ばあさまの独り言

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二つの原爆記念日の狭間で

2011年08月12日 | 随筆・短歌
 8月6日には広島の、9日には長崎の原爆記念日でした。今以て沢山の人々が辛い病魔と闘い、遺族として悲しみ、また同じ日本人として、悲しみを共有しています。
 今年は特別に、テレビでそれぞれの記念式典や、原爆投下に到るドキュメントや、裏話など見る機会が多くありました。66年が経っても、今だに悲しみや苦しみと闘っておられます 原爆投下直後の現場は余りにむごく、私達夫婦も、もう20年以上前に、広島や長崎へ行き、原爆記念館に立ち寄り、悲劇の様子を目の当たりにして、大きな衝撃を受けました。
 ボロボロの衣類や、へし曲がった飯盒、人間の影の石・・・、爆心から3.5㎞離れていても、熱線に素肌を晒した人は、火傷を負ったと聞いています。焼けた皮膚はずり落ちて、とても正視出来るものではなかったようです。水を求めて人々は彷徨い、倒れて行きました。長崎の平和公園には、そういった人達に清らかな水を湛えた平和の泉も造られていて、供養されていました。数え上げれば際限がありません。涙なくして見られる筈もなく、広島の平和記念資料館や長崎の原爆資料館を出る時は、暫くは人に顔を合わせられない思いでした。
 長崎では、永井博士の如己堂にも立ち寄りました。この狭いひと間に家族三人がどの様な暮らしをされたかと思いますと、今だに悲しみが湧いて来ます。人の親として、または子の立場として、それは言い表しようの無い悲劇だと感じました。
 雨の日でしたし、平和公園では傘も立たない位の吹き降りの中をお参りしたり、写真を撮ったりして歩き回り、如己堂と浦上天主堂を歩いてすっかり疲れ果てたことを覚えています。
 私の友人も当時広島市に住居がありましたが、幸いご自身は疎開していましたので、直接被災されませんでしたが、お父上がしばらく後に亡くなられ、母上もまた可成り間を置いてからでしたが亡くなられました。後にごきょうだいも次々にガンと闘うことになり、近年になってご自身もガンが見つかり、治療を受けておられます。当時は被爆しなかったわけですが、戦後は広島で過ごされましたので、長く経っていても発病するのか、彼女からは病気の原因についてはお聞きしていませんので分かりません。
 日本人の30%がガンに罹るそうですが、被爆に依るとは言い切れなくとも、広島や長崎の原爆と何らかの関係が疑われつつも、原因がハッキリしていない人も多く居られるそうです。
 追い打ちを掛けるようにして、この度の大災害に依る福島の原発事故で、三度目の被災者が出ています。目に見えない放射線の恐怖に、おののく人々の不安も理解出来ます。医学的に未だ何処まで大丈夫なのか、と言う結論は出て居ないのではないでしょうか。何年先迄被害が現れるのか、それさえはっきりしていません。
 かといって怖れる余りに日本を脱出出来る筈もなく、どう折り合いをつけて暮らすか、一人一人が良く考えて、将来の見通しの上に生活の基盤を造り上げなければならないのですから、中々判断も迷いがちなことでしょう。一説には医療で受けるCTやレントゲンに依る被爆、飛行機で海外旅行の度に当たる放射線も無視出来ないと聞きます。それと現在問題になっている野菜や畜産の牛肉を食することで、被爆する量を比較したら、どちらをより重視すべきなのか、考えさせられます。むしろやたらとCTの検査をする方が、より問題が大きいのかも知れません。無学なので分かりませんが、専門家の責任ある説明をお聞きしたいものです。
 どれも事実として忘れないで後世に残し、被爆治療の発展や、除去の方法、予防の方法を確立しなければならないことだけは確かです。
 次に詩を一編載せさせてください。

仮包帯所にて    峠 三吉

あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいてもことばになる唇のない
もがこうにもつかむ手と指の皮膚のない
あなたたち

血とあぶらと汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ
糸のようにふさいだ眼(め)をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
だれがほんとうと思えよう
焼け爛(ただ)れた ヒロシマの
うす暗くゆらめく焔(ほのお)のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎと這(は)い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶(くもん)の埃(ほこり)に埋める
何故(なぜ)こんな目に遭わねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているのかを知らない

ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そうして眠り起きごはんをたべさせた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれ いまは灰の跡さえわからない)

おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって

おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を        以上
          
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