近くに一人暮らしをしている友達がいます。今朝会いましたら、長年可愛がって育てていた猫が亡くなったというのです。遠くに住む娘さんが、たまたま昨日帰って来た時は、もうすっかり動けなくなっていたのに、弱々しく尻尾を振り、ゴロゴロと喉を微かに鳴らして、力の限り歓迎をしたといいます。
帰る娘さんを送り出して戻ってみると、何と猫が涙を流していたというです。「猫の涙を初めて見た」と友達はいい、今朝自分の手の中で静かに旅だった、と涙ながらに話してくれました。長い間共に暮らすと、猫も人間も別れの辛さは同じです。
私には生涯を独身で過ごし、独り残った母と最後まで一緒に暮らして、それはそれは良く面倒を見た弟がいます。離れて暮らす私が、時折母の所へ様子を見に行くと、母は昼食に弟が出勤前に作り置いたお弁当を食べていました。そのお弁当は実に細やかな愛情に満ちていて、歯の無い老人にも食べやすい様に柔らかく、栄養が整っていて色合いも工夫され、男の人が作ったお弁当とは、とても思えない見事なものでした。こんなに細やかな心遣いが果たして私にも出来るだろうか、と考えさせられたものです。
母の面倒を見る事を生き甲斐のようにして過ごした弟だったせいか、母が亡くなって間もない或る夜、泣きながら電話を掛けて来ました。「もっと良く母の面倒を見てやれば良かった」という後悔が湧いてきて堪らないというのです。義父母を見送った経験があり、どんなに心を尽くして看病しても、亡くなられると必ず「もっとこうして上げていれば」という後悔に苛まれる事を良く知っていた私は「どんなに完璧に看病しても生じる後悔だ」と慰め、母が生きていた頃「私は日本一幸せ者だ」と口癖のように云っていた事を伝えました。母は弟には、面と向かってそんな事は言わなかったのでしょう。私の言葉に驚いた様子でしたが、暫く涙を流した後電話は切れました。でも共に暮らしてきた人が居なくなってみると、淋しさはつい後悔を呼ぶらしく、何日も何日も夜になると泣きながらの電話が来ました。感謝の涙、優しさの涙はみな美しい、と思った朝でした。
帰る娘さんを送り出して戻ってみると、何と猫が涙を流していたというです。「猫の涙を初めて見た」と友達はいい、今朝自分の手の中で静かに旅だった、と涙ながらに話してくれました。長い間共に暮らすと、猫も人間も別れの辛さは同じです。
私には生涯を独身で過ごし、独り残った母と最後まで一緒に暮らして、それはそれは良く面倒を見た弟がいます。離れて暮らす私が、時折母の所へ様子を見に行くと、母は昼食に弟が出勤前に作り置いたお弁当を食べていました。そのお弁当は実に細やかな愛情に満ちていて、歯の無い老人にも食べやすい様に柔らかく、栄養が整っていて色合いも工夫され、男の人が作ったお弁当とは、とても思えない見事なものでした。こんなに細やかな心遣いが果たして私にも出来るだろうか、と考えさせられたものです。
母の面倒を見る事を生き甲斐のようにして過ごした弟だったせいか、母が亡くなって間もない或る夜、泣きながら電話を掛けて来ました。「もっと良く母の面倒を見てやれば良かった」という後悔が湧いてきて堪らないというのです。義父母を見送った経験があり、どんなに心を尽くして看病しても、亡くなられると必ず「もっとこうして上げていれば」という後悔に苛まれる事を良く知っていた私は「どんなに完璧に看病しても生じる後悔だ」と慰め、母が生きていた頃「私は日本一幸せ者だ」と口癖のように云っていた事を伝えました。母は弟には、面と向かってそんな事は言わなかったのでしょう。私の言葉に驚いた様子でしたが、暫く涙を流した後電話は切れました。でも共に暮らしてきた人が居なくなってみると、淋しさはつい後悔を呼ぶらしく、何日も何日も夜になると泣きながらの電話が来ました。感謝の涙、優しさの涙はみな美しい、と思った朝でした。