ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

真実の愛

2009-05-15 08:02:56 | 健康・病気

友人のご主人で、もう何年もうつ病をわずらっている方がみえます。

私にはうつ病の知識は皆無でして、なんとなく長引く病気なんだろうな、ぐらいでした。

ですから彼女が以前に「うつ病といったって、たいがいは躁も併発して、そう状態のときもあるのよ。」と言ったときには、

「じゃあ、元気なときもあるってことだね。」などと間抜けなことを言ってしまい、彼女に

「そうでもないのよ。元気だったらいいってもんでもないの。いきなり何をしでかすかわからないから目が離せなくて。かえってうつ状態でいてくれたほうが、少なくとも家のなかに閉じこもっているに決まっていると思えるから私は楽。」と眉をくもらせることになってしまいました。

なんでも大事にしていたライカのカメラがあったのに、ちょっと目を離したすきに売りにいってしまったことがあったそうです。

カメラ屋のおやじさんは気がつかなかったでしょうね。うきうきとカメラ談義をする彼がただの躁状態のうつ病患者であるとは。

もちろん、彼があとでうつ状態になったときに自分のその行為を悔やんだことは言うまでもありません。

その彼女と最近会いました。

「どう? ご主人の調子。」と尋ねると、

「うん、浮き沈みがありながらも、徐々に快方に向かっている、って感じかな。」という答えでした。

「そう! 良かったじゃない。」という私になぜか浮かない顔の彼女。

どうしたのかな? まだ何か気がかりなことがあるのかな? それとも快方に向かっている、っていうのがウソなのかな? そんなことを考えながら、彼女の顔色をうかがっていると、どうしようかな、と迷っていた様子の彼女が意を決したように、話し始めました。

「治ってはきているけれど、以前の、私の知っている彼、じゃない。」

そう絞り出すように言ったのです。

「えっ! どういうこと!」びっくりしました。

「薬のせいなのか、長くうつ病をわずらっていたせいなのか、本人が変わったのか、何でなのかは私にもわからないんだけれど、とにかく出会ってからうつ病になるまでの彼じゃないの。」

「どういうところが違うの?」

言いづらそうに言葉を選ぼうとしていた彼女が口を開いたときには、こう言いました。

「どういうところ、とは言えないの。それは私だけにわかることだと思う。だから医者にも言っていないし、これからも言う気はない。っていうか、言葉にはできないようなささいなことの積み重ねなの。医学の領域じゃないって気がするし。」

あまりの衝撃に私は言葉を失いました。

ものすごくたくさんのことをまだ彼女に尋ねないといけないような気もしたし、反面、もう何も聞いちゃいけないような気もしました。

一瞬考えたあげく、後者を採択した私は、何も聞かない、と決めたなら、下手に慰めの言葉も浮かんでこないわけだな、となんだか泣きそうな気分になりました。

いかん、いかん、こんなところで泣いちゃ。

何倍も彼女の方が泣きたいだろうし、あるいはもう涙を流すことなんてそんな甘っちょろいもんじゃなくてちゃんちゃらおかしいわ、なんて感じかも。

最後に彼女は、

「これから医者にはこれで完全に治りましたよ、もう来なくていいです、って言われる日が来るかもしれない。だけど、私にはわかる。もう2度と元の彼には戻らない。これは単なる勘だけど、そんな気がする。」とつぶやくように、何かを決意したように言いました。

壮絶な話だな、と思いました。

大事故や癌で大手術をするとかも壮絶な闘病記だけれど、これはまた違う意味で壮絶だ。ある意味、こちらのほうが壮絶かもしれない。

だって、人格が変わってしまう、というんですよ。すべてのうつ病患者がそうなる、というわけでもないでしょうけれど。

そして彼女の何か1点を見据えて自分に言い聞かせるように話した様子からは、たぶん、彼女は違ってしまった人格の彼もこれからずっと愛し続けていく、という決意をしたんだろうな、と思いました。

すごいことだな。とてもマネできない。

ちょっとだけ想像してしまいました。

ダーリンが精神の病で違う人格になる。それでも私はずっと愛し続けることができるだろうか。できるとしたら、何をよりどころに?

外見が変わってしまう、というほうがまだしもすぐに立ち直れると思う。

けれど、その人の人格が好きになったのに、そこが変わってしまったら気持ちも変わってしまうのではないの? そして誰もそれを責められないのではないの?


でも、彼女は「私にしかわからない。」と言いました。

「変わる前」「変わった後」の両方ともその差異が彼女にしかわからないものであるならば、変わった後のものも彼女は「私にしかわからない」ということを支えに愛し続けられるのかな。

それともうすうす彼女には、「変わったけれどそれでも変わらずにあるもの」が見えているのかな。

それは魂のことだろうか。性格や人格を超えたところにある魂のレベルでの愛・・・

人格と魂というものは、似ているけれど、すこぉし違うようにも思います。

魂が人格を包含している、っていうか。

魂のほうがその領域が広いような気がします。

だからひょっとしたら彼女は人格は変わっても彼の魂が変わらずにあるものを何か一生懸命見ているのかもしれない。

ふたりがこれからも幸せであること、魂の向上の旅を続けることを心から願いました。



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