孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

アゼルバイジャンとアルメニア ナゴルノ・カラバフを巡って再び衝突 改善が難しい両国関係

2016-04-03 22:31:05 | 国際情勢

(【http://www.isc.meiji.ac.jp/~tomyam/topics/topics10.html】)

【「ナゴルノ・カラバフ問題」で再衝突
アゼルバイジャンとアルメニア・・・・私を含めて、その位置がすぐにはピンとこない方も多いと思います。

アゼルバイジャンとアルメニアはともに旧ソ連を構成していましたが、ソ連崩壊で独立した国家です。
北のロシア・ジョージア(旧グルジア)、西のトルコ、南のイラン、東のカスピ海に囲まれた、いわゆるコーカサス地方に位置しています。

領土問題、特にアゼルバイジャン領内に飛び地のように存在するアルメニア人居住地域のナゴルノ・カラバフ地区を巡る争いについては、これまでもこのブログで何回か取り上げてきました。

両国関係、ナゴルノ・カラバフ地区の問題について簡単に、2013年11月24日ブログ「アルメニアとアゼルバイジャン 平和協定の締結を目指し、協議を行うことで合意」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20131124 から再録すると以下のとおりです。

****ナゴルノ・カラバフ問題*****
宗教的には、アルメニアはキリスト教の一派であるアルメニア教会、アゼルバイジャンはシーア派イスラム教が多数を占めています。

この両国が長年対立しているのが、アルメニアの東隣のアゼルバイジャン領内にあるナゴルノ・カラバフ地区をめぐる帰属問題です。

ナゴルノ・カラバフ地区はイスラム国家であるアゼルバイジャンの自治州でしたが、主にアルメニア人が居住しており、ロシア革命の頃からその帰属でもめています。

1992年にナゴルノ・カラバフ側が一方的に「ナゴルノ・カラバフ共和国」として独立を宣言、これをきっかけに紛争が勃発。ナゴルノ・カラバフ側にはアルメニアが軍事介入し、本格的な戦争に発展しました。

その後、ロシアとフランスの仲介で停戦が成立していますが、「ナゴルノ・カラバフ共和国」は国際的には承認されていません。現在はアルメニア人が実効支配しており、アルメニア軍が駐留しています。

一方、アルメニアの軍事介入に反発したトルコ(アルメニアとは、いわゆる“アルメニア人虐殺問題”で対立関係にあります)は、93年にアルメニアとの国境を閉鎖して、現在に至っています。

この紛争により、2~3万人の死者が発生し、100万人以上の難民が発生したと言われています。

なお、ナゴルノ・カラバフ地区はアゼルバイジャン領内にあるアルメニア支配地域ですが、アルメニアの南西部にはアゼルバイジャンの飛び地であるナヒチェヴァン自治共和国が存在するという、入り組んだ関係にもあります。2013年11月24日ブログより再録】 
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この両国が再び、ナゴルノ・カラバフ地区を巡って戦火を交える事態となっています。

****アゼルバイジャンで武力衝突 30人死亡*****
旧ソビエト、アゼルバイジャン西部のナゴルノカラバフ自治州の独立を巡って対立するアゼルバイジャンとアルメニアの間で武力衝突が起き、これまでに双方の兵士合わせて30人が死亡しました。

アゼルバイジャンとアルメニアの間ではソビエト崩壊後、アルメニア系住民が多数を占めるアゼルバイジャン西部、ナゴルノカラバフ自治州の独立を巡る対立から紛争が起き、1994年に停戦することで合意したものの、その後もたびたび戦火を交えています。

こうしたなか、ナゴルノカラバフ自治州で2日、アゼルバイジャンとアルメニアが武力衝突し、アゼルバイジャン国防省の報道官によりますと、アゼルバイジャン軍の攻撃用ヘリコプター1機が撃墜されて兵士12人が死亡しました。

一方、アルメニアのサルキシャン大統領は、今回の衝突でアルメニア軍の兵士18人が死亡し、35人がけがをしたと明らかにしました。

ナゴルノカラバフ自治州でアゼルバイジャン軍とアルメニア軍がこれほどの規模で衝突したのは、おととし、双方合わせておよそ50人が死亡して以来2年ぶりです。

こうした事態を受けて、旧ソビエトの両国と関係の深いロシアのプーチン大統領は戦闘の即時停止を呼びかけましたが、緊張緩和に向かうのかどうかは予断を許さない情勢です。

ナゴルノカラバフ紛争とは
アゼルバイジャンとアルメニアの間では、ソビエト時代の1988年に、アルメニア系住民が多数を占めるナゴルノカラバフ自治州のアゼルバイジャンからの帰属替えを巡って対立が激しくなりました。

