ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

生かされてきた人生

2018-07-14 08:52:12 | 身辺雑事
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NEW! モニターさん募集

 「潜在意識書き換えカラーセラピー」
   近日リリース!

7月以降のモニターさんを募集します。  8月の予定もUPしました!
※モニター体験は1回限定でお願いいたします。

<潜在意識書き換えカラーセラピーって?>
ヒプノセラピー×カラーセラピーの融合、と思ってください。
自分の潜在意識を可視化できるカラーセラピーで自分の意識を確認しながら、過去、あるいは前世に戻って自分のインナーチャイルドを癒します。
ショックや辛い経験を新たな記憶に書き換え、戻ってきます。
自分にはショックや辛い経験なんてない、と思ってらっしゃるでも、私たちはある意味「生まれてきたことそのものがショック」ですから(羊水のなかで呼吸していたものをいきなり肺呼吸しなくてはならない、というだけでも人生で一大のトピックスです!)、必ずトラウマになっているようなことはあります。
よりよい未来を創りあげるために、ぜひ「潜在意識書き換えカラーセラピー」を体験ください。

120分  ¥25000   ⇒ モニター価格  ¥5000                   
 ※アンケートにお答えいただくことが条件となります。

 岐阜市 ヒーリングサロン 些々羅 にて

 お申込みは、chakra@aura-soma.name

<7月の受付可能日時>
          7月のご予約はすべて埋まりました。ありがとうございました。

 7月 9日(月)  10:00~      13:00~      
   10日(火)  10:00~      13:00~      
   11日(水)  10:00~      13:00~      
   14日(土)  10:00~      13:00~      
   16日(祝)  10:00~      13:00~       
   17日(火)  10:00~      13:00~      
   18日(水)  10:00~      13:00~      
   21日(土)  10:00~      13:00~ 

 8月 4日(土)  10:00~      13:00~
    6日(月)  10:00~      13:00~  
    7日(火)  10:00~      13:00~
   18日(土)  10:00~      13:00~
   20日(月)  10:00~      13:00~
   21日(火)  10:00~      13:00~
   27日(月)  10:00~      13:00~
   28日(火)  10:00~      13:00~
   29日(水)  10:00~      13:00~

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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




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*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。


*目標が明確になります。



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一昨日は、「人間は生かされている」ということについて考えさせられた記事を書きました。
それは、この世において人間はともすると「自分たち人間という種が1番優秀でエライ。それ以外の動物たちは人間の支配下にある」というようなおごった考え方をしてしまいがちですが、逆に小さな動物たちや植物たちによって人間は生かされているんだなぁ、と感じたという話でした。
それとはまた別の意味で、「どこかの地点でちょっとしたボタンの掛け違いがあったらすぐに私の命なんて奪われていたかもしれないけれども、今、こうして生きている。これが天の采配でなくてなんだろう?」という気持ちになりました。
被災地の様子をニュースで見ていたときのことです。
被災地では猛暑と水不足などがあいまって、なかなかゴミの処理や流れ込んだ泥土を掃き出すことができないようです。
ほんとに御気の毒です。
一刻も早い復興を願います。



私は「伊勢湾台風」の被災者です。
被災者といっても、当時私は物心もつかない1歳でしたから全く覚えていませんけれども。
伊勢湾台風の犠牲者の数は阪神・淡路大震災が発生するまで、第二次世界大戦後の自然災害でもっとも大きいものでした。
犠牲者の数は、死者4697人、行方不明者401人、負傷者38921人にのぼりました。
さらに、ほぼ全国に及んだ経済的被害も破格の規模でした。
この伊勢湾台風が襲ったとき、私の一家は被害が最もひどかった名古屋の南区に住んでいたのです。
今回も、避難勧告が出てもまだいいだろう、と思っていたら、ほんの30分、1時間でみるみる水位があがって逃げそびれた、という人が数多くいらっしゃるようですが、伊勢湾台風のときも母に話を聞くと、
「まぁ、浸水はするかもしれないけれどまだまだかな~」
と思っていたら、ある地点からあっという間に1階のすべてが水浸しになるという恐ろしさを経験したそうです。
当時、まだ平屋の家が多かったなかで、うちは屋根の上に物干し台が設置してあったので、そこに近所の方がたも避難してこられました。
そして、ショックのあまりおっぱいが出なくなってしまった母は、私が飢え死にしてはいけない、と河となった道路にぷかぷかと浮かんでいた缶詰をなんとか奪取し、釘のようなものでガンガン叩き、穴をあけ、その穴から白桃の汁などを吸わせ、飢えをしのいだそうです。
まる一昼夜、その物干し台で過ごしたとき、岐阜から親戚がいかだを作って救助に来てくれてなんとか着の身着のまま助かったのです。



この話のなかにはいくつもの生死を分けたポイントがあると思います。
缶詰など口にできるものが流れてこなかったら・・・
缶詰を開ける手立てがなかったら・・・
幼い赤ちゃんだった私が何か感染症にかかってしまっていたら・・・
ずっと1昼夜外に居て、照りつける太陽のせいで熱中症や脱水を起こしていたら・・・
岐阜から親戚が助けに来てくれなかったら・・・
これらはすべて簡単に考えることのできることばかりです。
1つ何かポイントがずれていたら、私は伊勢湾台風で亡くなっていたかもしれないわけです。
そう考えると今、この年令まで命を長らえていることに改めて本当に感謝の念が沸き起こってきました。
いろんな人の助けがなかったらここまで生きられなかった。
阪神・淡路大震災が起こったとき、すべてそのニュースばかりが1日中流れていたテレビをぼんやりと眺めながら父が言いました。
「人間、一生のうちには何か1回は大きな災害に遭うようにできとるんかいなぁ・・・」
と。
これは受け取りようによっては不謹慎な発言かもしれませんが、伊勢湾台風で何もかもを失い、命からがら親戚を頼って岐阜に移り住んでまた1から生活を建て直した父が言ったことだったので、私は素直に聞くことが出来ました。



こういうわかりやすい災害がなかったとしても、人は自分のあずかり知らないところで、
「実はおまえ、死にかけたんだぞ!」
なんていうことがないとも限りません。
たとえば、自分が道を渡った直後に猛スピードの車が走り去ったとか。
後ろを振り返ることがなかったから気付かなかったけれども、そういうことだってあったかもしれません。
1つ間違っていたら命落としてたよね~ということが。
だいたい小さい子のやることを見ているとハラハラさせられるようなことばかりです。
たいてい1度や2度はあぶなっかしい冒険をしてしまって肝を冷やすようなことをしているはずです。
それでもそれをかいくぐり生きてきた。
これはもう「がむしゃらに生きぬいてきた」、というよりは「何かしらの大いなる力によって生かされてきた」という気がします。



こういうことを言うと、それを逆手にとって、
「では、亡くなった人はそこで亡くなる意味があったんだ、ということか」
と噛みつく人もいるかもしれませんが、そういうことを言っているのではありません。
それは私にもわかりません。
“意味”があったのか、ないのか・・・。
そもそも“意味”で論じることなのか・・・。
それは全く私にはわからないです。
ただ、私は私にとってのこれまでの人生が「生かされてきた」ことによる感謝の人生だったな~ということを改めて感じた、ということだけです。
これからもどこかで災害は起こるでしょう。
そのときに私が生かされるのか生かされないのかわかりません。
でも、せっかく命があるなら、少なくとも精一杯生きないと申し訳ないな、ということを強く思いました。