大いなる力に支えられ
春の爆弾低気圧が今年もあちこちに被害を出して通り過ぎました。最近のこの異常気象はかつて体験したことのない現象のように思えます。海の上に不気味にぶら下がった竜巻の尾を、不安に眺めた幼い頃の記憶は残っていますが、本物の竜巻に遭ったことはありません。旅先の宮崎の日南海岸で、スコールのような雨に出会い、「雨は上から降って来るものと思ったら、下から吹き上がって来た」と、跳ね返る雨脚の激しさに目を見張っていたら、次の瞬間ピタリと止む切れの良さに驚嘆したものです。一時間に60ミリとか80ミリとかいう豪雨はどのようなものか、今以て予想も出来ません。
先日、NHKで巨大地震の「活断層」についての番組を視ました。2年前のあの大地震の後に、内陸で頻繁に起きるようになった地震を、私は何となく不安に感じていました。それが次第に高じて、今では毎朝ネットでニュースを見た後NSMのお天気予報を見て、必ず「地震」という所をクリックして、直近の25の地震のデータで震源地・規模・最大震度・地震発生時刻を見るようになりました。 震度1や2は普通に起こりうることとして余り気にしませんが、3や4になると、どの地域まで揺れたか分布図を見ます。地震の頻度にも気を配り、多いと大地震の前触れではないかと不安になります。
この放送で活断層の分布を見ましたら、日本中どこも活断層だらけで、何時何処で地震が起きても不思議では無い気持になりました。実際に大きな揺れは、活断層の真上ばかりでなく、少し離れたところの方が、かえって大きく揺れる事があるとも聞きました。
地震ばかりでなく、政治もこのところ国外では紛争の種を抱え、国内に目を転ずれば、日本経済も良くなる期待と、益々借金に苦しむようになるかも知れない不安が交錯いたます。こうなると何時ものように「死ぬ時節には死ぬが良く候」と言われた良寛禅師の言葉が思い出されて、「心配しても始まらない」と、全てを御仏に委ねる気持ちになって何とか心を静めています。
最近私はNHKのシルクロードのDVDを図書館から借りてきて、少しずつ見始めています。初回のシルクロードは、昔テレビで同時進行で見ましたが、二度目以降は、DVDで見ています。今は廃墟になった都市の跡や、発見された洞窟の壁画のみごとさ、はぎ取られた壁画を再現したものを見たりして、感動に震える思いです。
はるか彼方の砂漠を越えて、インドから経典を運んだ玄奘三蔵法師が居られて、仏教は、その後中国から東へ東へと受け継がれ、日本に辿り着き、そして我が家にも連綿と引き継がれて来ました。
仏教は平和を尊ぶ宗教として、世界にも注目されてきているとも聞きます。信教は自由ですし、他の宗教をとやかく言う積もりはありませんが、はるばるとシルクロードを通ってもたらされたこの仏教を、私は日本の誇れるものの一つだと思っています。古くはインドそしてシルクロードを通って、中国で盛んだった仏教が、今は日本がその主流になっているのですから、有り難い時期に私は生まれたと言えそうです。
世俗的な欲望への執着を断つように努力出来れば、私達は概ね、つつがなく暮らしていると言わなければなりません。小鳥が囀り花が咲き、何処の家の庭にも春の花が咲き乱れています。寒椿か、山茶花か、赤い花が咲いている間は、毎朝鳴いてくれた鶯もこの春嵐で、花が全て散ってしまって、もう鶯の姿は見えません。
地球上に沢山の小鳥がいて、虫をついばんでくれなければ、三年くらいで地球上のあらゆる植物は、緑の葉を虫に食い荒らされて無くなると聞きました。そんなに恐ろしい程の虫を、こともなげについばみつつ、私達の目や耳を楽しませてくれる小鳥達は、地球にも私達にも幸せを運んでくれる天使のように思えてきます。
地球上のあらゆるものがバランス良く配分されていて、お互いにじゃんけんぽんのような状態で、上手く支え合い、輪を描くように回っているという現象は、考えてみると実に不思議なことです。だれがそのような仕組みに造りあげてくださったのか、考えも及びませんが、その中の小さな小さな生命として、現在私が生きているということは事実です。
足が少し不自由になりつつあって、立ち居振る舞いがスムーズにできなくなりはしましたが、まだ歩けて、三度の食事を家族の好みの献立にして、楽しんで料理をして・・・と思いますと、ささやかではあっても、何と幸せなのかと思わざるを得ません。その食材やエネルギーなどに思いを寄せると、それは多くの人達の働きに依って支えられていることを、忘れてはならないと思います。私自身もその循環する輪の中の一員ではありますが、支えられている力の大きさには、言い表せない程の重みを感じています。
このブログを読んで下さって居られる皆様にも、大きな支えを頂いてきました。「有り難う」は言える内に言っておかないと後悔します。皆様に本当に心からの感謝をお伝えしたいと思っています。どうか私の心が届きますように。
