私達夫婦は「さだ まさし」のファンです。特に古い歌の方が好きですが、コンサートには揃って可成り通い詰めました。住んでいる市に来た時は必ず行きました。電車で2~3時間だと、夜のコンサートに一泊で出かけました。
何度も「秋桜」を聞いては涙し、「空蝉(うつせみ)」を聞いては泣いたものです。「償い」や、「案山子(かかし)」、「銀杏散り止まず」、「鳥辺山心中」、「遍路」なども好きな曲です。
私くらいの歳になりますと、親が子を思う心、子が親を思う心に感激することが多くなって、よく涙を流します。子供達が成人して遠くに住むようになって、尚更涙もろくなりました。
さだまさしは人の心を巧みに掴んで、実に上手く表現しています。或る有名な人が彼を「詩人」と評価していましたが、本当にその詩には心を打つものがあると思います。
ある時、歌うことが好きな夫が、それまで全く親しみのなかったカラオケに行こうと云い出し、二人して下手な歌を歌いに出かけるようになりました。夫は娘を思って「秋桜」を真っ先に歌う事が多く、私は良く息子を思って「案山子」を歌いながら泣き、途中で度々歌えなくなりました。
夫はそんな私を見るのが辛いのか、「泣けてきて歌えなくなるような歌は歌わない方がいいのじゃないか」といいましたが、矢っ張り離れて苦労しているかも知れない子供を思うと歌いたくなるし、また泣けてくるのです。
約二時間歌って帰るのですが、歌う事はストレスを解消し、体力を使い、心身の健康には良いものだと思い、清々しい気持ちになって帰ってきました。涙を流すことも時として心を洗ってくれました。
涙を流す歌、として今たびたび聞きたいのは、島津亜矢の「帰らんちゃよか」です。父親が離れて住む子を思って歌う詩ですが、しみじみと心を打つものがあり、なぜ彼女はもっとこの歌を歌ってくれないのか残念です。
最近は 歌いに行かなくなって久しくなります。お互いが自分の趣味で忙しく、揃って歌いに行っている時間が無くなったことが一番の理由です。70歳を過ぎて、忙しい趣味を持つことができる事は喜ばしい事だと感謝しつつ、時には良い歌に感激して涙する事も、良いことなのではないかと思っています。
何度も「秋桜」を聞いては涙し、「空蝉(うつせみ)」を聞いては泣いたものです。「償い」や、「案山子(かかし)」、「銀杏散り止まず」、「鳥辺山心中」、「遍路」なども好きな曲です。
私くらいの歳になりますと、親が子を思う心、子が親を思う心に感激することが多くなって、よく涙を流します。子供達が成人して遠くに住むようになって、尚更涙もろくなりました。
さだまさしは人の心を巧みに掴んで、実に上手く表現しています。或る有名な人が彼を「詩人」と評価していましたが、本当にその詩には心を打つものがあると思います。
ある時、歌うことが好きな夫が、それまで全く親しみのなかったカラオケに行こうと云い出し、二人して下手な歌を歌いに出かけるようになりました。夫は娘を思って「秋桜」を真っ先に歌う事が多く、私は良く息子を思って「案山子」を歌いながら泣き、途中で度々歌えなくなりました。
夫はそんな私を見るのが辛いのか、「泣けてきて歌えなくなるような歌は歌わない方がいいのじゃないか」といいましたが、矢っ張り離れて苦労しているかも知れない子供を思うと歌いたくなるし、また泣けてくるのです。
約二時間歌って帰るのですが、歌う事はストレスを解消し、体力を使い、心身の健康には良いものだと思い、清々しい気持ちになって帰ってきました。涙を流すことも時として心を洗ってくれました。
涙を流す歌、として今たびたび聞きたいのは、島津亜矢の「帰らんちゃよか」です。父親が離れて住む子を思って歌う詩ですが、しみじみと心を打つものがあり、なぜ彼女はもっとこの歌を歌ってくれないのか残念です。
最近は 歌いに行かなくなって久しくなります。お互いが自分の趣味で忙しく、揃って歌いに行っている時間が無くなったことが一番の理由です。70歳を過ぎて、忙しい趣味を持つことができる事は喜ばしい事だと感謝しつつ、時には良い歌に感激して涙する事も、良いことなのではないかと思っています。