ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

似通ったあの町この町

2011年07月29日 | 随筆・短歌
 「あの町この町日が暮れる 日が暮れる 今来たこの道 帰りやんせ 帰りゃんせ」という歌をご存じの人は多いかと思います。小さい頃から私も沢山の童謡を歌って育って来ました。幼い私が何時もこの歌を歌う時に、「お家がだんだん遠くなる」という歌詞にとても不安になりました。
 何故、帰ろう帰ろうと言いながら、お家がだんだん遠くなるのか、ということが疑問であり、不安の原因でした。帰ろうと思えば、直ぐに帰る方向に足が向いている筈なのに、(当時の私もそうしました)何故だんだん遠くなるのか、そして「お空に夕べの星が出る」のです。夕暮れが進み、家は益々遠くなっているではありませんか。何故もっと早く安心なお家に帰らないのか、小心の私にはこの童謡は「怖い歌」だったのです。
 勿論今は懐かしいばかりの、野口雨情作詞、中山晋平作曲の素敵な歌であり、時に口ずさみもします。歌詞全体をひとまとめにしてみれば難なく理解出来るのに、やっと理解し始めた幼い頭で、歌詞の意味を考え考えして歌っているので、次第に遠くなっていっているらしい家路に不安が募ったのです。ずっと後にこの部分が秀逸なのだと知りました。 
 退職してから、毎年少なくとも年二回は長い旅行をするようになり、古い話ですが、ある時九州へ行きました。福岡までは飛行機で行き、そこからハウステンボス・長崎方面へ行く予定でしたので、長崎線に乗り換えました。ふと気が付くと、列車は単線のレールの上を走っていました。福岡から長崎という、こんな幹線が単線だなんて・・・、と驚きを隠せませんでした。 やがて名も知らない駅で、時間合わせの為か少し停車しました。無人駅と思しき駅は、静かで誰も居ませんでしたが、手入れが行き届き、ホーム脇にはどこの駅でもそうであった様に、花が咲いていました。また、駅裏の建物は、何処と言って特徴が無く、何処にでもある家が線路間際まで並んでいて、平凡ないわゆる耐火ボードを外壁にした住宅で、「ここは何県か」と聞かれても答えようがありません。
 どの市や町へ行ってもそれぞれに皆慎ましく暮らしているようで、門から家迄の距離が何キロもあるというイギリスの豪邸のようなものも見あたらず、田畑の多い田園地帯でも、農地解放によって、こじんまりとしていてもそれぞれの自宅に、心安らかに住んでいる、といった様子が見て取れました。小さな庭でも良く手入れされているものが多く、瓦の家は、居住している人を安全に守ってくれているように感じられました。
 飛行機で福岡に向かっていく時に、ある山間の村の上を通りました。機上から見る豆粒くらいの家々は、集落毎にまったり点在したりしてこそいますが、どの家にもそれ相応の暮らしがあるのだなあと、感慨無量に思います。悲しいことも嬉しいことも、皆家に包まれて、こんな山あいでも、家の数だけの暮らしがあり、人間の営みがある、という当たり前のことが今更のように愛しく思えて来ました。
 当然ですが飛行機は福岡近くの海上を旋回しました。関門海峡近くに島があるとは知りませんでしたので、此処は瀬戸内海か?などと、勘違いしたりしている内に、静かに空港に降りたのです。その後日本のあちこちへ行って、日本が如何に沢山の島国で出来ているか、ということも自分の目で見て知りました。これだけ沢山の島国でも、何処も金太郎飴のような家や暮らしがあるのかと思うと、平等が行き渡ったとも言えるし、特徴が無いとも言えるように思ったのです。日本は識字率も高く、誰もが標準語を話し、従って国内である限りどこに行ってもまごつくことはありません。
 帰る家が有りさえすれば、安心して幾日でも旅行に行っていられます。普通7日~10日程の旅行も、最後は「未だ居ても良いね」という位元気でした。何処へも道は続き、日本の隅々までを繋いでいます。道路の良いことといったら、北海道では、西の海岸から東の海岸まで自家用車で行きましたが、ある区間で、ひたすら真っ直ぐな道路が、行けども行けども先は雲の中、といった一般道がありました。しかも誰が歩くのか、きちんとした歩道まで付いていて、実に快適なドライブでした。双方向やや広めの一車線ずつで、擦れ違う対向車も殆ど無く、当時の様子ではこれでも高速道路は必要か?と思われました。
 その後政治家たちの間で、北海道に高速道路が必要か、と論争になったことがありましたが、地元の人が、「必要ない」と答えていたことがあり、印象的でした。国の隅々まで、道路が行き届いて便利になりましたが、それにつれて、住宅も大きな施設も、ローカル色が失われてきたようで、淋しく思っています。飛騨白川郷の合掌集落や、うだつを上げた四国や美濃などの各地の商人の町、丹後半島の伊根の舟屋、南部の曲がり屋など、少し残った古い伝統的な家屋もありますが、多くは現代を生きる人々の建て替えにより、同じような機能的な家に変わってきています。
 最近になって、地方の文化を大切にしようとする動きが目立って来ましたが、ローカル色も個性も、大切に保持してこそ、日本の良さが残され、維持して行かれるように思えるのですが、どうでしようか。
 私の街でも古い街道が残っていて、荷車しか通らない道もあります。曲がりくねっていますから、勿論車は入れません。昔はそれで十分だったのです。私はそんな木漏れ日の当たる小道を歩くのが大好きです。

 囁き小路と我が呼ぶ細き裏小道ほのかに漂ふカレーの香り (再掲)

ほのかなる香の香りの路地に流れ独り居の媼健やからしき (再掲)

老ゆるほどふるさと訛りが口をつくねぐらに帰る白鳥の群れ(実名で某紙に掲載)
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