私は車の運転が出来ませんので、夫の車に乗せて貰って出かけることが多いです。そんな時は何時も助手席に乗って、道路標識や、信号、左側の歩行者や自転車、右折して来る車などに注意しています。
ところで狭い道路で対向車が来ると、夫は早めに道幅の広い場所で止まって待っています。そんな時軽く会釈したり、手を挙げて有り難うのサインをして行く人が少ないのが気になります。
夫は対向車が停車してくれた場合必ず手を挙げて、有り難うのサインを出しますし、私も助手席で軽く会釈して、お礼の意を表します。お互い一寸した心遣いでとても気持ちよく、しかも安全にすれ違うことが出来ます。
ところが何時でしたか、狭い路地で対向車があり、そのまますれ違えない道幅で、向こうから来た車の左前に空き地があったので、当然向こうの車が其処で自分の車を左に寄せて待っていて呉れると思っていました。ところが相手はピカピカとライトを点滅させて、来るなと合図するのです。こんなことに出会うのは初めてなので、夫もまごつきましたが、既にその道に入っているのですから、仕方なく徐行しつつ、私達の車の右側の空き地に寄せて対向車をやり過ごすしかありませんでした。
これはとても危険なことです。対向車は右を通る筈なのに、左側を通って擦れ違うのですから。30代の男性と思しきその人は、平然と手を挙げるでもなく、夫の車の左をすり抜けて行きました。自分が通るから道を空けよと云わんばかりの態度に、この人はこの人間社会の中でどういう生き方をしているのだろうと心配に思うと同時に、このような運転ではきっと事故を起こす人だと直感しました。
話は少し違いますが、自転車に乗っている人が最近はベルを鳴らさなくなったように思います。年を取ってくると、耳が聞こえにくくなって、後ろから自転車が来ていることに気が付かないことが多く、うっかり一歩横に寄ったら、追突されるところだったという場面が良くあります。 私達はウォーキングが日課ですから、一時間くらい歩いていますし、高校の近くに住んでいますので、自転車に追い越されることが多いのです。しかし、ベルを鳴らされたことは一度もありません。ベルはそこのけそこのけと云っている訳ではなく、安全の為に鳴らすように付いているのです。ベルを鳴らしたくなかったら、「済みません」と声でも掛けて貰えれば、気付いてしっかり道を譲ります。
何時でしたか「ベルは絶対鳴らさないので、付ける必要がない」と新聞の投書に出ていて驚きました。理由は歩行者に失礼だから、というのです。でも果たしてそうでしょうか。 音も無く近づいて歩行者に怪我をさせることを考えたら、どんどん鳴らして、事故を防ごうとする方がむしろ親切ではないでしょうか。凄いスピードで横をすり抜けられると、身が縮む思いをします。
この広い世界の中で、たまたまこの日本という国に住んで、同じ時代を生きている事は、本当に奇跡に近く、しかも擦れ違うとはこれも縁あってのこと。お互い気持ちよく譲り合って、事故のないように、そして有り難うの感謝の心を持って擦れ違えば、その日はきっとお互いに爽やかな一日となることでしょう。
近付かんとすれども及ばぬ思いあり遠き信号赤に変われり
渋滞にそれぞれの時間乗せたまま共有したる空白の時
(全て実名で某誌に掲載)
ところで狭い道路で対向車が来ると、夫は早めに道幅の広い場所で止まって待っています。そんな時軽く会釈したり、手を挙げて有り難うのサインをして行く人が少ないのが気になります。
夫は対向車が停車してくれた場合必ず手を挙げて、有り難うのサインを出しますし、私も助手席で軽く会釈して、お礼の意を表します。お互い一寸した心遣いでとても気持ちよく、しかも安全にすれ違うことが出来ます。
ところが何時でしたか、狭い路地で対向車があり、そのまますれ違えない道幅で、向こうから来た車の左前に空き地があったので、当然向こうの車が其処で自分の車を左に寄せて待っていて呉れると思っていました。ところが相手はピカピカとライトを点滅させて、来るなと合図するのです。こんなことに出会うのは初めてなので、夫もまごつきましたが、既にその道に入っているのですから、仕方なく徐行しつつ、私達の車の右側の空き地に寄せて対向車をやり過ごすしかありませんでした。
これはとても危険なことです。対向車は右を通る筈なのに、左側を通って擦れ違うのですから。30代の男性と思しきその人は、平然と手を挙げるでもなく、夫の車の左をすり抜けて行きました。自分が通るから道を空けよと云わんばかりの態度に、この人はこの人間社会の中でどういう生き方をしているのだろうと心配に思うと同時に、このような運転ではきっと事故を起こす人だと直感しました。
話は少し違いますが、自転車に乗っている人が最近はベルを鳴らさなくなったように思います。年を取ってくると、耳が聞こえにくくなって、後ろから自転車が来ていることに気が付かないことが多く、うっかり一歩横に寄ったら、追突されるところだったという場面が良くあります。 私達はウォーキングが日課ですから、一時間くらい歩いていますし、高校の近くに住んでいますので、自転車に追い越されることが多いのです。しかし、ベルを鳴らされたことは一度もありません。ベルはそこのけそこのけと云っている訳ではなく、安全の為に鳴らすように付いているのです。ベルを鳴らしたくなかったら、「済みません」と声でも掛けて貰えれば、気付いてしっかり道を譲ります。
何時でしたか「ベルは絶対鳴らさないので、付ける必要がない」と新聞の投書に出ていて驚きました。理由は歩行者に失礼だから、というのです。でも果たしてそうでしょうか。 音も無く近づいて歩行者に怪我をさせることを考えたら、どんどん鳴らして、事故を防ごうとする方がむしろ親切ではないでしょうか。凄いスピードで横をすり抜けられると、身が縮む思いをします。
この広い世界の中で、たまたまこの日本という国に住んで、同じ時代を生きている事は、本当に奇跡に近く、しかも擦れ違うとはこれも縁あってのこと。お互い気持ちよく譲り合って、事故のないように、そして有り難うの感謝の心を持って擦れ違えば、その日はきっとお互いに爽やかな一日となることでしょう。
近付かんとすれども及ばぬ思いあり遠き信号赤に変われり
渋滞にそれぞれの時間乗せたまま共有したる空白の時
(全て実名で某誌に掲載)