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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

木喰仏(もくじきぶつ)に出会う旅

2014年12月10日 | 随筆・短歌
 秋の日差しの穏やかな日に、遠距離でしたが夫と二人で、木喰仏に会いに出掛けました。今年の2月には、もう細部に渡って計画表が出来ていたのですが、やっと暇を見つけて予約し、出掛けて来ました。 
 この仏を彫った木喰上人は、江戸時代後期( 1718年~1810年)の仏教行者・仏像彫刻家です。私達が拝観した木喰仏は、みな微笑んでいます。微笑仏とも言われていますが、確かにみな思い思いの姿をし、微笑んでおられました。
 目が笑っている、大きめの鼻も分厚い唇も、豊かな二重顎も、胸の厚みも、全てが温かく微笑んでいる。耳に手を当てて首を傾けている如意輪観音、小さな赤ちゃんをしっかりと抱いた子安観音等、幾つもの観音像が満面に笑みを湛えてズラリと並んでいらっしゃる。それは荘厳でもあり、力強い迫力でもありました。説明して下さる方のお話に耳を傾けているうちに、何ともいえない温かな安らぎに満ちてくるから不思議です。心ゆくまでゆっくり拝観させて頂きました。
 仏教者として守るべき規律を戒と言い、木食戒の「木食」とは五穀(米、麦、アワ、ヒエ、キビ)あるいは十穀(五穀+トウモロコシ、ソバ、大豆、小豆、黒豆)を絶ち(穀断ち)、山菜や生の木の実しか口にしないという戒律です。塩や味噌、醤油などの調味料も断つのだそうです。
 古来、木食上人と呼ばれた人物は他にも複数おり、豊臣秀吉に重用され、高野山の復興に尽力した木食応其(もくじきおうご)上人は中でもよく知られているそうです。木喰仏の作者である木喰上人の場合は、「口へん」の「喰」の文字を使用しますから、他の「木食上人」と区別が容易だそうです。
 木喰仏は、みな彫刻しやすく何処にでもある銀杏の木を材料として、彫ってあります。北は北海道から南は九州に到るまで、旅を続けられて、その土地土地で彫った仏像が、お寺に納められて、一体のところもありますが、数体とか、数十体とか、逗留期間が長ければ数も多かったようです。長い年月に四散したりしましたが、現在残っているものは、みな文化財の指定を受けたりして、大切に保存されているようです。
 私達夫婦が拝観して来たところにも、三十数体がありました。書き残されている資料を元に、滞在日数等から推し量ると、短い間に数多く彫っていて、材料の下ごしらえや、一日に彫りあげる速さなどを考えて割り出すと、お弟子さんも少なくとも下彫りされたと考えられるし、村人達も木材の切り出し乾燥等協力されたのではないか、と保存しておられるお寺でお聞きしました。荒削りの部分もありますが、すべすした彫刻の木肌部分を見ると、心を込めてつくられているのが解ります。
 微笑仏といわれるだけあって、笑顔が本当にやさしく、温かく、身近に感じられる仏様でありました。奈良や京都の名のある国宝の仏の神々しさとは対照的で、庶民的なお顔や仕草をしておられましたが、一木造りの、一体一体の笑顔がみな異なっていて、不自然でなく、ふくよかなお姿は、私達のような素人にも、何とも言えない温かみを感じさせて頂き、有り難い一日でした。
 以前見た荒削りの円空仏には、激しい、或いは厳しい仏教への修行の心のようなものが感じられ、目鼻やお姿も判然としないものもあり、それだけに一心不乱というか、突きつめた思いが感じられますが、この木喰仏は対照的に、豊かな愛情さえ感じられます。
 どちらが良いか、などと一概に言えないですが、それぞれの良さを感じながら満足して帰りました。
 聞くところによりますと、み仏の大きさは、人間の実物大の大きさに似ているのだそうです。座っておられるものが多いのですが、確かにそんな感じでした。しかし、大きな放射状に彫られた光背と大きなお顔と、笑っているお姿に、グッと心を掴まれて思わず引きこまれてしまいます。
 木喰上人の自刻像というのが中央にあって、三日月型の細く長い笑った目があり、大きな口にも笑みを湛えて、顎には長いひげがありました。如何にも好々爺のようで、眺めていて飽きません。
 毎年大晦日は、法隆寺で過ごされたと聞く、今は亡き立松和平が、真言僧、木喰行道として、次のように触れて紹介しています。

 「諸国を遍歴し、各地に微笑仏を残した木喰行道は、真言僧である。木喰戒とは(中略前出)何故こんなことをしたかというと、人々と苦しみを共にするために、生きながら餓鬼道に堕ちたのである。
 木喰は諸国遍歴をしながら、和歌らしきものを詠んでいる。時に稚拙さもまじるのだが、心の内が案外率直に表白されている。
 
 木喰のけさや衣はやぶれても
まだ本願はやぶれざりけり

 いつまでかはてのしれざるたびのそら
いづくのたれととふ人もなし

 木喰もしを(塩)みそ(味噌)なしにくふかい(空海)の
あじ(阿字)の一字の修行なりけり」
(註 阿という文字は梵語の最初の文字、第一母字で、真言密教にとって大切な文字です。あずさ)

 まさしく真言宗の僧としての修行の旅であったようです。
木喰上人が日本全国を修行して回る旅に発ったのは、木食戒を受けてから10年以上たった58才であり、初めて仏像を彫ったのは、61才のときだと言われているそうです。北海道から弟子の木食白道と、故郷に安住することなく、91歳まで、仏像を彫っていたことが遺品からわかっているといいます。木喰が消息を絶ち故郷の遺族にもたらされた記録によれば、93歳でこの世を去ったようです。
 木喰の故郷である山梨県身延町には、彼を記念して木喰の里微笑館が建てられているそうです。私達もいつか、出来たら山梨県身延町で、円熟した90数体の作品や弘法大師像などを見たいものだと思っています。
 
微笑する唇厚きみ仏の慈悲深き額(ぬか)に紅葉色映ゆ(あずさ)

荒削りの円空仏も虫食いとなりてますます慈悲深くなる(某紙に掲載)