電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

WGIP 《 敗戦利得者――渡部昇一 》

2024-06-29 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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戦前「アカ」と疑われて大学を追放された人たちが、戦後はアカデミズムに戻って、しかも大学の世界では位人臣(くらいじんしん)をきわめました。日本が負けたおかげです。日本の敗戦がなければ大学を追われたままでした。彼らが戦前を悪く言い、東京裁判および公職追放を経たあとの戦後を褒めそやすのは当然なのです。


◆敗戦利得者

『中国・韓国に二度と謝らないための近現代史』
( 渡部昇一、徳間書店 (2007/04)、p190 )

日本の敗戦によって得をしたのはどういう人たちであったかといえば、第一は戦犯追及や公職追放令によって空(あ)きができた席を埋めた人たち、第二は共産主義者や在日外国人など、戦後になってから急に待遇が上がった人たち、第三は農地解放によって土地を持てることになった小作人です。

第二、第三の人たちについては説明するまでもないでしょう。そこで第一群の人たち、つまり空席ができて得をした人の例を挙げます。

代表的なのは戦後の金融界で「一万田天皇」といわれた一万田尚登(いちまんだひさと)氏です。終戦時、彼は日本銀行に数いる理事のなかの最若手、理事になりたてホヤホヤの大阪支店長でした。ところがGHQの公職追放令で新木栄吉(あらきえいきち)総裁以下、一万田氏の一枚上の理事まで全員が公職追放を受けたために総裁の座が舞い込んできました。人格、見識を見込まれて抜擢されたわけではなく、上に人がいなくなってしまったために日銀総裁になれた。まさに棚ボタです。ところが総裁になると、大いに威張り、ついには「天皇」と呼ばれるまでになってしまった。彼の下で「大臣」級になったのは彼より若い人たちでした。つまり、一万田氏以下のこの人たちは公職追放令のおかげで何十年分も出世を得したわけです。

戦後の恩恵をたっぷり享受したこの人たちが、いったい戦前の日本を褒めるでしょうか。戦前を褒めるわけがありません。「日本は戦後いい国になった」と言い続けるに決まっています。

そういう傾向は学界、言論界でもきわめて強かった。わかりやすい例を挙げておきましょう。

東京帝大経済学部教授だった矢内原忠雄(やないはらただお)氏。この人はシナ事変がはじまった年の昭和12年、講演で「日本の理想を活かすために一先(ひとま)ず此の国を葬って下さい」としゃべって帝国大学を追われました。

それから大内兵衛(おおうちひょうえ)氏。やはり東京帝大経済学部教授でしたが、昭和12年、コミンテルンの呼びかけに応(こた)えて組織された「人民戦線」に連座して帝大を辞めさせられています。

滝川幸辰(たきがわゆきとき)氏。この人は京都帝大法学部教授時代に、「犯罪は国家生活のアンバランスから起る。それなのに国家が刑罰を科するのは矛盾である、犯罪はいわば国家の受ける刑罰である」などと発言したり、無政府主義的な刑法の本を書いたりして、昭和8年に大学を辞めさせられた。

みな、戦前に帝国大学を追われています。それはそうでしょう。帝国大学といえば天皇陛下が建てられた大学という意識があった時代です。そのとき帝大教授がコミンテルンとの関係を疑われたり、国を侮辱するような発言をしたり、ソ連の手先と見られたら、大学にはいられない。もっとも辞めるだけで罰せられることはありませんでした。しかも意見を変えたり本を訂正したりすれば、ほとんど問題はありませんでした。しかし滝川さんは無政府主義的なテキストの改訂を拒んで京都帝大を辞めています。その点では男としてのスジを通したといえます。

そんな人たちが戦後ドッと復活したのです。

矢内原忠雄氏は昭和20年、東大経済学部に復帰、26年には東大総長になっています。

大内兵衛氏は戦後すぐに東大に復職、退官後の25年には法政大学の総長に就任しています。しかも左派社会党のイデオローグであったにもかかわらず、政府の経済関係の各種委員会の委員長になっている。

滝川幸辰氏は21年に京大に復帰、28年には京大総長になりました。

戦前「アカ」と疑われて大学を追放された人たちが、戦後はアカデミズムに戻って、しかも大学の世界では位人臣(くらいじんしん)をきわめました。日本が負けたおかげです。日本の敗戦がなければ大学を追われたままでした。彼らが戦前を悪く言い、東京裁判および公職追放を経たあとの戦後を褒めそやすのは当然なのです。
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