ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

天使に近づく

2009-05-30 09:37:20 | 天使

最近、私は天使に興味がある。

もともと天使グッズは好きだったけれど、きっかけはとくにないの。

でもなんだか最近とっても天使に惹かれる。

あえていえば、エンジェルカードで見てもらってからかなぁ・・

でも、エンジェルカードっていうツールに衝撃を受けたわけでもなかったんだけれど。

思い起こせば私が通った幼稚園の名前が「天使幼稚園」。

家からは遠い幼稚園で、近所のお友達がみんな「あぁ、あそこね。そうだよね。このへんの子ならあそこだよね。」というところをうっちゃって、母親が何園も見学に行って決めてくれた「天使幼稚園」。

母親は幼稚園の敷地に一足入ったときからその雰囲気のよさに「ここだ!」と思ったといいます。

カトリックの幼稚園で、おべんと食べる前に「天にまします我らの父よ。・・・アーメン。」って言うところだけほかの幼稚園とは違ったかもしれないけれど、あとはなんにも変わらない普通の幼稚園だった。

あ、週に1度だけは礼拝がありました。

こどもだからじっとしていなくてはならないのが苦痛ではあったけれど、私はあの礼拝堂の空気感が好きでした。なんだか他の場所とはどことも似ていない凛としたものをこどもながらに感じ取っていました。

天使幼稚園で友達になった友人は、小学校、中学校にあがってからも一度も一緒のクラスになったことがないまま、いまも友達だし。

ひょっとして私の原点はあそこかも。

な~んて。


このブログを始めたばかりの頃にも書きましたが、私がオーラソーマのコンサルテーションを始めるためにボトルを購入して棚に並べていたときにも、どこにもぶつけていないし落としてもいないのに、いきなり独立したままB94「大天使ミカエル」が割れました。

しかも、割れた破片のカタチが天使の羽根のカタチでした。

当時私はまだボトルの名前もそれにこめられた意味も教科書を見なければ覚えていないありさまで「なに!? なに!? なんで割れちゃったの。これ、なんてボトル?」とすぐに教科書をみると大天使ミカエルのキーノートが「道は開ける」だったことから「私のこれからのオーラソーマの道は明るい!」と感激したものでした。

先生にもこの話をしたら、「きっとあなたのお部屋にミカエルが住んだのね。」と言ってくださったし。

そのボトルはいまだに記念に飾ってとってありますが、そういえば最近、拭いてあげてないなぁ。お手入れしてあげなきゃ。ミカエルが怒っちゃう・・(汗)


B11「エッセネボトル」を使って初めてボトルを使ったことによる気づきが実感できた、と以前に書きましたけれど、あれは「自己受容」ができるということがあまりにも大きなテーマとして知られていますが、「天使とワークする」という意味もあるボトルです。

う~ん、ひょっとすると天使が気になりだしたのもあのボトルを使ったこともあるのかなぁ・・

天使とは、よく羽根のついた男性とも女性ともつかない中性の美しい存在として描かれていますが、実際にあんな姿をしているわけではなくて、皆さん、あれは人間に想像しやすいように便宜上ああ描かれているだけだとはうすうす感づいていらっしゃいますよね?

では、本当はどんな姿をしているかご存知ですか?

いざ、そう言われると・・・と言う方がほとんどなのではないでしょうか。

実は天使とは「光」なのです。

私はこれを越智啓子という精神科医の方が書かれた「天使の世界へようこそ!」と言う本で知りました。

その本には彼女がフランスのアルルへ行ったときに撮った写真に太いまっすぐな光がズドン!と3本写っているところが載っているのです。

こんなもの、今の技術ですればいくらでもインチキの合成が可能だ、とおっしゃる方があるかもしれません。

そうかもしれません。

これがインチキかどうか、というよりも技術の問題として現代であれば、そういうことも可能かとは思います。

しかし、彼女がそんなことをする理由が見当たりません。

それによって彼女は何もトクをしないからです。

むしろ、医者という科学的な職業につきながら「天使が居る!」「天使が写った!」といえば、迫害されることのほうが多いのではないでしょうか。

そんなリスクを負ってまで言うことではないように思います。

だから、私は信じます。

天使が光の存在だ、ということを。

天使とは光の存在。

オーラソーマも光の存在。(オーラソーマのボトルは光が当たった状態で見る、光の色です。)だとすれば、オーラソーマのボトルたちにはあえて大天使シリーズと銘打たなくてもすべてのボトルに天使が入っているのだ、という気もします。

そして、その波長は人間の細胞が持っている波長の長さと同じ。

つまり、人間も光の存在。

人間を英語で言う「Human」の「Hue」とはもともと「光」のことです。

みんな、つながっている。

みんな、対話できてあたりまえ。

そう思ったとき、目の前がそれこそ光のシャワーを浴びたようにパアッと神々しく光ったような気がしました。

なんて、すばらしい!

B94「大天使ミカエル」から最新のB106「大天使ラツィエル」に至るまでずっと大天使シリーズが続いています。

この先も続くのか、これで大天使は打ち切りとなるのか、それは誰にもわかりません。

たぶん、ボトルが自ら姿をあらわし始めるまで、マイク・ブースにさえわかりません。

けれど、現代が天使のメッセージを求め、天使とつながることが今こそ大切にされている時代となったことは実感します。

そう考えたとき、私は大天使についてあまりにも知らなさ過ぎる自分に気づきました。

オーラソーマの授業でボトルメッセージとして知っただけの大天使の知識では物足りない。浅すぎる。

そう思って、自分で天使の事典を何冊も買い込み、調べ始めたところです。

いろんな興味深い記述がありました。

それはまたおいおいボトル解説で皆さんにもお伝えしていきますね。

コンサルテーションでも反映できるといいな、と思っています。

「天使幼稚園」から始まって、オーラソーマの活動もB94「大天使ミカエル」が割れたことに始まって、私の人生の節目にはいつも天使がいたのかもしれない。

そして、今こそ私はブループリントに戻り自分の使命に気づくときがやってきたのかもしれない。

昨日のB「51 クツミ」でも書きましたが、初めからブループリントがわかっていたら、こんな回り道をしなくてすんだのに、とは思いません。

もしわかっていたら、私はやっぱり横道にそれていたと思います。

もともと私の人生は青写真で決まっていたとしたなら、そのなかで私がどう自分の魂を修練させアセンションすることができるかが問題なのであって、ブループリントの存在そのものや筋書きはどうでもいいような気もします。

ようやく私の魂の道が始まったのかもしれないと思うとなんだかわくわくします。




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