ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ただ静かに見守ろうと思います

2018-07-09 09:01:12 | ペット
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NEW! モニターさん募集

 「潜在意識書き換えカラーセラピー」
   近日リリース!

7月以降のモニターさんを募集します。 7月残り少なくなりました! 8月の予定もUPしました!
※モニター体験は1回限定でお願いいたします。

<潜在意識書き換えカラーセラピーって?>
ヒプノセラピー×カラーセラピーの融合、と思ってください。
自分の潜在意識を可視化できるカラーセラピーで自分の意識を確認しながら、過去、あるいは前世に戻って自分のインナーチャイルドを癒します。
ショックや辛い経験を新たな記憶に書き換え、戻ってきます。
自分にはショックや辛い経験なんてない、と思ってらっしゃるでも、私たちはある意味「生まれてきたことそのものがショック」ですから(羊水のなかで呼吸していたものをいきなり肺呼吸しなくてはならない、というだけでも人生で一大のトピックスです!)、必ずトラウマになっているようなことはあります。
よりよい未来を創りあげるために、ぜひ「潜在意識書き換えカラーセラピー」を体験ください。

120分  ¥25000   ⇒ モニター価格  ¥5000                   
 ※アンケートにお答えいただくことが条件となります。

 岐阜市 ヒーリングサロン 些々羅 にて

 お申込みは、chakra@aura-soma.name

<7月の受付可能日時>
             7月のご予約はすべて埋まりました。ありがとうございました。

 7月 9日(月)  10:00~      13:00~      
   10日(火)  10:00~      13:00~      
   11日(水)  10:00~      13:00~      
   14日(土)  10:00~      13:00~      
   16日(祝)  10:00~      13:00~       
   17日(火)  10:00~      13:00~      
   18日(水)  10:00~      13:00~      
   21日(土)  10:00~      13:00~ 

 8月 4日(土)  10:00~      13:00~
    6日(月)  10:00~      13:00~  
    7日(火)  10:00~      13:00~
   18日(土)  10:00~      13:00~
   20日(月)  10:00~      13:00~
   21日(火)  10:00~      13:00~
   27日(月)  10:00~      13:00~
   28日(火)  10:00~      13:00~
   29日(水)  10:00~      13:00~

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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




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*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。


*目標が明確になります。



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昨日は岐阜では朝まで降り続いた雨がようやく止み、夕方には異常に晴れてきました。
”異常に”というのは、私の主観かもしれません。
なんといっても数日間、まったく晴れ間を見なかったものですから、夕方の4時や5時になって、こんなに午前中かのような晴れ方するんだっけ? という感じでした。
そして、6時ごろ、ダーリンと一緒に外食をするため外へでたときには、
「暑いね~、いきなり」
と言い合いながら、まぶしくて空を見上げられないほどでした。
私は、豪雨のあと晴れ間が見えたのが嬉しい、というよりは、あれだけの豪雨だったのに過ぎてみればこのあっけらかんとしたまでの晴れ方はどうだ、というなんだか残酷さを感じました。
ニュースを見ていると各地で、この豪雨はとてつもない爪痕を残したようです。
台風じゃなく、ただの梅雨前線の活動でここまでの被害になるのか、というほどですよね。。。
愕然とします。
災害に見舞われた方、心よりお見舞い申し上げます。



さて先日、車を6か月点検に出したとき、ついでにナビの具合が悪いので、それも見て置いてください、と車屋さんに頼みました。
高速から一般道になっても、そのままずっと高速に乗っている判断になってしまうのです。
高速と一般道がほぼ同じところを通っているとたまにそういうことにもなりますが、“たまに”ではなく、ほぼ“毎回”そうなる。
そうなるとほんとに知らないところへナビ頼りで行ったときに困ってしまう。
一般道に降りても、全然それからのナビをしてくれないことになってるわけだから。
それでえらく時間ロスをしてしまったことが前にもあったので。



