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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

歩ける喜び

2023年01月20日 | 随筆
 或る日突然、乗用車にドンと当てられて救急車で整形外科病院へ収容され、6週間入院しました。私にとっては青天の霹靂でした。私は右手に杖をついて左手を上げて道幅の狭い交差路を渡っていましたし、信号もついていてどの車も徐行している交差路で事故に遭うとは想像もしませんでした。
 診察して下さった医師は「上手く行って歩行器、悪くすると寝たきり、年齢からして歩けるようにはなれません。」と家族に仰ったそうです。私が後に聞いたことですが、家族もきっとガッカリしたことと思います。

 ところが幸いにも間もなく自力で歩く事が出来、速くは歩けないのですが不便も余り感じないで過ごしています。食事作りも出来ますし有り難い事です。家族は事故前は毎日せっせとウォーキングをしていましので、その継続がよかったのだろうと言います。何れにしても事故には遭わない方が良いのですから、どうぞ皆様もご注意下さい。

 人間は二足歩行が出来ますから、何かと便利に過ごす事が出来て、普段は余りその恩恵を感じないで過ごしているようです。しかし、歴史上人間が二足歩行を獲得するまでの期間を考えると、その長さは可成りのものになり貴重な能力といえます。失って初めて分かるというのは寂しいですが、今更にこのような思いをさせられています。当然のようにあった能力が無くなるのですから不便さは一層です。歩く事は基本ですから、今しみじみと手にしている能力を有り難いと思っています。
 加害者は大学生でした。事故に責任を感じて何回も詫びに自宅を訪れました。誠実なその態度は好感の持てるものでしたが、痛みに耐え不自由になった吾が身を思うと、簡単に許すとか許さないとか割り切れるものではないと知りました。

 さだまさしの歌う「償い」の未亡人のようにすっきりとは行かないものだと知りました。普通に歩くという、今まで持っていた能力を惜しいと思わなければならない事は寂しいですが、時折は今在る能力を思って、不足にばかり目を向けず、満ち足りている現在に感謝したいものだと思っています。
 

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何とか元気で戻って来ました

2022年12月29日 | 随筆
 今年も残り少なくなりました。6週間入院していましたから、あちこち錆び付いてしまって頭も上手く働かないようです。しかし元気を出してまた続けたいと思って、パソコンに向かっています。何処まで続くのか分かりませんが、お付き合い頂けると嬉しいです。

 入院していて、医療現場の厳しさや現在の医療水準の高さ、看護師さん達の優しさを身近にヒシヒシと感じました。有り難い事です。恵まれた患者として過ごした日々は、私の人生を振り返って「今生きて居る事の有り難さ」をヒシヒシと感じさせられる事になりました。

 戻ってみたらガラス窓の外は庭一面に僅か数センチですが雪の世界です。リハビリに外の道路を歩こうにも、喩え数センチと言えども雪ですから滑って転んだら大変です。居間のデスクから外を眺めて私自身の好運を有り難く感じているところです。
 室内も杖を使って歩いています。でも歩けるって素晴らしい。人間が生き抜く力とか、そこに集まる善意の温かさには感動しています。一人の人間が生きて行く為にどれだけの外部からの手助けが有るかと指を折ってみると、それはそれは沢山になります。
 お花の籠を届けて下さった人もあって、病床の私には本当に温かい贈り物でした。とりどりの春の花からのエールを、心底嬉しく眺めています。次々と開いて行く花の美しさは、病人にとってはこの上ない慰めであり励ましです。
 このような温かい皆様からのお心によって私は生きて居るのだと、心底感謝しています。形になる成らないの違いはあっても、応援して頂いているお心は通じます。このブログのお会いしたことのない読者の皆様からの応援も感じています。有り難うございました。

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読者の皆様へ:しばらく休みます

2022年11月18日 | 随筆
 とんでもないアクシデントに見舞われて、只今、ある病院の整形外科で入院治療を受けています。
 15日(火)のこと、毎日の散歩コースを夫と二人で縦に並んで歩いていたのですが、交差点で左側から来た車にドンとぶつけられたのです。二人とも手を挙げて歩いていたので、「見ていてくれる」という甘さがあったようです。
 当分、「ばあさまの独り言」は休ませていただきたいと思います。退院予定はお正月明け頃かと思います。元気で戻って来ましたら、またポツポツと書きたいと思っています。

