作家の川端康成氏は、1968年にノーベル賞受賞の記念講演において、「美しい日本の私」という題で講演をしています。かねてから私は何故美しい日本「の」なのか、一般的には、「と」と云いたい処なのにどうしてだろう、きっと意味があるに違いないと思いながら、調べるでもなく今日まで来ました。
最近書棚にあった山田無文老師の「自己を見つめる」(禅文化研究所第17刷 平成22年)という本の最後のほうに、この「美しい日本の私」の「の」について、無文老師の解釈が詳しく載っていました。
それを読んで、やっと理解への手がかりを得たように思いました。ついでにもう一度「美しい日本の私」(川端康成 講談社現代新書)を取り出して読んでみました。
「美しい日本の私」は、
『春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり
道元禅師(1200年~ 53年)の「本来ノ面目」と題するこの歌と
雲を出でて我にともなふ冬の月 風や身にしむ雪や冷たき
明恵上人(1173年~1232年)のこの歌とを、私は揮毫を求められた折りに書くことがあります。』
という書きだしではじめられています。
その他にも短歌を沢山引きながら、日本の四季の雪月花の美や、禅のこころを述べています。美しい日本「と」私、と書くと、両者は区別して並列の関係に置かれていることになります。しかし、美しい日本「の」私、と書けば、日本と私とは一体化されて両者は完全に溶け合った関係であることが分かって来ます。無文老師は、
『川端さんの「美しい日本の私」は、「美しい日本」と「私」は別もんじゃない。美しい日本がそのまま私、私がそのまま美しい日本だということです。”の”の一字にこめられた深い意味がそこにあるのです。親と子じゃない。親の子です、子の親です。夫と妻じゃいかん。夫の妻、妻の夫です。先生と生徒じゃいかん。生徒の先生、先生の生徒です。社長と社員もいかん。社員の社長、社長の社員と、すべてこれでなければならんのです。(中略)社会の私、私の社会、日本の私、私の日本となって、世界の私、私の世界、人類の私、私の人類というように、対立を超えた純粋な人間性を自覚していかねばならんのであります。
人類が無ければ私は無い。世界が無ければ私は無い。人類が、世界が、私という存在を証明してくれているのです。だから世界を愛し、人類を愛し、その世界の中で人類とともに生きていくーーそういう偉大なる人間こそが真実の自己だとわかることが、人生でもっとも大切なことなのです。』
全てが大自然の中に同じように共に生きていて、これは人、これは月と区別して認識するのではなく、明恵上人の歌のように、「私に付いて来る月」「風が身にしみて寒くはないか」「雪が冷たくはないか」と大自然と自己が一体となった歌だと納得させられました。
そのように世界と私、私と美しい雪月花のように対比するのではなく、一体化することによって「美しい日本の私」と表現されているのだと、私なりに理解し、改めて感動したのです。
ですから、良寛の辞世
形見とて何か残さん春は花
山ほととぎす秋はもみじ葉
を引き,「日本の真髄を伝えたのだ」 と云っているのでしょう。また、天皇の御子だと云われる天才少年の「一休」が宗教と人生の根本の疑惑に悩み、「神あらば我を救い給へ。神なくんば我を湖底に沈めて、魚の腹を肥やせ。」と湖に身を投げようとして引き留められたとも話しています。一休の道歌には
問えば言ふ問はねば言はぬ達磨(だるま)どの
心の内になにかあるべき
心とはいかなるものを言ふならん
墨絵に書きし松風の音
などがあり、これで禅の心を伝えようとしています。また
真萩散る庭の秋風身にしみて
夕日の影ぞ壁に消えゆく
などという歌によって、この日本の繊細で哀愁の象徴の心境を川端康成は「私により近い」と言っておられるのです。
私には十分に意をくみ取って論ずる力はありませんが、日本の文学や歌道、茶道、枯山水の庭等の美しさにふれて、例えば「枯山水」という岩や石を組み合わせるだけの法は、その「石組み」によって、そこにない山や河、また大海の波の打ち寄せる様までを現します。その凝縮を極めると、盆栽となり、盆石となります。
茶道の「わび・さび」は、心の豊かさを蔵してのことですし、極めて狭小、簡素の茶室は、かえって無辺の広さと無限の優麗とを宿しています。一輪の花は百輪よりも花やかさを思わせるのです。
そして、色のない白は、最も清らかであるとともに、最も多くの色を持っています。そしてそのつぼみには必ず露を含ませます。幾滴かの露で花を濡らしておくのです。・・・と日本の美について実に細やかで深い理解を示しています。破れた花器、枯れた枝にも「花」があり、そこに花によるさとりがあるとしました。「古人、皆、花を生けて、悟道したるなり。禅の影響による、日本の美の心の目ざめでもあります。」と言っています。
