ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

立ち退き前の家で写真を

2018-07-23 09:02:04 | 身辺雑事
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NEW! モニターさん募集

 「潜在意識書き換えカラーセラピー」
   近日リリース!

7月以降のモニターさんを募集します。 7月残り少なくなりました! 8月の予定もUPしました!
※モニター体験は1回限定でお願いいたします。

<潜在意識書き換えカラーセラピーって?>
ヒプノセラピー×カラーセラピーの融合、と思ってください。
自分の潜在意識を可視化できるカラーセラピーで自分の意識を確認しながら、過去、あるいは前世に戻って自分のインナーチャイルドを癒します。
ショックや辛い経験を新たな記憶に書き換え、戻ってきます。
自分にはショックや辛い経験なんてない、と思ってらっしゃるでも、私たちはある意味「生まれてきたことそのものがショック」ですから(羊水のなかで呼吸していたものをいきなり肺呼吸しなくてはならない、というだけでも人生で一大のトピックスです!)、必ずトラウマになっているようなことはあります。
よりよい未来を創りあげるために、ぜひ「潜在意識書き換えカラーセラピー」を体験ください。

120分  ¥25000   ⇒ モニター価格  ¥5000                   
 ※アンケートにお答えいただくことが条件となります。

 岐阜市 ヒーリングサロン 些々羅 にて

 お申込みは、chakra@aura-soma.name

<7月の受付可能日時>
          7月のご予約はすべて埋まりました。ありがとうございました。

 7月 9日(月)  10:00~      13:00~      
   10日(火)  10:00~      13:00~      
   11日(水)  10:00~      13:00~      
   14日(土)  10:00~      13:00~      
   16日(祝)  10:00~      13:00~       
   17日(火)  10:00~      13:00~      
   18日(水)  10:00~      13:00~      
   21日(土)  10:00~      13:00~ 

 8月 4日(土)  10:00~      13:00~
    6日(月)  10:00~      13:00~  
    7日(火)  10:00~      13:00~
   18日(土)  10:00~      13:00~
   20日(月)  10:00~      13:00~
   21日(火)  10:00~      13:00~
   27日(月)  10:00~      13:00~
   28日(火)  10:00~      13:00~
   29日(水)  10:00~      13:00~

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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




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*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます


*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。


*目標が明確になります。



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先日、市役所から今度、再開発で立ち退くことが決まっている両親の店舗だったところを昭和の歴史として写真に残したいので、つきましてはそこのご家族も一緒に写真に収まってもらいたいので○時に店の前で落ち合いましょう、お願いいたします、という話がありました。
3年ほど前に両親が高齢を理由に店をたたんでからずっとシャッターを下ろしたままだった店舗のシャッターを久しぶりにすべて上げ、「串かつ かつ勉」というのれんを下げると、なんだか串カツをあげるために営業中はずっと火を絶やさなかったのでラードの匂いがいつも漂っていましたがその匂いを思い出し、今日にもまたすぐに再開できそうな気がしてくるほどでした。
そして市役所の方が私と母が店の前で笑顔で立っているところを何枚かパシャパシャ写真に収められていきました。
ぼんやりと
(これは何かの番組で「思い出写真館」というコーナーがあったと思うけれど、あれと同じようにカラーというよりはセピア色の写真の方が似合いそうだな)
なんて考えていました。



これまで私は再開発で立ち退くことについて、一切の感傷を覚えて来ませんでした。
1歳で伊勢湾台風に遭って、名古屋の南区から岐阜に移り住み、大学の4年こそ家を空けたけれど、それ以外、ダーリンと出会って結婚するまでずっと住んだ家だけれど、特に何の思い入れも、ない。
それは私が自分が死ぬまでその家にいるわけはないのだから、ということがいつも頭の隅にあったからかもしれません。
どのみち自分からいつ去るか、という問題だけだったのが、「再開発」という理由によって強制的に取り壊されることになった、というだけのこと、と思っていました。
しかし、たとえば自分が住んでいた家を売り払い、別の誰かがそこを購入し、新しく家を建てるということであれば、いつその場所を訪れても、
「ここはもう今は違う家になっているけれど、昔私が住んでいた家だったんだよ」
という感慨もありましょうが、再開発になったら、その場所は大きなビルの1階(たぶんスーパー)になるだけで、そのうちのどのスペースが自分が住んでいた場所かも特定できなくなるのだな、と思ったとたんになんだか初めて思い出がこみあげてきました。



