ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

短い文に気持ちをこめる国民性

2009-05-13 08:13:05 | うんちく・小ネタ

友人が「そういえば、昨日テレビでやってたけど、日本は世界で一番メールをやりとりする国民らしいよ。」と言いました。

なるほど。さもありなん。

私も前に聞いたことはありますが、同じ家の中に住んでいる夫婦や親子がメールで会話しているなんていう家もあるらしいですから。

友人は続けます。

「で、それは平安時代からの文化らしいよ。相手に和歌を届けて、その届けたお付きの人が返しの文をもらえるまで待ってるとこなんかメールにそっくりだって。」

「でもさぁ、あれはあくまで上流貴族社会だけの話でしょ。それも御簾の向こうに顔を見せてくれないお姫様がいて、自分の和歌のセンスによっては恋人になってくれるかもしれなくて、恋人になれたら初めて御簾の内側に入れてもらえて顔を見ることができるから、隠されると暴きたくなるって人間性でせっせとやりとりしてただけじゃないの。

あの文化が脈々と今に受け継がれてるっていわれても、庶民の感覚じゃないと思うなぁ。」とわたし。

「でも、和歌だけじゃなくて、俳句とか川柳とか短い言葉のなかに気持ちをこめようとする、って文化は日本の場合、やっぱり庶民の中にまでも根付いているじゃない。」と友人。

なるほど、そうでした。

なるべく簡潔な言葉で相手に気持ちを伝えようとする国民性。

そこには、自分が考えていることドンズバリでなくても、相手が「こうかな、こういう意味もあるかな」とある程度簡潔な言葉を推し量って、意味を広げて考えて、あなたなりに解釈してくれればいいのよ、という懐の深さがあるような気もします。

行間を読み取る、っていうかな。

つまり、推理ゲームを楽しむようなもんです。

文字がないところにも相手の感情を読み取る。

それは、賢い人でなくてはできません。

なぜなら賢い人というのは沈黙を無限に解釈してくれるから。

皆さんも恋人と喧嘩したような場合、相手に急にふっと黙られたりすると不安になって、「何か、言ってよ!」なんて言ったりしませんか?

下手に暴言を吐かれるよりもこの沈黙の方が怖かったりする。

和歌、俳句、川柳なども相手との心の距離をチョンチョンと短い文章でつっつきあいながら図っているというようなところがありますね。

面倒くさ~と思わずにこういうやりとりを楽しめるというところが心のゆとりかな、とも思います。

たぶん、時間の流れ方がゆったりしているんでしょうね。アングロサクソン民族などと比べて。

だって、お米のように文字どおり「八十八」の手間をかけて収穫する食べ物を主食としているんだもん。気が長くなくてはなっていられません。

となると、昔に比べると今はすべてのスピードが速くなっているから、逆に極端に短い文章に詰まった相手の気持ちを推し量る、なんてことは流行らないかな?

現に俳句も和歌も川柳も形を変えて現代に残っている、っていうものはないものねぇ。

せいぜいサラリーマン川柳というのが残っているくらいで。

あとは、年末に「今年を一文字で表すと何になるか?」ってのが話題になるくらいかなぁ。

こうしてみると自らに心のゆとりをつくるために、あえて和歌や俳句などをときに楽しんで友人とやりとりしてみる、なんてのも楽しいかもしれませんよ。

内容よりその行為そのものにゆとりが生まれるような気がします。

・・誰ものってこないだろうなぁ・・




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