ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

ささやかな日課で始まる一日

2009年12月24日 | 随筆・短歌
 私は朝食が済み、片付けも終わると、お仏壇の前に座って、般若心経を上げます。膝の痛みで正座が出来なくなって、椅子に掛けての読経です。
 義母、義父、娘の順に亡くなって、位牌も遺影も増えました。娘が亡くなって何年か経った頃、夫は「仁左衛門(我が家の屋号)の供養を長くしてきてくれたし、君の実家の家族の遺影も飾ったらどうか」と言って呉れました。義父と義母の位牌と遺影が仏壇の上から二段目の左右にあり、その下の左に娘の遺影があります。娘は結婚したので、我が家に位牌や遺影があるのは異例かも知れませんが、たとえ他家へ嫁いだ子であっても、私達の子供である事には違いありませんので、我が家で供養もしています。右には、幼くして亡くなった夫の弟の位牌が置いてあります。そこで私は、ずっと下の壇に、私の父、母、兄弟の写真を並べさせて貰い、お仏壇はとても賑やかになりました。
 我が家は真言宗なので、常に般若心経を上げますが、娘の嫁ぎ先は曹洞宗で、これは般若心経で良いそうですが、私の実家は浄土真宗で、般若心経は上げない宗派なのですが、み仏はその広い心で許して下さるものと信じて読経しています。 
 私と夫が上げるお経にもそれぞれの個性があって、お金(きん)を叩く場所や回数が違います。私は最後の一節が済むと、必ずおきんを五つ叩いて、何故か「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えるのです。そして、「仏様有り難う、皆さん有り難う、今日もこの様に良い一日を頂きました。有り難うございます。」と言って終わります。
 夫も毎朝読経しますが、最後は矢張り「南無阿弥陀仏」と唱えるそうです。その理由は親鸞が大好きだからだと言っています。
 私の言う「皆さん」とは、私を守って下さっている祖先の魂や先だった人達、そして私の身の回りに在るあらゆる動物も植物も、空や海、石ころや大地、そして宇宙までの森羅万象を指しています。 
 空海はこの世の万物に仏が宿っていると言いました。私も宇宙の中で万物は生きている、生きているからには皆魂を持っていると納得が出来ます。「今」という時間を生きているということは、この仏心を宿した万物に守っていただかなければ生きていられる筈もなく、高齢にもかかわらずこのように健康な状態で、家族にも恵まれ、今朝を平穏に迎えられたことは、将に奇蹟とも言える幸運であって、心から感謝せずには居られません。
 南無阿弥陀仏というのは、法然や親鸞の教えによるもので、この言葉を唱えることで、お浄土へ行けるという、明瞭なお導きに安らかな気持になれるのです。真言宗でしたら、南無阿弥陀仏というところは南無大師遍照金剛と唱えるところでしょうが、すっかりごちゃ混ぜにしてのお参りで、申し訳ないとは思いますが、素人のこと故苦笑しながらも許して下さるでしょう。それでもこのお経を上げて、感謝の気持ちで一日か始まるのは、とても清々しい気持なのです。これはきっと朝一番に、仏様のご慈悲を頂いている証拠なのでしょう。
 この秋に我が家のご先祖の法要をしました。義母が亡くなって、丁度23回忌に当たり、義父19回忌、夫の弟が72回忌、そして娘は一年早い13回忌です。
 夫の姉がまだ元気ですので、義父母には実子の家族一同がが集って、仁左衛門の法要を行える最後の機会ではないかと考えてのことです。33回忌ともなると、あと10年かかりますし、その頃は、どちらかが病気になっているかも知れませんし、或いは冥界に先立っているかも知れません。親孝行の最後の仕上げが出来たようで、本当に肩の荷を下ろした思いです。
 思えば夫が退職して、本山へ義父母の納骨の旅に出て、やっと責任を果たしたようで、ホッとした日がつい先日でもあったような、もうずっと昔でもあったような、そんな気にもなりました。納骨のあとに、桜が満開の京都の哲学の道や嵯峨野を歩いたり、萩まで足を延ばしたりして、それが私達の本格的な夫婦の旅の始まりでした。そしてその何年か後に娘が亡くなって、四国遍路の旅にも三回行きました。
 沢山の旅を重ねて、そろそろ私の足も思うように動かなくなりましたし、夫の血圧が突然高くなったりして、今年は春も秋も二つの旅の全てが直前のキヤンセルになりました。更に悲しいことに、親戚の大切な人が次々に亡くなって、そのお葬式に出席したり、知人のお悔やみもあって、例年になく多くの親戚縁者とお別れしました。喪中の悲しみに耐えて、新しい年を迎えられる方達は、さぞお寂しいことだろうと思いを馳せながら、静かに新年を迎えたいと思っています。

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