだから、不思議なものだ。

ただ、1つだけ残念なのは、もう昔のように、モノにもヒトにもひと目惚れしなくなってしまったことだ。だとするとあの指輪は私の青春の遺産だといえるかもしれない。

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