そして、ソビエト崩壊の前後にアルメニア系住民がナゴルノカラバフ独立の動きを強めると、両国の間で武力衝突が激しくなりました。1994年に、両国がともにつながりの深いロシアの仲介で停戦に合意するまでにおよそ2万人が死亡し、数十万人が難民になったとされています。

ナゴルノカラバフはその後もアルメニアの後ろ盾を受けて独立を主張し、アゼルバイジャンの支配が及ばない状態が続いており、双方の間で散発的な戦闘が続いていました。【4月3日 NHK】
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両国関係は改善の兆しがあったり、悪くなったりの波があり、前回2013年11月24日ブログのタイトルにもあるように、平和協定の締結を目指した協議の話がありました。

その成り行きについてはよく知りませんが、上記【NHK】にもあるように、2年前の2014年8月、双方に死者を出す衝突が起きていますので、うまくいかなかったのでしょう。

2年前の衝突では、ロシア・プーチン大統領が調停にあっています。

****ナゴルノカラバフ:プーチン大統領ら3大統領が緊急会談****
ロシアのプーチン大統領は10日、南部ソチで、ナゴルノカラバフの領有権をめぐって係争するアゼルバイジャンのアリエフ大統領、アルメニアのサルキシャン大統領との3者会談を開いた。

ナゴルノカラバフでは8月に入って軍事衝突があり、両国の兵士約20人が死亡。ウクライナ危機を抱えるロシアが、旧ソ連の他地域での緊張激化を懸念して緊急の首脳会談を仲介した。

プーチン大統領は9日、アリエフ、サルキシャン両氏と個別に会談したほか、ソチで開かれた伝統格闘技サンボの国際大会を両氏とともに観戦し、緊張緩和を演出した。

プーチン大統領は10日の3者会談の冒頭で「ナゴルノカラバフ問題はソ連の遺物だ。我々は解決策を見いだすため忍耐と賢明さ、相互尊重を発揮しなければならない」と強調。

ロシアのラブロフ外相によると、会談ではアリエフ、サルキシャン両氏が平和的解決に向けた対話の継続を表明し、プーチン氏もこれを支援していく考えを示したという。

アゼルバイジャン領内にあるアルメニア系住民居住地域ナゴルノカラバフの帰属をめぐる紛争はソ連崩壊で激しい民族衝突に発展。1994年に停戦が成立したが、紛争の火種がくすぶっている。【2014年08月11日 毎日】
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【“アルメニア人虐殺”問題をめぐるアルメニア・トルコの対立
一方、アルメニアは隣国トルコと“アルメニア人虐殺”問題で緊張関係にあり、アルメニアがナゴルノ・カラバフへの軍事関与を強めると、トルコは同じイスラム国アゼルバイジャンを支援してアルメニア・トルコ関係も悪化します。

アゼルバイジャンにはトルコ文化が浸透しており、言語的にも、トルコ東南部の方言が使われ、アゼルバイジャン・トルコ語といわれているそうです。

****大量虐殺はあったのか、アルメニアとトルコの対立****
アルメニアとトルコの対立は、世界の政治紛争のなかでも歴史が古く、しかも厄介だ。激しい憎悪は何世代を経ても消えず、極端なナショナリズムが台頭する原因にもなっている。そんな両国の関係を象徴するのが、「ジェノサイド」をめぐる激しい議論だ。

ジェノサイドとは、一つの国家や民族の構成員を抹消しようとする行為で、国連は最も重大な犯罪の一つと位置づけている。だが、どの時点で何人殺されればジェノサイドになるのだろう。問題になるのは実際の行動か、それとも計画なのか。

アルメニアとトルコ、食い違う見解
アルメニア側の見方はこうだ。虐殺の開始は1915年、第一次世界大戦が始まって9カ月後。広大な領土と多文化を抱える世界最強のイスラム教国だったオスマン帝国は、ドイツと手を結んでいた。

帝国内で、キリスト教を信仰する少数派のアルメニア人は、忠実で信頼できる民族と見なされていたにもかかわらず、敵対するロシアに寝返った反逆者の烙印を押されてしまう。

帝国の一部の指導者は、根絶と強制移住で「アルメニア問題」を解決しようとした。国軍やクルド人民兵がアルメニア人の男性を銃殺し、女性は集団でレイプされ、村や町は略奪に遭った。川や泉は死体で埋まったという。

