ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

虎の威を借る狐のように

2009年12月08日 | 随筆・短歌
私達は夫婦ともごく平凡なサラリーマンでした。今は退職しましたから、全く肩書きの無い人として、大いにのんびりさせて頂いています。最近は特にこのような立場が心地よく、肩が凝らず有り難いことだと思え、こんなによい暮らしもないと感じています。
 様々な人が集まっている団地ではありますが、この分譲地を買った時の年齢がほぼ同年令であったため、今日に至っても話しの関心や価値観が似ていて、会えば皆さん気持ち良く、楽しそうに談笑しています。けれども現職時代の職業や階級に触れることは全く無いので、平等で気持ちの良いお付き合いをしています。
 ところが私の知人で、一流企業に勤めていた人が、会社の斡旋する団地の一角を買って家を建てた所、退職後も会社の地位関係がまかり通っているといって、奥様が嘆いておられました。「今日は蒲団を干しておられなかったから何処かへ行っていらしたのか」とか、「○○へ行くから付いておいでなさい」と荷物を持たされたり、旅行するとお土産も買ってこなければならないし、大変だというのです。この分だと死ぬまで夫の現役時代の地位が張り付いて離れない、と仰るのです。こんな事ってあるのかしら、と思っていましたが、結構退職してからも上司風を吹かせる人が多いらしいことを私も夫に聞いて、何と愚かなことだと思うのです。
 
 もしも人間の価値が、その仕事で決まるものならば、馬はどんな人間よりも価値があるはずだ。・・・馬はよく働くし、第一文句を言わない。  ゴーリキー

熟年になっても、人間の価値は何によって測るべきかが解らない人達なのですね。
 ところで私も退職してから、ある女性の団体の仕事を手伝うように言われて、一時手伝ったことがあるのですが、そこでは、夫が大学の教授だったりすると、奥様がとてもそれを鼻にかけて威張るのです。夫が会社社長だったり、大学教授の人は他にもいましたし、全部とは言いませんが、そういう傾向は全く無かったとは言い切れません。
 妻の地位が夫の社会的地位に左右されているようで、違和感を持ちました。その団体は、女性の地位の向上を目的とする人達の集まりでしたので、その主旨と実態との乖離が一層気になりました。人間は一個の人として、尊敬されるべきものであって、夫の偉さに依って偉くなるといった類のものではないはずです。これは平凡なサラリーマンで現役を終わった夫の妻である私のひがみでしょうか。
 賀状の季節になって、年一回の音沙汰という人も多くなってきましたが、私も以前の職業を通じての友達とは、ごく僅かの人としか、交流しないようになっています。食事を共にする会も良くあるのですが、敬遠したい集まりは、誘われても適当に言い訳をして遠慮します。理由を言うと恥ずかしいのですが、今一緒に話していた人が早めに帰ったりすると、直ぐに居なくなった人の悪口を始める人がいるのです。それはとても嫌な気分を誘います。もし私が帰れば多分直ぐに私の悪口か、と思うと、そんな会には次からは出たくはありません。
 学生時代の女性の友達にはこのようなことはないので、とても安心して付き合えます。夫が如何ほど偉かろうと、少しも口にせず、みな平等に付き合います。私の夫も年を取って、昔の研究室の男女の友達などと楽しそうに付き合っています。私達のすぐ近くに住んでおられる人も同じようなことを言って、以前の職場とは全く関係ない人ばかりが集まって、ゴルフをしておられます。
 私が行っているジムでも以前は何をしていた人か、現在どんな環境にあるか、などを敢えて言わず、また聞かず、お互いに姓しか知らない同志で、会えば一緒に楽しんでいます。利害関係が無くて、お互い深入りせずに、さらりと付き合うのもとてもいいものです。
 信じ合える数少ない友達と、さらりとした付き合いの近隣や、趣味の会など、様々なお付き合いに支えられて、私は幸せな日々を感謝しながら生きています。

  いつの間にはぐれしものか自ずから距離置きしものか友達の輪
  生業(なりわい)の地位に付きくる苦しみが夫には融けず如月の雪
  後の世に縁なきこととしがらみを一つまた一つ棄てて生き継ぐ
                     (実名で某誌・紙に掲載)
 

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