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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

魂は永遠だと信じたい

2014年09月17日 | 随筆・短歌
 立花隆氏のNHKスペシャル 思索ドキュメントから 「臨死体験」「死ぬ時心はどうなるのか」を録画しておいて、昨日大変興味深く見ました。
 人の心は何処にあるのか、については私もとても興味があり、真剣にまた強い興味をもっ見ました。脳が心を作り出すのか、そうではないのか、どうも脳が心を作り出すのではないのではないか、と私も薄々そう感じていました。私は魂はあると思っていますから、片寄った考えかも知れませんが、魂は体中に存在しているように思っています。心も体中にあって、それを脳がある意味コントロールしているのかなと思うのです。細胞という細胞が私達の全ての遺伝子を持っているわけですから、同じように心を持たないとは言えません。
 私達は見えないものを感じます。それは一般に第六感と呼ばれるものです。どこでそれを感じるかというと体中で、というのが正解みたいに思います。医学者でも科学者でも心理学者でも、哲学者でも、宗教者でもない私には、到底説明すら出来ませんが、心は生まれ落ちた時、いいえ羊水の中にいる時から、すでにありますし、息を引き取っても、微弱な脳波が出ているそうですから、どこかできちんと感じている訳です。
 臨死体験者は、体から魂が抜けてとても美しく心地良い光の中へ進んでいくそうです。私は死ぬ時は痛みも苦しみも悲しみもきっと無い、と以前書きました。生まれる時も死ぬ時も、心地良く幸せな気分の中で、するりと、生まれ落ちたり、死んだりする筈だと思っているのです。誰かが「隣の部屋にいくように冥界にいくのだ」といいました。人体の不思議や大自然の不思議を見ているだけで、科学では説明出来ないものが沢山存在すると思っていますから、私にはそんな大それた仮説を平然といえるのかも知れません。
 心が作り出す不思議な、しかしはっきりと目で見た、と確実に言える出来事を私達夫婦二人で体験した時のことを以前書きました。車で福井県の道路を走っていて、道を間違え、ほんの少し早く右に曲がったために、海の方に出てしまいました。川に出ると思っていましたから、目の前の水を川だと思い、明日はこの川を渡って行けば、良いのだと信じ込んでしまったのです。
 ところがどう行くとよいのか解らず、住んで居たおじいさんにきいても、不明でした。あちこち走り回っていると、川に橋が架かっていて、私は薄緑色の鉄橋のような橋を夫は赤い太鼓橋のような形の橋を見ました。二人ともはっきりと見たのです。でもそれは幻視だったのです。ホテルへはどう行けばよいのか、解らなくなって、切りミミズのように右に左に走って、行きつ戻りつしている私達の車を不思議がって、たまたま道路工事をしていた人達が「何処へ行くのですか」と聞いて下さり、「此処は海です。橋など有りませんよと」言って、「一旦戻って間違った道まで出たら、右に行きなさい」と教えて下さったのでした。本当に助かりました。薄暗くなってやっとホテルに着いてホット人心地がつきました。やがて「あの橋は何だったんだろう」ということになり、いまだに謎です。思い込みが各自に都合の良い幻視を作り出して、橋を見たと認識したのでしょうか。
 まだあります。臨死体験をした人は体から魂が抜け出て、天井から、自分の遺体に集まっている人達を見るそうです。私は逆に義父が倒れた時に反対の体験をしました。朝食を食べつつ義父は「昨夜とても頭が変で眠れなかった」というのです。たまたまリハビリにつれて行く日だったので、診察をして頂くことにして、私はタクシーを呼び、義父はいつものように下着の着替えと背広を着る為に、廊下に出て自分の部屋に行きました。私も着替えてハンドバックを用意した頃にタクシーの停車音がしました。義父を呼びに行くと、炬燵布団に少し寄りかかるように横になって倒れていました。倒れた時にバタンと音がすれば、隣の居間にいた私も気付いたと思うのですが、静かに倒れたようで、気がつきませんでした。動かない義父に驚いて、慌てて救急車を呼び、タクシーには帰ってもらいました。
