ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

一年は短し、されど一分は長し

2009年12月03日 | 随筆・短歌
 私くらいの年になると、一年は瞬く間に過ぎてしまいます。「60代の人は、若い時の6分の1、70代の人は、7分の1位に感じられるものだ」と聞いたことがあります。本当に実感として、そう思います。一年はアッという間に終わって、新しい年がやって来ます。古稀を迎えて以来、まごまごしている内に直ぐに80歳になりそうで、怖い位です。
 ところが同じ時間でもなかなか来ない時間もあります。それは料理中の時間です。私はとても忘れっぽいので、食事作りに4つのタイマーを使っています。料理を焦がしたりしないように、完成予定の時間に料理が整うように、タイマーは欠かせません。先ず一つは、毎日何時になったら、食事作りに掛かるか、という電波時計の目覚ましです。居間に常備していて、これが鳴ると夕食作りを初めます。何かと夢中になるタイプの人間なので、つい時を忘れてしまい勝ちで、この時計は重宝しています。日によって始める時間は異なりますから、なかなか便利です。
 次に2個の99分99秒まで測れる調理用タイマーです。コンロの火口が2個ありますから、どうしても2個必要です。コンロを離れる時は、首からぶら下げて使っています。これで足りない時の為に、出窓に少し大きめな置き時計を置いて、一分くらいはこの秒針を使ってはかります。
 皆さんも時には感じていらっしゃると思いますが「一分間を待つ」ということは、意外と長い時間です。じっと待っていると、なかなか一分になりません。まして三分ともなると、待ち続けていられなくて、場所を離れてしまいます。居間のテレビのニュースが気になったりすると、更にタイマーを付けて移動します。居間は直ぐ隣なのに、強で動かしている換気扇の音の為に聞こえないのです。そんな時にも、また30分とか1時間といった長い煮物の時間の場合も、タイマーは大変便利です。ところが最近は、時折これは何を知らせるタイマーなのか解らなくなったりして、ハタと考えることがあります。この度合いがもっと進んでいったら、どうしようかと今から対策を考えています。
 数分間がこんなに長くかかるのに、一年という月日がどうしてこんなに短いのだろう、と時々思います。変化の小さい生活をしていると、時間は短く感じるものだとも言います。 確かに現役の頃と主婦になってからとでは、時の流れは大きく変わったように思います。
 もうじきお正月ですが、子供の頃の、あのお正月を待っても待ってもなかなか来ない、待ち遠しさを時々想い出して、懐旧の念に駆られます。雪でも降って来ようものなら、飛び回って喜んだものです。遥かに遠い昔のことです。私にもそんな純粋な時代があったなんて、皆さんは信じて下さるでしょうか。
 時代が時間を短くしている所もあるように思います。家の中の電気製品と言えばラジオとアイロンくらいしか無い頃に子供時代を過ごした私ですが、今はこうして様々な電化製品に囲まれ、パソコンから、いろんな情報を入手することが出来るようになり、それはもう当時からは想像もつかない暮らしです。豊かと言えば豊か、気ぜわしいと言えば気ぜわしい暮らしです。でもこのことと、心の豊かさや幸福感とは全く無関係であり、時には反比例するように思えるのは残念なことです。人間の幸せとは何によってもたらさせるものか、また考え込んでいる内に時間が過ぎてしまいました。
 今日もそろそろ、夕食の支度にかかるタイマーの鳴る時間が、近づいたようです。

  追ふごとく二人の友の逝きし日は吾に残れる時間をはかる
            (実名で某誌に掲載)

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