午前中の仕事が一通り終わると時刻は約10時半になっていて、午前中の残りの時間は大抵はテレビでニュースか大リーグを見ています。
そのニュースの時間に先日こんな報道があり、考えさせられました。それは女性医師の診療報酬の不正請求に関するニュースについての時でした。莫大な不正の請求をしていて、逮捕されたこの女性医師に、医師である母親が「結果がどうあろうと私は娘を見放さない」と言うコメントを出しました。
私はさすが母親だと咄嗟に思ったのですが、このニュースのコメンテータの女性と男性の二人は、「そんな教育をしているから、このような人間になるのだ」という意味の発言をし、その意見はそのまま納得されたように通りすぎて終わりました。
果たしてその意見は正しいのでしょうか。「こんな甘い家庭教育をしているから、その結果このような詐欺師になって刑罰を受けることになるのだ。」と言う考え方と「たとえどんな罪人になっても母親である私は娘を見放すことはしない」と言う考え方とは、テーマが異なっていますが、二人とも母親のコメントに対して反論していることは間違いありません。果たしてそれは正しいでしょうか。
母親というものは、我が身を捨ててでも子供を救おうとする、本能とでも言えるような言動をするものです。我が子がたとえ罪を犯したとしても、弱く罪深い人間としての我が子を、決して見捨てないで温かく見守るのが母親ではないか、と私には思えるのです。
それはマリア様の愛にも似て、深く温かいものではないでしょうか。私はキリスト教信者ではありませんが、遠藤周作の「沈黙」を読んでから切支丹弾圧について学び、その地を何回か実際に訪れています。
殊に隠れキリシタンの様子など見聞きし、後頭部に十字架を彫った沢山のマリア観音像や、大浦天主堂のマリア像(隠れキリシタンの存在がこのマリア像を訪ねて来た三人の婦人の為に解った)を感慨深く拝見して来た者として、ごく自然にそう思われたのかも知れません。
遠藤周作には、キリシタンに関する調査研究が沢山あります。その一部は「日本紀行」という本の「切支丹の里」(光文社)に隠れキリシタンについて余す所無く書かれています。
幕府の切支丹弾圧が厳しくなって、正面切って「私はキリスト教信者です」と言えば、処刑される時代になり、多くの切支丹は偽りの仏教徒になって、それが隠れキリシタンとして一部は近年まで繋がってきました。
棄教を迫ってどの様な残酷極まりない悲惨な刑をうけるか、知らない人には、殉教者の心も、隠れキリシタンにならざるを得なかった人々の心も、きっと理解しがたいところがあるでしょう。
殉教によって死をえらぶか、隠れキリシタンとなって、密かに信仰を持ち続けるか、それとも本当に棄教するか、それしか道は無かったのです。たとえ隠れキリシタンとなっても、殉教できなかった自分の弱さを恥じたに違いなく、その為に集落毎にしっかりと団結し、熱心な隠れキリシタンとして決して表に出さず、子々孫々まで長い年月を伝えて来たと言えるのではないでしょうか。
遠藤周作は、偶然にも十六番館で実物の踏み絵を見た、と書いています。私達も二度目の長崎でしたか、大浦天主堂脇から神学生の学びの部屋など見て、山から下りてきた時に、本当に偶然に十六番館に入って、同じく実物の踏み絵板を見ました。
親指の跡が窪み、黒く汚れていました。説明書には、「これだけ多くの切支丹に踏み絵を実際に行った」ということを役人に伝える為に少し大げさに手で作られた部分もあるように書いてありましたが、確かに足の指のえぐれ方を見ると、深く大きく、とても何万人の足跡でもこれ程は窪まないだろうと思える程でした。信者でありながら、踏み絵を踏まなければならない人の苦しみを密かに理解していた役人もいたという事でしょうか。
遠藤周作はまた「隠れキリシタンたちは聖母マリアを特に拝んでいた」と書いています。そして「かくれ切支丹たちは自分達の母親のイメージを通して聖母マリアに愛情を持っていたことを示している。母とは、少なくとも日本人にとって『許してくれる』存在である。子供のどんな裏切り、子供のどんな非行にたいしても結局は泪をながしながら許してくれる存在である。そしてまた裏切った子供の裏切りよりも、その苦しみを一緒に苦しんでくれる存在である。母にたいして父は怒り、自分を裁き、罰する。それは正しく、秩序をもつが、非行の子供にとっては怯え、震える対象だ。かくれキリシタンたちは、神のイメージのなかに父を感じた。父なる神は自分の弱さをきびしく責め、自分の裏切り、卑劣さを裁き、罰するであろう。そのような神にかくれ切支丹たちは怖れを感じながら、しかし、そのきびしさより、自分をゆるしてくれる母をさがした。そして聖母マリアが<それだ>と彼等は感じたのである。