 皆様もくれぐれもお体をお大事に。お元気でお過ごし下さいますように。

                                    あずさ


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みんな必要

2022年11月04日 | 随筆
 時折過去を振り返って「これで私は良かったのだろうか」と考えてみる事があります。きっと多くの人達が、ごく自然にそのような考えを持つ事があるのではないかとも思います。
 自分が幸せだとか不幸せだとか、日々そう強く考えて生きているわけではなく、昨日の続きをごく自然に生きて繋いでいる、と私はそう感じています。強いて日々の区切りをつけるとすれば、きっと日記を書いたりベッドに入って寝に付く時でしょうか。満足感や時として後悔する事もあります。隣のお布団で横になっている夫に声をかけて、今日あった小さな出来事をなぞりながら、これで良かったのかと反省することも度々です。
 ところで我が家の近くのお宅では、最近車を放された方が何軒かありました。何しろ団地として売りに出された土地に思い思いの家を建てたので、似かよった年齢の方達が多いせいもあるのでしょう。いきおい歩くか自転車かの人が増えました。
 先頃も「もう車に乗らない事にしましたから、最後に愛車で○○峠を通って温泉に行って来ました」などとお土産を頂いたりして、「ああ、その年齢に成られたか・・・。」と感慨深い思いにさせられました。
 「長い間乗っていた車は『愛車』というのがふさわしく、家族の一員のように思えるものだ」と夫が云いました。手放す時は車を囲んで家族で記念写真を撮りましたし、アルバムをみる度にこの車に乗って北海道を走ったとか、関門トンネルをくぐり抜けて九州まで行って、帰りは博多港から船で途中まで帰ったとか、様々な思い出が湧いて来ます。多分車をお持ちの方々は同じように様々な忘れられない思い出を心に残して居られる事でしょう。
 今は空になった車庫は、シャッターの付いた自転車置き場になっています。
 この地に住んで長い年月が経ちましたが、生まれて間もない子供を連れて引っ越してきて、夫婦共働きでしたから、お世話になった夫の両親も他界して今や私達が高齢者です。
 中学校教師だった私は、様々な人達と一緒に学びつつ年月を過ごしてきました。時には不治の病を抱えた生徒が大学病院へ通いながら、立派に生徒会長や学級委員を務めたりして巣立って行きました。
 また不登校ぎみの生徒として私のクラスに入って来た生徒が、当時北海道へ両親と旅に行って来たと、お土産にスズランの花飾りの入ったペンダントをプレゼントとして買ってきてくれたりして、やがて何とか頑張って立派に巣立って行きました。後に大学も卒業して、公務員として社会のお役に立つ人材となりました。私も彼とは卒業後もお付き合いがあって、感動しましたし嬉しかったです。
 クラスという集団は、個々の生徒の良い処が外から見えて、私は毎朝の各教室やクラスに割り当てられた掃除の(例えば校長室や特別教室)区域では、日々一人一人の生徒達と話しを交わす良いチャンスで楽しい時間でした。
 そんな日常の中で「リーダー研修会」が生徒会指導の教師によって年二回ほど行われていました。各クラスの学級委員長と副委員長が集められて「良いリーダーとは」と話し合ったりするのです。
 私のクラスからも学級委員の男女が出席しました。この男子生徒は毎月大学病院へ通院していましたが、心の温かい生徒であり、出掛ける時は「行って来ます」と挨拶し、帰って来ると「行って来ました」と報告に来ました。礼節をわきまえた立派な人間でした。
 中学三年生ともなれば、人間性の立派さは、身の回りの教師も叶わないと思えるほどに成長します。「お帰りなさい、どうでしたか?」と必ず様子を聞き、そこには温かい時間が流れました。
 ところでこのリーダー研修会は、各学級からの言わばエースの集まりなのですが、集めてみればまたその生徒達には格差が生じて、トップもいれば当然ですが落ちこぼれのような生徒も生じます。しかし愛すべき生徒達はくったく無く、明るく研修を受けていました。見学しながらそれとなく眺めていると、このような集まりの中の生徒達の動きは、又学級の中ではみられない個々の生徒の特徴が見えて、驚いたり感動したりしました。
 こうしてみると集団という様々な人間の集まりには、トップも必要ですが、落ちこぼれと云われる人達もとても重要なのです。トップだけが偉いわけではありません。支えている一人一人が何とも言えない集団の味わいを醸し出してくれて、それでクラスという集団になっています。トップもビリもどちらも大切なのです。 当然ですが、人間関係には気配りや愛情、根気強さなどが必要です。集団の落ちこぼれと云われる人達も、一人一人はそれぞれに個性があって、それなりに集団の味わいをかもし出してくれているのです。
 私はこのことから「みんな必要」と思っています。日本とか世界とか云う視点で見ても、矢張り「みんな必要」です。必要で無い人間は一人としていないのです。一般に人非人とか凶悪犯罪者という人も、生まれながらに100%の犯罪者はいないでしょう。戒めとしての存在も必要です。そう考えると、「人間とは何と愛しきものか」と思えて来ます。良い人もいれば悪い人もいる、それぞれに濃淡はあるにしても関わり合って社会を作っているのですね。

