ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

仁左衛門の擂り粉木

2009年06月11日 | 随筆・短歌
 夫の生家は仁左衛門という屋号を持っています。今は我が家の関係の人しか知りません。擂り粉木はご存じだと思いますが、すり鉢にゴマなど摺る時に使うものですが、我が家に引き継がれているのは、大昔から家に伝わってきた榧(かや)で出来ています。榧はとても固くて、手頃な太さの榧を山で探すのは、中々難しい事だと聞いています。
 先祖代々が使って、恐らく今は初めの頃の半分位の長さになっていいると思います。この家が建って、義父母が引っ越してきた時に、引き払った田舎の家から持って来たものです。きっと義母もそのまた義母もずっとさかのぼって、代々の女達の手で使われて来たものでしょう。
 私もこの榧の擂り粉木が大好きで、良く胡麻和えや白和え胡麻のおはぎなどをを作るのに使います。何だか祖先が喜んでくれているようで 、とても気に入っています。
 嫁から嫁へと引き継がれてきた、きっと嫁の誇りの調理器具だったと思います。それが今私の手元で活躍していると思うと、何とも言えない嬉しさと力強さを覚えます。
 義母は昔の人らしく、お裁縫も良く出来たし、編み物が好きで私達の子供のセーターなどはみな義母のお手製です。私も肩掛けなど編んで貰いました。手編みは機械で編んだものより、手触りも温かさも格別に感じられます。まさに愛情を編み込んでいるからだと思えます。冬の夜など義母の編んだ毛糸の肩掛けは、何とも言えぬ温かさで私を包んでくれました。仕事を持ち帰ってする事も多く、夜中まで掛かることが度々でしたから、それはそれは重宝しました。
 私は編み物のような辛苦な仕事は苦手ですが、子供服は沢山作りました。娘が勤めるようになっても、娘の希望で型紙を作り、スカートやワンピースなどを作って送ってやりました。買えばもっと素敵な洋服も買えたでしょうに、そう思うといじらしくも思えます。
 石垣りんの「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」という詩をご存じでしょうか。次に少し抜粋させて下さい。

 それはながい間  私達女の前にいつも置かれてあったもの
 (中略)
 劫初からうけつがれた火のほてりの前には  
 母や祖母やまたその母たちがいつも居た
 その人たちはどれほどの愛や誠実の分量を  
 これらの器物にそそぎ入れたことだろう
 (中略)
 台所では  何時も正確に朝昼晩への用意がなされ 
 用意のまえにはいつも幾たりかの
 あたたかい膝や手が並んでいた。
 ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
 どうして女がいそいそと炊事など繰り返せたろう?
 (中略)
 私たちの前にあるものは  鍋とお釜と燃える火と 
 それらのなつかしい器物の前で
 お芋や肉を料理するように  深い思いをこめて 
 政治や経済や文学も勉強しよう
 それはおごりや栄達のためでなく 
 全部が  人間のために供せられるように
 全部が愛情の対象であって励むように
 
なんと素晴らしい詩だろうと読む度に感動します。
 たった一本の炊事用の器具、その中に女達の家族を愛する温かい心情が脈々と引き継がれて行くことのすばらしさ、そして希望、そんなものを私も引き継ぎそして又次に送って行きたいものです。

 仁左衛門と屋号刻みし擂り粉木は嫁のわたしの手に馴染みたり
 器にも魂あらむとささやかな魚菜を盛りて夕餉ととのふ
                 (全て実名で某誌に掲載)
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