たった10坪程度のこの店舗の2階で私は大きくなったんだよなぁ・・・。
小さい頃は自分の家が狭いとか小さいとかなんて思ってなかったなぁ。
それは私が1人っ子で小学校にあがるとすぐに個室を与えられたからだなぁ。
勉強机とステレオとベッドと小さな箪笥と本棚と、それだけ置いてもまだ真ん中にテーブルを置くことが出来た。
だから家庭教師がくるときはそのテーブルのほうで教えてもらったなぁ、とか、
小学校に上がる前まではそのテーブルを片づけて、小さい私がベッドから落ちないようにと、下に蒲団を敷いて母は寝ていたなぁ、とか。



私が大学に入る前に家を建て替えたけれど、そのときは苦々しい思いだったなぁ。
一般的には子どもが小学校にあがる前とかにローンを組んで家を建てたりするんじゃないのぉ。
それをうちの親は徹底的な現金主義だったから、家を建て替えることのできる現金を貯めるまでそんなことをしなかったんだな。
だからそれが私がちょうど東京の大学へ行くと決まったあとだったんだ。
大学を卒業したら戻って来るのか、そのまま東京で就職するのか、そのときには皆目自分がどうするのか進路に意志がなかったから、ひょっとしたらもうこれきりで一生住むこともない家がどうなろうと知ったことじゃないわ、という感じだった。
けれど、結果的には大学を卒業したら私は家から通うことのできる名古屋の企業に就職し、戻ってきた。
3階建に生まれ変わった家は、今度は3階に私の個室が与えられたけれども、子どもの頃にそれなりに広い個室を与えてもらったと思っていた印象はどこへやら、ベッドと机と洋服を置いたらもういっぱいいっぱいだった。
それくらい社会人になってからしばらくの間、私は洋服ばっかり買っていたっけなぁ。
クローゼットには入りきらないから、2段になったシングルハンガーを買ってそこにも洋服を掛け、出しっぱなしだから埃をかぶる、と風呂敷のような大きな布を、洋服を掛けたその2段シングルハンガーの上にかぶせ、洗濯バサミでパチンと両横を留め、もうその時点で自分の個室をどんな風に可愛くしようかな~なんて気はさらさらなくなり、ただの物置のような部屋で暮らしたのでした。



大切にしてこなかった家だから思い入れもない、と思ってきたし、事実、「家」という物的なものにはなんの思い入れもないけれども、このとき改めて暖簾をかけて写真を撮られて、母や亡くなった父は、自分たちが、自分たちの力で建てた家なんだし、ここでずーっと商売をしてきたんだから、まさに自分たちの歴史という意味で思い入れがあるだろうなぁ、と思いました。
母が市役所の人に
「どこから壊すの? 角地から順番に壊しやすいところからでしょうねぇ?」
と尋ねました。
市役所の人が困ったように、
「はぁ・・ たぶん、そうなりますかね。僕ら、建築会社ではないもので、そこはよくわからないんですけれども・・」
と言いました。
私も母がなんのためにそんなことを訊くのかなぁ?といぶかりました。
すると母は、
「できればね、うちは最後でいいから。最後の最後に壊すようにしてちょうだい。」
と言いました。
市役所の人はまたも困ったように、
「計画がありますので、お宅さまを1番最後に、ということにはならないと思いますが・・ 場所的に言っても」
と言いよどみました。
母は、
「そうだろうけど、ま、できれば、ってことで。」
ともう1度言いました。
私は母の真意をはかりかねましたが、少し気持ちもわかるような気がしました。