マリア観音や納戸神として祭られている聖母の素朴な絵の背後には彼等の切実な『許し』への悲願がこめられている。私は彼等の祈り(オラショ)のうち『憐れみのおん母』のオラショほど実感のこもったものを他に知らない。」と書いています。今にして読んでも胸に響く言葉です。
私達が九州の平戸島の「切支丹資料館」へ行った時も、キリスト像よりもマリア観音像が圧倒的に多く、それは正面から見ると子を抱いた観音様に見えますが、後ろに回ると後頭部に十字架が彫ってある、という像で、様々なマリア像が展示されていました。
隠れキリシタンの納戸神は聖母の肉筆画が圧倒的に多いそうです。キリスト像はグッと少ないそうです。隠れた信者としての心の痛みの為に、一層マリア様に救いを求めたとも言えるようです。
家庭に於いても、教育者として父親が重視され、それは厳しく秩序を重んじているかも知れませんが、罪を犯したものの母へのコメントとしては、マリア様のような温かく慈悲深い母親像を理解したものであって欲しい、と思いました。
たとえ我が子が罪を犯したとしても、自分も共に苦しみを背負う母親でありたいと願う人は多いのではないかと思います。しかし、昨今はあまりにも自分本位の母親が多くなり、子供に対する関心の強さが昔に比べて薄いのではないかと感じます。実の親の子供への虐待や、果ては殺人すらも折々ニュースになります。生きとし生ける者の母親なる存在は、子供のためなら命さえ投げ出す者であることを、しっかり認識して、温かい心の籠もったコメントを発言して頂きたいと願わずには居られません。
沈黙のイエスに語りしロドリゴの哀しみせまる遠藤記念館(某紙に掲載)長崎駅からかなり遠い遠藤記念館を訪れた時の歌です。
そのニュースの時間に先日こんな報道があり、考えさせられました。それは女性医師の診療報酬の不正請求に関するニュースについての時でした。莫大な不正の請求をしていて、逮捕されたこの女性医師に、医師である母親が「結果がどうあろうと私は娘を見放さない」と言うコメントを出しました。
私はさすが母親だと咄嗟に思ったのですが、このニュースのコメンテータの女性と男性の二人は、「そんな教育をしているから、このような人間になるのだ」という意味の発言をし、その意見はそのまま納得されたように通りすぎて終わりました。
果たしてその意見は正しいのでしょうか。「こんな甘い家庭教育をしているから、その結果このような詐欺師になって刑罰を受けることになるのだ。」と言う考え方と「たとえどんな罪人になっても母親である私は娘を見放すことはしない」と言う考え方とは、テーマが異なっていますが、二人とも母親のコメントに対して反論していることは間違いありません。果たしてそれは正しいでしょうか。
母親というものは、我が身を捨ててでも子供を救おうとする、本能とでも言えるような言動をするものです。我が子がたとえ罪を犯したとしても、弱く罪深い人間としての我が子を、決して見捨てないで温かく見守るのが母親ではないか、と私には思えるのです。
それはマリア様の愛にも似て、深く温かいものではないでしょうか。私はキリスト教信者ではありませんが、遠藤周作の「沈黙」を読んでから切支丹弾圧について学び、その地を何回か実際に訪れています。
殊に隠れキリシタンの様子など見聞きし、後頭部に十字架を彫った沢山のマリア観音像や、大浦天主堂のマリア像(隠れキリシタンの存在がこのマリア像を訪ねて来た三人の婦人の為に解った)を感慨深く拝見して来た者として、ごく自然にそう思われたのかも知れません。
遠藤周作には、キリシタンに関する調査研究が沢山あります。その一部は「日本紀行」という本の「切支丹の里」(光文社)に隠れキリシタンについて余す所無く書かれています。