 そのタクシーが我が家に着くほんの少し前に、居間のソファーにもたれかかって、待っていた、私の頭の上の天井の隅に、義父母と娘の笑顔を見たのです。義父ははっきりと、他は傍にくっついて、でもしっかり見えたのです。直ぐにタクシーが来ましたし、訳が解らない私は義父を呼びに隣室へ行きましたので、映像のその後は知りません。この時義母は既に亡くなっていましたが、娘は東京にいましたし、訳が解りませんでした。義父が倒れている等思い付きもしませんでしたし、とても不思議でした。このおかしな現象は、今までだれにも話しませんでしたから、家族も知りません。でも天井の白い壁に、義父は真面目に、義母と娘はにこにことわらって、確かに三人を目撃したと思っています。
 病院に着いた時は、義父は既に意識は亡く、心臓蘇生術で辛うじて自発呼吸は戻りましたが、亡くなるまでの二日間は意識も無く、すやすや眠っていて、自然に呼吸がひいて行きました。腕や足や体を付き添っていた家族でずっと長く撫でてやりました。きっと私達家族の愛情は届いていたと思っています。
 過日我が家の毎年恒例の故郷のお墓参りに行きました。今年は私の先祖のお墓に続いて、夫の古い先祖のお墓にもお参りして来ました。私が結婚後にお参りに行った夫の昔のお墓は、中心にお墓が一つあり、回りには幼くして亡くなった人や未婚のまま亡くなった人のお墓が一人に一つ、丸い石を載せてあったのです。幾つもの大小の石が置いてありました。
 今の我が家が出来て、義父母が私達と同居してから、義父は新しく我が家のお墓を市内に作りましたから、今はそのお墓に義父母と結婚してから亡くなった娘のお骨の一部も入れてあります。娘は結婚して数年後に亡くなり、子供もいなかったので、先々を考えると毎年遠く迄お参りに行ける自信もないので、嫁ぎ先の両親にお願いして、分骨して頂いたのです。
 夫の故郷の祖先の古いお墓は、その後まだ元気だった義父が中心になって、、全てのお墓を合葬して、立派なお墓を建てました。義父は末の弟に家や田畑などみな譲りましたから、現在は夫の従弟が管理しています。
 しかし、夫の祖先のDNAは、息子にも引き継がれていて、特に祖父はユーモラスな人で、その遺伝子は色濃く我が家の夫と息子に引き継がれています。義父は真面目一方の堅物で、良く働いた人でしたが、人を笑わせることはしないようでした。遺伝子とは 面白いものでもあり、有り難いものですね。私達はもうこの歳ですから、遠くの祖先のお墓参りは無理でしょうし、これが最後の積もりで、祖先に感謝の気持ちを込めてしっかりお参りして来ました。写真にも撮り、お墓の回りの草原から、小さなドクダミ2株とシダ1株を丁寧に掘って持ち帰り、我が家の庭に植えました。
 このお墓の中にある沢山の御霊は、今何を考えておいでだろうと思いました。杉木立の中の湿り気のある静かな空気、苔むした土台や、屋号を刻んだ台座、上の両脇の家紋、「先祖代々の墓」という黒御影石の横に、これを建てた三人の兄弟の名前が彫ってありました。多分「良く来てくれたね」と言っていると思い、私は此処まで私達家族を守って下さったお礼を述べました。般若心経を上げたり暫くは去りかねてそこで時間を過ごしました。
 ところで意識というものは、様々な認識を繫いで複雑に、絡み合った蜘蛛の巣のようなものだという、トノーニ教授や立花隆氏の考えには、思わず「そうでしょうねえ」と共感を覚えました。理屈は解らなくても実感として、きっと誰もが共感を覚えることでしよう。
 私達は死ぬ時は、心地良い光に包まれて天に昇っていくのだと、そう思って死ねたらそれは幸せですね。そしてあの世で先だった人達に再び出会えるとしたら、死もまた楽しからずや、ではありませんか。お彼岸の前に祖先のお墓におまいりして、沢山の幸せを頂きました。
 番組を視終わって、心と魂はどのように違っていて、互いにどのような関係を維持しているのか、番組で触れていなかったのが、心残りでした。

進化してネコのあなたとヒトの吾四十億年引き継ぐ命 (某誌に掲載)
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