難しい話ですが、日本人の一人として、川端康成の「美しい日本の私」の心をくみ取って、私も日本人としてのたしなみをもっと深めたいと思っています。そして日々身の回りの大自然との、心の交流を心がけたいです。
最近書棚にあった山田無文老師の「自己を見つめる」(禅文化研究所第17刷 平成22年)という本の最後のほうに、この「美しい日本の私」の「の」について、無文老師の解釈が詳しく載っていました。
それを読んで、やっと理解への手がかりを得たように思いました。ついでにもう一度「美しい日本の私」(川端康成 講談社現代新書)を取り出して読んでみました。
「美しい日本の私」は、
『春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり
道元禅師(1200年~ 53年)の「本来ノ面目」と題するこの歌と
雲を出でて我にともなふ冬の月 風や身にしむ雪や冷たき
明恵上人(1173年~1232年)のこの歌とを、私は揮毫を求められた折りに書くことがあります。』
という書きだしではじめられています。
その他にも短歌を沢山引きながら、日本の四季の雪月花の美や、禅のこころを述べています。美しい日本「と」私、と書くと、両者は区別して並列の関係に置かれていることになります。しかし、美しい日本「の」私、と書けば、日本と私とは一体化されて両者は完全に溶け合った関係であることが分かって来ます。無文老師は、
『川端さんの「美しい日本の私」は、「美しい日本」と「私」は別もんじゃない。美しい日本がそのまま私、私がそのまま美しい日本だということです。”の”の一字にこめられた深い意味がそこにあるのです。親と子じゃない。親の子です、子の親です。夫と妻じゃいかん。夫の妻、妻の夫です。先生と生徒じゃいかん。生徒の先生、先生の生徒です。社長と社員もいかん。社員の社長、社長の社員と、すべてこれでなければならんのです。(中略)社会の私、私の社会、日本の私、私の日本となって、世界の私、私の世界、人類の私、私の人類というように、対立を超えた純粋な人間性を自覚していかねばならんのであります。
人類が無ければ私は無い。世界が無ければ私は無い。人類が、世界が、私という存在を証明してくれているのです。だから世界を愛し、人類を愛し、その世界の中で人類とともに生きていくーーそういう偉大なる人間こそが真実の自己だとわかることが、人生でもっとも大切なことなのです。』
全てが大自然の中に同じように共に生きていて、これは人、これは月と区別して認識するのではなく、明恵上人の歌のように、「私に付いて来る月」「風が身にしみて寒くはないか」「雪が冷たくはないか」と大自然と自己が一体となった歌だと納得させられました。
そのように世界と私、私と美しい雪月花のように対比するのではなく、一体化することによって「美しい日本の私」と表現されているのだと、私なりに理解し、改めて感動したのです。
ですから、良寛の辞世
形見とて何か残さん春は花
山ほととぎす秋はもみじ葉
を引き,「日本の真髄を伝えたのだ」 と云っているのでしょう。また、天皇の御子だと云われる天才少年の「一休」が宗教と人生の根本の疑惑に悩み、「神あらば我を救い給へ。神なくんば我を湖底に沈めて、魚の腹を肥やせ。」と湖に身を投げようとして引き留められたとも話しています。一休の道歌には
問えば言ふ問はねば言はぬ達磨(だるま)どの
心の内になにかあるべき
心とはいかなるものを言ふならん
墨絵に書きし松風の音
などがあり、これで禅の心を伝えようとしています。また
真萩散る庭の秋風身にしみて
夕日の影ぞ壁に消えゆく
などという歌によって、この日本の繊細で哀愁の象徴の心境を川端康成は「私により近い」と言っておられるのです。
私には十分に意をくみ取って論ずる力はありませんが、日本の文学や歌道、茶道、枯山水の庭等の美しさにふれて、例えば「枯山水」という岩や石を組み合わせるだけの法は、その「石組み」によって、そこにない山や河、また大海の波の打ち寄せる様までを現します。その凝縮を極めると、盆栽となり、盆石となります。
茶道の「わび・さび」は、心の豊かさを蔵してのことですし、極めて狭小、簡素の茶室は、かえって無辺の広さと無限の優麗とを宿しています。一輪の花は百輪よりも花やかさを思わせるのです。
そして、色のない白は、最も清らかであるとともに、最も多くの色を持っています。そしてそのつぼみには必ず露を含ませます。幾滴かの露で花を濡らしておくのです。・・・と日本の美について実に細やかで深い理解を示しています。破れた花器、枯れた枝にも「花」があり、そこに花によるさとりがあるとしました。「古人、皆、花を生けて、悟道したるなり。禅の影響による、日本の美の心の目ざめでもあります。」と言っています。
難しい話ですが、日本人の一人として、川端康成の「美しい日本の私」の心をくみ取って、私も日本人としてのたしなみをもっと深めたいと思っています。そして日々身の回りの大自然との、心の交流を心がけたいです。