幕府の切支丹弾圧が厳しくなって、正面切って「私はキリスト教信者です」と言えば、処刑される時代になり、多くの切支丹は偽りの仏教徒になって、それが隠れキリシタンとして一部は近年まで繋がってきました。
棄教を迫ってどの様な残酷極まりない悲惨な刑をうけるか、知らない人には、殉教者の心も、隠れキリシタンにならざるを得なかった人々の心も、きっと理解しがたいところがあるでしょう。
殉教によって死をえらぶか、隠れキリシタンとなって、密かに信仰を持ち続けるか、それとも本当に棄教するか、それしか道は無かったのです。たとえ隠れキリシタンとなっても、殉教できなかった自分の弱さを恥じたに違いなく、その為に集落毎にしっかりと団結し、熱心な隠れキリシタンとして決して表に出さず、子々孫々まで長い年月を伝えて来たと言えるのではないでしょうか。
遠藤周作は、偶然にも十六番館で実物の踏み絵を見た、と書いています。私達も二度目の長崎でしたか、大浦天主堂脇から神学生の学びの部屋など見て、山から下りてきた時に、本当に偶然に十六番館に入って、同じく実物の踏み絵板を見ました。
親指の跡が窪み、黒く汚れていました。説明書には、「これだけ多くの切支丹に踏み絵を実際に行った」ということを役人に伝える為に少し大げさに手で作られた部分もあるように書いてありましたが、確かに足の指のえぐれ方を見ると、深く大きく、とても何万人の足跡でもこれ程は窪まないだろうと思える程でした。信者でありながら、踏み絵を踏まなければならない人の苦しみを密かに理解していた役人もいたという事でしょうか。
遠藤周作はまた「隠れキリシタンたちは聖母マリアを特に拝んでいた」と書いています。そして「かくれ切支丹たちは自分達の母親のイメージを通して聖母マリアに愛情を持っていたことを示している。母とは、少なくとも日本人にとって『許してくれる』存在である。子供のどんな裏切り、子供のどんな非行にたいしても結局は泪をながしながら許してくれる存在である。そしてまた裏切った子供の裏切りよりも、その苦しみを一緒に苦しんでくれる存在である。母にたいして父は怒り、自分を裁き、罰する。それは正しく、秩序をもつが、非行の子供にとっては怯え、震える対象だ。かくれキリシタンたちは、神のイメージのなかに父を感じた。父なる神は自分の弱さをきびしく責め、自分の裏切り、卑劣さを裁き、罰するであろう。そのような神にかくれ切支丹たちは怖れを感じながら、しかし、そのきびしさより、自分をゆるしてくれる母をさがした。そして聖母マリアが<それだ>と彼等は感じたのである。
マリア観音や納戸神として祭られている聖母の素朴な絵の背後には彼等の切実な『許し』への悲願がこめられている。私は彼等の祈り(オラショ)のうち『憐れみのおん母』のオラショほど実感のこもったものを他に知らない。」と書いています。今にして読んでも胸に響く言葉です。
私達が九州の平戸島の「切支丹資料館」へ行った時も、キリスト像よりもマリア観音像が圧倒的に多く、それは正面から見ると子を抱いた観音様に見えますが、後ろに回ると後頭部に十字架が彫ってある、という像で、様々なマリア像が展示されていました。
隠れキリシタンの納戸神は聖母の肉筆画が圧倒的に多いそうです。キリスト像はグッと少ないそうです。隠れた信者としての心の痛みの為に、一層マリア様に救いを求めたとも言えるようです。
家庭に於いても、教育者として父親が重視され、それは厳しく秩序を重んじているかも知れませんが、罪を犯したものの母へのコメントとしては、マリア様のような温かく慈悲深い母親像を理解したものであって欲しい、と思いました。
たとえ我が子が罪を犯したとしても、自分も共に苦しみを背負う母親でありたいと願う人は多いのではないかと思います。しかし、昨今はあまりにも自分本位の母親が多くなり、子供に対する関心の強さが昔に比べて薄いのではないかと感じます。実の親の子供への虐待や、果ては殺人すらも折々ニュースになります。生きとし生ける者の母親なる存在は、子供のためなら命さえ投げ出す者であることを、しっかり認識して、温かい心の籠もったコメントを発言して頂きたいと願わずには居られません。
沈黙のイエスに語りしロドリゴの哀しみせまる遠藤記念館(某紙に掲載)長崎駅からかなり遠い遠藤記念館を訪れた時の歌です。