そうしたら、
「設定が1つ、出来ていないことがあったので、直しておきました」
と返ってきたら、今度はなぜかラジオが聞けなくなり、ローカルのNHKテレビ局のみに固定してナビでテレビが見られるようになっていた。
「AV」というところを押すと。
まぁ、いいか、一生懸命この番組が聞きたいというラジオがあるわけでもないし、テレビならテレビでも、とそのままにしていました。
そうしたら、先日たまたま車に乗っているときに、そのNHKが、おばあさんが飼っている猫が癌で亡くなる、というショートストーリーの話を漫画で紹介していました。
その猫、フネはおばあさんが
「少しでもお食べ」
と差し出したキャットフードを最初はティースプーン1杯食べます。
そして、
「もっとお食べ」
と差し出した2杯目を、不思議そうにおばあさんを見あげながら、
「そんなにアンタが望むんだったら、アタシはいらないんだけど、アンタのために食べてあげる」
と言わんばかりに2杯目を食べます。
しかし、それからは全く食べなくなりました。
しかし、ガンになってしまった、どうしよう!と騒ぎ立てるわけでもなく、「私はもう死ぬのか」と泣きわめくでもなく、ただただ静かにしていて、そんなフネをおばあさんは
「人間に比べて猫はエライな」
と思ってみています。



2週間がたち、フネは居場所をお風呂場の隅に変えました。
床が冷たいほうが癌という炎症をもっている身には冷たくて気持ちいのか、いろんな音やおばあさんの話しかけることももううっとおしくなって、1人で放っておいて、と暗いところがよくてそこへ行ったのか、おばあさんにはよくわかりませんでした。
そしてまた2週間後。
ある日、フネは「クエッ」という短い奇声を一声あげたかと思うと、もう一声また「クエッ」と言ってそして亡くなりました。
おばあさんは
「やっぱりフネは偉かったなぁ」
と思い、自分もフネのように死ぬ時は死にたいなぁ、と思います。
考えてみたら、古来の人間はそうやってみな、死んでいったのではないか。
騒ぎ立てるでなく、ただじっとしていて、そのときがきたら、最後の呼吸を吐ききって死んでいく。
そういう風に死にたいなぁ、とおばあさんは思いました。
――――というところでそのお話しは終わりました。



私はチャワンテとフネを重ねあわせながら、
「なんでまた、このタイミングでこういう番組を見ちゃったかなぁ」
と思いました。
猫が死ぬときってたいていこういうものではないか、というお話しが淡々と綴られているだけの話だし、おばあさんも感傷的になるでもなく、おばあさんも淡々とフネの死にゆくさまを観察している。
ただ私がやりきれない、と思ったのは、末期の癌になった猫で何も食べなくなっても、それから死ぬには1か月もかかるのか、ということでした。
犬や猫はだいたい人間の4倍のスピードで年を取る、と言いますが、そういう意味でいえば、これは人間ならば、もうダメか、となってからまだ4か月もかかる、ということになります。
それをそばについている者はずっと見続けなければならないのか、と思うと辛いなぁ、と思ったのです。



チャワンテはあれから変わりません。
そりゃそうですよね、検査して特に今回の症状に特別結びつくほど悪いところは見つからなかったというだけのことで、そのための積極的な治療はほどこしていないのですから。
食べる量は減り、相変わらずうんPをすると血便をそのあと垂らします。
でも、私はまた麻酔をかけてこれ以上精密検査をするとか、せっせと病院へ連れて行くことはやめようと思いました。
父だって、
「80歳を過ぎてガンだとわかったとて、もう手術をするつもりもないし、積極的な治療をするつもりもない」
と言って、ただ自然に死んでいくことを選びました。
チャワンテも人間の年齢にしたら80歳を超えている年です。
チャワンテだって、積極的に治るための治療はできないのに、ただ点滴するために医者に連れて行かれるのはもうイヤでしょう。
チャワンテもフネのように何も訴えかけてはいません。
ただ静かに自分の身に起こっていることを受け容れているだけです。
穏やかで静かな眼をしています。
何も求めていない感じがします。
そばで見ている私は、
「あ! 水飲んだ!」とか、
「けっこう、食べた!」とか、
「ちゃんと砂場行った!」とかのレベルで一喜一憂していますが、本人(?)はいたって平然としています。
ひょっとするとこのままチャワンテは確実に死に向かっているのかもしれませんが、私はこのおばあさんのようにただ静かに見守ろうと思います。