生き残った女性や子どもは兵士に脅され、シリアの砂漠へ追いやられた(現在アルメニア国内に住むアルメニア人の数が300万人であるのに対し、国外で暮らすアルメニア人は800万〜1000万人に及ぶ)。

オスマン帝国内に約200万人いたアルメニア人は、50万人以下に減った。これを近代世界で最初のジェノサイドだったとするのが、多くの歴史学者の見解だ。

だがトルコ政府は、こうした記述を完全に否定し、「ジェノサイドと呼ばれる事態」を次のように説明する。

当時は激しい内乱が続き、歴史的に見てもきわめて異常な状況だった。アルメニア人に多くの犠牲者が出たことは事実だが、世界大戦でオスマン帝国が分断され、ギリシャ人、シリア系キリスト教徒、ユダヤ人など国内にいたほかの集団、さらにはトルコ人も同じ憂き目に遭っている。

組織的な抹消計画などはなかったし、アルメニア人の死者数は誇張されていて、実際は60万人に満たない。そもそもアルメニア人の多くは反逆者で、侵攻してきたロシア軍に加わっていた。

トルコ国内で、この公式見解に反論することはとても危険だ。重罪に問われることこそ少なくなったが、「ジェノサイド」という言葉が国家を侮辱し、社会を扇動・挑発するという裁判官の見解は揺るがない。

ノーベル賞を受賞したトルコ人作家でさえ、アルメニア人の惨禍について公の場で発言しただけで、トルコの国民と国家を侮辱した罪で起訴される騒ぎになったほどだ。(後略)
(ナショナル ジオグラフィック2016年4月号特集「人類の旅路 アルメニア 虐殺の影」より)【4月1日 NATIONAL GEOGRAPHIC】
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このあたりの歴史認識問題は、いわゆる南京大虐殺などの問題を抱える日本・中国にも共通するものがあります。
なお、アゼルバイジャンは、ナゴルノ・カラバフの紛争でアルメニア軍によるアゼルバイジャン住民虐殺があったと非難しています。

ロシアとトルコの緊張関係も
話はトルコに留まりません。アゼルバイジャン・アルメニアと強い関係があるロシアとトルコの関係も難しいものがあります。

歴史的にも南下政策をとるロシアとトルコは戦争を繰り返してきましたが、最近ではシリア国境でのロシア機撃墜事件などで関係が再び緊張しています。

今回のアゼルバイジャン・アルメニアの衝突に先立って、すでに昨年12月段階から、両国及びロシア・トルコの間で緊張が高まっていました。

****トルコ・ロシア関係(アルメニア・コネクション****
ロシアとトルコの関係は、、ロシア機の撃墜以来、極めて緊張したものとなっている模様ですが、ロシアはその同盟国アルメニア(コーカサスにあるキリスト教国家)をも利用して、トルコに対する圧力を強めています。

トルコのhurryiet netは、ロシアとアルメニアの国防相が、23日両国の防空網を統合することに合意したこと、22日にアルメニアがナゴルノカルバッハ地域に関するアゼルバイジャン(コーカサスにあるイスラム国家、トルコと近い)との停戦は、停戦が守られていないので、事実上なくなったと発表したことに対して、トルコ政府はこれらの行為はコーカサス地域の平和を危なくし、特にアルメニアの停戦虫の立場は衝突の危険性を増大させると非難したよし。(後略)【2015年12月25日 野口雅昭 「中東の窓」】
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衝突が鎮静化しても、根本的な問題は残る
前出【NHK】にあるように、前回衝突のときと同様、旧ソ連のアゼルバイジャン・アルメニア両国と関係の深いロシアのプーチン大統領は戦闘の即時停止を呼びかけています。

“緊張緩和に向かうのかどうかは予断を許さない情勢”とは言いつつも、おそらく両国とも戦闘を拡大して全面的な戦争状態に入ることは考えていないでしょうし、ロシア・プーチン大統領もシリア・ウクライナを抱えた今、更にコーカサスでも問題を抱え込むことは望んでいないでしょう。

ロシアにとって、両国の北に位置する北コーカサス地方(チェチェンやダゲスタンなどのイスラム教地域)は極めて厄介・敏感なエリアですから、その近くで揉め事など起こして欲しくないはずです。

ですから、よほどの突発的事態さえなければ、衝突自体は鎮静化するのではないでしょうか。
ただし、両国の領土問題、アルメニアとトルコの関係、トルコとロシアの関係といった、この地域の問題の根幹は何らかわらず、おそらく今後も折に触れて火を噴くことがあるのではないでしょうか。
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