電脳筆写『 心超臨界 』

水の流れが岩と衝突するところ常に水の流れが勝る
力ではなくその持続性によって
( お釈迦さま )

トビメラになって、この人たちを救う――柳川宗成中尉

2024-06-26 | 04-歴史・文化・社会
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ジャワ島には古くから伝わる昔話がありました。黄色い皮膚をした英雄(現地語でトビメラ)が北方からある日現れ、白人を追い払ってくれる。ジャンゴの花が咲く頃にはトビメラは去っていく……という「ジョヨボヨ」です。


◆トビメラになって、この人たちを救う――柳川宗成中尉

『凛の国』
( 前野 徹、青春出版社 (2004/8/1)、p123 )

日本軍が、蘭領東インドと呼ばれ、オランダの植民地だったインドネシアのジャワ島に上陸したのは、1942(昭和17)年の初めでした。

日本軍は現地の人々に自分たちはあなたたちをオランダのひどい統治から救うために来たのだとの意思を伝えるために、独立インドネシアの国旗、「メラ・プチ(インドネシア語で紅白)」の旗をいたるところに掲げ、独立インドネシアの国歌「インドネシア・ラヤ」をラジオで流し、宣言しました。

「日本軍は征服者オランダを追い出し、インドネシアの独立を助けるために来た」と。

350年もの間、オランダのなすがまま、差別され苦しめられていたジャワの人々は喜び、日本軍に協力しました。その結果、日本軍はたった9日間でオランダ軍を追い出します。

このとき、日本軍の今村均司令官は現地の人々に向けて、「日本人とインドネシア人は同じ根もとから発生した同族で、日本軍はインドネシアとの共存共栄をはかる。同一家族主義、同胞主義にのっとって軍政(軍による政治)を実施する」と発表しました。これは支配するか支配されるかで3世紀もの間虐げられてきた、現地の人々にとっては天地がひっくりかえるほどの驚きでした。

ジャワ島には古くから伝わる昔話がありました。黄色い皮膚をした英雄(現地語でトビメラ)が北方からある日現れ、白人を追い払ってくれる。ジャンゴの花が咲く頃にはトビメラは去っていく……という「ジョヨボヨ」です。

日本軍の柳川宗成(やながわ・むねなり)中尉がオランダ軍の司令部があったバンドンにひとりで潜入し、オランダ軍の指揮をとるテルボールテン中将に降伏をうながすという密命を受けたときのことです。

柳川中尉はオランダ軍の目をごまかすために、現地人に変装してふたりの通訳とともに、見つからないよう夜中に道なき道を進みながらバンドンを目指しました。

途中、ある民家で食事をふるまわれたときのことです。その家のおばあさんが、柳川中尉を見て、まるで神様に会ったように拝む、不思議に思った中尉が、なぜ、そのようなことをするのかと問うと、おばあさんはいいました。
「トビメラがきたので歓待しているのです」

ジョヨボヨの伝説を聞かされた中尉は感激して、「よし、俺はきょうからトビメラになって、この人たちを救う」と固く決意しました。

柳川中尉がバンドンに着いたのは、日本軍が上陸してから7日目の夜。中尉はオランダ司令部に乗り込み、寝ていたテルボールテンを叩き起こして迫りました。
「日本軍は既にバンドンを三方から取り囲んでいる。あなたの部下や兵を傷つけないためにも、一刻も早く降伏願いたい」

9日目にはオランダ軍は降伏しました。

インドネシアの人々はオランダの植民地下であった320年余りの間に何度も抵抗して、独立を勝ち取ろうとしました。しかし、そのたびに敗北を喫し、深い無力感を味わっていました。自分たちは同じ有色人種の日本軍があの強い白人のオランダを9日間で敗った。これは現地の人たちの大きな自信になりました。
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