 私の夫は運動神経が人より劣ります。(本人の言い分です)徒競走では何時もビリだったと聞いています。「あらあら○○ちゃんじゃない?」と小学校時代の運動会で見に来た叔母の声が、走っていて聞こえたと夫は云います。どう走っても最下位だったそうです。しかし自分が居るから皆は最下位にらずに済むのだと開き直っていたと云います。
 私は走る事は苦手ではなく、小学校時代はほぼ一番でした。ところが中学生になってから少し貧血して、特に持久走は苦手でしたし、ずっと後ろの方になりました。とても悔しい思いをしましたし、徒競走はあきらめざるを得ませんでした。
 「みんな違ってみんないい」と金子みすずが詠っています。私もその通りだと思っています。種々の人が織りなす人間社会は違っているから面白いし、これを個性と呼んで大切にすべきものだと思っています。
 

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丁度よい人生

2022年10月17日 | 随筆
 山のあなたの空遠く
 「幸い」住むと人の言う
 ああ、我人と尋(と)めゆきて 
 涙さしぐみ帰り来ぬ。

 山のあなたになお遠く
 「幸い」住むと人の言う。

 これは多くの人に親しいカール・ブッセの詩(上田敏 訳)です。幸せというものは遠くにあって、求めて行ってやっと届いたと思っても、更に遠くにあって、何時も手の届かないものだ、と言うように私は理解しています。これは悲しい事です。
 私達も何時もそうなのでしょうか。幸せとは、求めても求めて届いたと思っても更に手の届かない、遠い処に在るものなのでしょうか。涙さしぐみ帰り来るものなのでしょうか。つまり幸せとは誰かが作ってくれるものではないとカール・ブッセは云っているのだと思います。ではどうしたら手に入れられるかについては、何も云っていないところが読者にはもどかしい限りです。

 また次のような詩もあります。何時でしたか、高野山の金剛峯寺に行った時、金堂の中に次のような詩がありました。

 小雨が大地をうるおすように
 少しばかりの悲しみが
 人の心をやさしくする
 心配せんでも良い
 必ず良いようになるものである

 私達夫婦は金剛峯寺のこの詩の前で暫く釘付けになって、とても心を打たれて暗記して帰りました。以来何かある時に、きっとそのうちには何とかなる、と思って安心して生きて来たように思います。
 皆様は如何ですか? 人によって違うでしょうけれど、良いにせよ、悪いにせよ、何時だってやがて結論らしきものは出ます。いいえ、結果だと思っても、時と共にやがて変化するものである事を私達は知って居ますし、それをどう受け止めるかは、受け止める人によって変わるとも言えます。しかし、「必ず良いようになる」と思って過ごせれば、一層より良い人生を過ごせるでしょう。
 ところで、私は常日頃から努力する、という事に真摯で在りたいと願っています。でも自分の能力の限界を正しく認識する事によって、楽しい晩年を生きて行けないかと思うようになりました。私の大好きな詩「ちょうどよい」をこの機会にじっくりと味わってみたいと思います。

 ちょうどよい   藤場光津路 作

お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏

 前に書きましたが、また載せたくなりました。心に浸みる詩です。幸せとは自分で感じ取るものですから、自分にふさわしい幸せを作り出せればいいのでしょうね。




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