ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

短歌との出会い

2009年06月05日 | 随筆・短歌
 私が短歌の道に入ったのは、本当にひょんなことからでした。鬱にかかって外出もあまりせず、閉じこもっていた私に、何気なく夫が「短歌でも詠んでみたら」と言うので、それもそうだと少し詠み始め、やがて偶然出したNHKの歌壇に選ばれて、教育テレビで私の作品が放送される事になりました。岡井隆先生の選で入選したので、是非番組を見るようにとNHKからも連絡を頂きましたので、当日はテレビの前に夫婦して座っていました。
 やがて番組が始まって、入選十首の発表があり、その中で秀作三首を選ぶ事になりました。まさかと思っていましたら、何と第二席に入賞したのでした。その瞬間から急に心臓がバクバクしてきて、体調が悪くなってきましたので、慌てて夫も私も床に入って寝てしまいました。何ともぶざまな話ですが、思っても見ない事が突然起きると、それがたとえ目出度い事であっても、半病人のように成ってしまうということを初めて経験しました。
 それが契機になって、以来ずっと詠み続け、いろいろな雑誌や新聞に投稿し、掲載して頂くようになって今日に至っています。何が契機になるのか、私の何処にそんな素質が潜んでいたのか、全く気が付きませんでしたし、退職後にこのような生活が待っていたとは本当に不思議です。今こうして、ブログを書いていることもその一つです。
 先祖に俳句を好んだ人が居て、実家の庭に私の背丈より高い、芭蕉の句碑があります。裏にその人の辞世の句が彫られています。遠い昔からそんな遺伝子が受け継がれていたのでしょうか。
 10年以上前になりますが、松山に行った時に、子規記念館に立ち寄った事がありました。とても立派な記念館で、松山の人達が如何に子規を誇りに思っているか良く伝わって来ました。
 その後子規100年祭に子規顕彰全国短歌大会がありましたが、たまたま出品していた私が、入選となりました。その春に四国遍路に行っていましたので、とても遠いし出席を遠慮させて頂きましたら、後で立派な賞状が送られてきて恐縮しました。子規は今でもなお短歌の師として生きていると思った事でした
 歌人の記念館と言えば、私が一番好きな啄木の記念館を、岩手県の盛岡市渋民に訪ねた事、山形県の上山に斎藤茂吉記念館を訪ねた事が思い出されます。洋風な白い啄木記念館には、裏手に渋民尋常高等小学校と、斉藤家が移築されていました。校舎の片隅の古いオルガンが当時を懐かしく偲ばせてくれました。 
 茂吉記念館へ行ったのは、燃える様な紅葉の美しい季節でしたが、静かな館内には、茂吉の愛用の品々や、作品が並べられていて、現代の歌人の短歌も並べられていました。
 茂吉を慕う歌人の多い事を思いながら「自然道」と大書されている記念館を後にしました。
  
  静寂の中に「自然道」と書きてあり鈍き光さす茂吉記念館
  歌人(うたびと)の色紙並みいて立ち上がる心模様が透けゆく秋日
  厳しかる冬の陸奥思ほへば逆白波(さかしらなみ)が目に浮かびくる
                    (全て某誌に実名で掲載)
 
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