ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

小径に漂う歴史の香り

2016年12月16日 | 随筆
 夫婦二人の旅ほど、ゆったりと自由に楽しめる旅はありせん。そんな旅の中で、忘れられない小路があちこちにあります。今は車社会ですから、滅多にそのようなお気に入りの小径に出会うことはありせん。忘れられない美しい道の一つに、遠くは鹿児島県の知覧の武家屋敷通りが挙げられます。こぢんまりとした武家屋敷が集まっていて、良く手入れされた庭が家々によって趣向が凝らされていて、池や石組みや大きく刈り込まれたサツキ、更に道路側には波打つようにしつらえられた生け垣が続いています。真ん中の道路を通ると中側の家や池などは全く見えず、左右が生け垣だけのとても静かな通りです。屋敷の庭園は隣に続いていて、庭園の説明などは、当時一軒一軒ワンコインで録音で聞くことが出来ました。
趣向をこらした各庭園に感嘆しつつ、説明を良く聞き写真を撮っては進んで行きました。
 又、四国の松山の近くに、卯之町と言う古く美しい街並みがあります。そこから少し入った高野長英(開国主義を唱えて投獄された)の隠れ家のあった小径が心に残っています。四国遍路に行った時に、明石寺という四国43番札所の名刹に行き、梵鐘を鳴らしてお参りをしてきました。石畳を上ると、日本最古と言われる開明学校の白い校舎があり、古い教室・机・教壇などが残っています。教壇に立つと、当時の生徒達の向学心に燃える、爛々と輝く瞳が浮かび上がって来るようでした。
 そして忘れられない坂道が、尾道の坂道の風景です。尾道駅から細い登り道をどんどん登っていきましたが、当時は未だ車が登る道路が無いようで、こんな細い道を毎日お買い物に下ったり上ったりするのは、とても辛かろうと思いました。しかし瀬戸内海の見える高台の小径は風情があって、とても楽しい道ではありました。
 多分20年ほど前ですが、帰りに千光寺から下って行くと、林芙美子の書斎が再現されていました。矢張り海に向いて開けていて、古い机とインク壺とペンと原稿用紙、スタンドなどがあったように記憶しています。「万年筆ではなく、ペンとインクだったのか」と何となく私の学生時代を思い出しました。ガラス製のペンと藍色のインク壺が懐かしかったのです。今はもうなくなったと聞きました。
 なぜか猫の多い所で、私の足元について離れない、白と黒の子猫がいました。抱き上げて芙美子の家の近くでそっと放して、石段に腰を下ろして海の方を眺めました。
 つい先日のことてす。尾道がテレビで放映されていて、矢張り猫が多いと言っていました。ずっと長い間優しい住民に猫たちも守られて来たのでしょうか。
 若い人々は平地に建てる家でも、わざわざ水害の防備か家を土盛りして高くして、3段くらいの石段を付けた家が、今もわが家の周りで新築されています。たった3段といえども、老いた人には上り下りが苦痛です。年月を重ねると、やがて手すりの工事がなされたり、スロープに変わったりしています。小高い山の上から海を眺めるのも気持ちがよいですが、車が入らないとなると、年をとると外出が困難になると予想されます。
 しかし、昔から住み慣れた人にとっては、瀬戸内海の穏やかな海を見晴るかす、斜面の家からの風景が、何にも増して素晴らしいものなのでしょう。
 京都は何と言っても石塀小路が美しいですし、楽しく歩けます。二回訪れましたが、初めは高台寺を見学してから静かな石畳に沿って歩きました。少し入った処に小さな喫茶店があります。そのお店には二度とも訪れました。上品で静かな雰囲気で、気持ちよく美味しい珈琲をいただきました。京都の石畳と言えば、清水寺の門前の坂道(二年坂・三年坂)も良いと思います。
 金沢は殊に長町の武家屋敷の通りが美しいと思います。矢張り石畳です。ゆったり曲がっている土塀に沿って行くと、小径が静かで美しいです。武家屋敷は中は解放されている訳ではありませんが、小さくても庭がしつらえられています。以前「たらよう」の葉(葉書の元となった)を教えて下さった家にも小さな庭がありました。歴史の古い野村家もあり、塀の外には小川も流れています。ここは格式が高く、内部の見学が出来ました。
 岐阜県では白川郷の合掌造りの集落、飛騨高山の駅近くの「さんまち」が古くからの町です。こうして数え上げればたくさんありますが、それぞれに長い年月を集落の人々によって守られて、受け継がれてきたものです。家々が周りの自然と一体になって、美しい雰囲気を醸し出しています。そこに住む人々も猫などの小動物たちもまた、愛おしい存在に思えます。
 家の無い小径でも、忘れられない小径があります。四国の室戸岬の海際の、大きなサボテン類の熱帯植物の間を縫う、車の通らない海辺の道、足摺岬の群生したツバキをくぐり、断崖絶壁を目の下にした小道、長崎の根獅子浜のうしわきの森の、歩くのが申し訳ないような小径など(殉教の信者の温もりが今だに伝わるようで・・・信者達は今も裸足でお参りするそうです)忘れ得ない小径が沢山あります。
 私は毎日の日課として、何処へも寄らずに歩けば約40分くらいの道のりを歩いています。車の余り通らない道か、広い歩道のある道路だけを選んでコースを作っています。必要に応じてコンビニ・園芸店・郵便局・銀行・スーパーなど、生活に必要なものは、そのコースで全て間に合います。コースから少し外れて、車の多い商店街を通らず、横切る角に銀行や郵便局・時計屋・衣料品店があり、用があればそこを通ります。殆どは静かな通りを夫と二人で話しながら歩いています。
 通常薔薇屋敷と私達が呼んでいるお宅、昔の農家の豪邸、お庭が素敵で石組みも素晴らしく、土蔵もケヤキの大木もあり・・・、大昔の泥田で使ったと思われる小舟も飾ってあったりします。かつての芦の沼や田んぼは、とうの昔に排水工事が済んで耕地整理され、更に宅地に変わって今は隙間もない住宅街です。見渡してももう田んぼなどは何処へ行ったら見られるのか分かりません。
 このウォーキングコースの道筋に、とても狭くて大人が両手を広げると左右の家の垣根に触れそうな小径があります。昔からの小径で、当時はリヤカーが通れば良い、とされたのでしょう。
 旧街道から別れた小径が、そのまま現在に引き継がれ、道路整備から置いてきぼりになっていて、郵便局の斜め前からこの南北に縦断する道に入り、歩いて進むと東西に延びる、道幅の広い道路を乗り越えて、更に直進していますが、次の東西に延びる道路迄しかないのです。全体で80メートル位でしょうか。それでも脇の家々の木立が木陰を作ったり、朝顔の蔓が屋根まで延びていたり、鉢植えが並べられていたりして、静かで穏やかな小路ですから、私達は何時からか「囁き小路」と勝手に名付けています。
 空調が行き渡ったこの頃は、小路を通っても、生活臭の無い処が多いようですが、此処は道路の埃が入らないので、小窓が開いていたりして、時としてカレーの香りや胡麻を煎る香りなど流れて来ます。家庭毎に営む平和で幸せな空気にひたることが出来るので、私達のお気に入りのコースです。
 全国各地に、愛されている様々な小径があり、美しく手入れして住んでいる人々の生活や人生までを想像しながら歩くと、心が安らぎ温もっていくので、それが何より好きなのです。
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