春の爆弾低気圧が今年もあちこちに被害を出して通り過ぎました。最近のこの異常気象はかつて体験したことのない現象のように思えます。海の上に不気味にぶら下がった竜巻の尾を、不安に眺めた幼い頃の記憶は残っていますが、本物の竜巻に遭ったことはありません。旅先の宮崎の日南海岸で、スコールのような雨に出会い、「雨は上から降って来るものと思ったら、下から吹き上がって来た」と、跳ね返る雨脚の激しさに目を見張っていたら、次の瞬間ピタリと止む切れの良さに驚嘆したものです。一時間に60ミリとか80ミリとかいう豪雨はどのようなものか、今以て予想も出来ません。
先日、NHKで巨大地震の「活断層」についての番組を視ました。2年前のあの大地震の後に、内陸で頻繁に起きるようになった地震を、私は何となく不安に感じていました。それが次第に高じて、今では毎朝ネットでニュースを見た後NSMのお天気予報を見て、必ず「地震」という所をクリックして、直近の25の地震のデータで震源地・規模・最大震度・地震発生時刻を見るようになりました。 震度1や2は普通に起こりうることとして余り気にしませんが、3や4になると、どの地域まで揺れたか分布図を見ます。地震の頻度にも気を配り、多いと大地震の前触れではないかと不安になります。
この放送で活断層の分布を見ましたら、日本中どこも活断層だらけで、何時何処で地震が起きても不思議では無い気持になりました。実際に大きな揺れは、活断層の真上ばかりでなく、少し離れたところの方が、かえって大きく揺れる事があるとも聞きました。
地震ばかりでなく、政治もこのところ国外では紛争の種を抱え、国内に目を転ずれば、日本経済も良くなる期待と、益々借金に苦しむようになるかも知れない不安が交錯いたます。こうなると何時ものように「死ぬ時節には死ぬが良く候」と言われた良寛禅師の言葉が思い出されて、「心配しても始まらない」と、全てを御仏に委ねる気持ちになって何とか心を静めています。
最近私はNHKのシルクロードのDVDを図書館から借りてきて、少しずつ見始めています。初回のシルクロードは、昔テレビで同時進行で見ましたが、二度目以降は、DVDで見ています。今は廃墟になった都市の跡や、発見された洞窟の壁画のみごとさ、はぎ取られた壁画を再現したものを見たりして、感動に震える思いです。
はるか彼方の砂漠を越えて、インドから経典を運んだ玄奘三蔵法師が居られて、仏教は、その後中国から東へ東へと受け継がれ、日本に辿り着き、そして我が家にも連綿と引き継がれて来ました。
仏教は平和を尊ぶ宗教として、世界にも注目されてきているとも聞きます。信教は自由ですし、他の宗教をとやかく言う積もりはありませんが、はるばるとシルクロードを通ってもたらされたこの仏教を、私は日本の誇れるものの一つだと思っています。古くはインドそしてシルクロードを通って、中国で盛んだった仏教が、今は日本がその主流になっているのですから、有り難い時期に私は生まれたと言えそうです。
世俗的な欲望への執着を断つように努力出来れば、私達は概ね、つつがなく暮らしていると言わなければなりません。小鳥が囀り花が咲き、何処の家の庭にも春の花が咲き乱れています。寒椿か、山茶花か、赤い花が咲いている間は、毎朝鳴いてくれた鶯もこの春嵐で、花が全て散ってしまって、もう鶯の姿は見えません。
地球上に沢山の小鳥がいて、虫をついばんでくれなければ、三年くらいで地球上のあらゆる植物は、緑の葉を虫に食い荒らされて無くなると聞きました。そんなに恐ろしい程の虫を、こともなげについばみつつ、私達の目や耳を楽しませてくれる小鳥達は、地球にも私達にも幸せを運んでくれる天使のように思えてきます。
地球上のあらゆるものがバランス良く配分されていて、お互いにじゃんけんぽんのような状態で、上手く支え合い、輪を描くように回っているという現象は、考えてみると実に不思議なことです。だれがそのような仕組みに造りあげてくださったのか、考えも及びませんが、その中の小さな小さな生命として、現在私が生きているということは事実です。
足が少し不自由になりつつあって、立ち居振る舞いがスムーズにできなくなりはしましたが、まだ歩けて、三度の食事を家族の好みの献立にして、楽しんで料理をして・・・と思いますと、ささやかではあっても、何と幸せなのかと思わざるを得ません。その食材やエネルギーなどに思いを寄せると、それは多くの人達の働きに依って支えられていることを、忘れてはならないと思います。私自身もその循環する輪の中の一員ではありますが、支えられている力の大きさには、言い表せない程の重みを感じています。
このブログを読んで下さって居られる皆様にも、大きな支えを頂いてきました。「有り難う」は言える内に言っておかないと後悔します。皆様に本当に心からの感謝をお伝えしたいと思っています。どうか私の心が届きますように。