孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

欧州難民問題 送還合意はしたものの双方に課題 トルコ・レバノンにおける難民らの厳しい生活

2016-04-13 22:56:54 | 難民・移民

(トルコ国内の公式シリア人難民キャンプ テント生活に比べたらましにも見えますが、実際のところはどうなんでしょうか。【AAR Japan http://www.unhcr.or.jp/html/07Debriefing%20AAR%20Japan.pdf 】)

難民保護申請が殺到するギリシャ EUは「ダブリン規則」変更に乗り出したものの・・・
EUとトルコは密航してきた難民・移民を全員トルコへ送還すること、シリア難民については送還者と同数を同国内の難民キャンプなどから受け入れることで合意し、3月20日午前0時から発効しています。

これによって、問題は多々残るものの難民流入は取りあえず止まったか・・・という話を3月27日ブログ“欧州難民問題 「トルコ-ギリシャ」ルートの流れは取りあえずは止まったものの・・・”(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20160327)でしたのですが、実際のところは難民たちの流入に歯止めが掛かっておらず、現地では混乱が続いているようです。

今月4日に始まったトルコへの送還作業にも混乱がみられて中断していましたが、8日には再開されています。

****トルコへの移民送還再開=ギリシャから第2陣到着****
欧州への難民・移民流入抑制に向けた欧州連合(EU)とトルコとの合意に基づき、ギリシャからトルコへの移民送還が8日、再開された。送還は2回目。AFP通信によると、パキスタン人ら計124人を乗せた船2隻がギリシャのレスボス島を出発し、トルコ西部イズミル県のディキリに到着した。

1回目の送還は4日に行われたが、ギリシャで送還を免れるための難民保護申請が殺到して混乱が生じたため、2回目の実施が遅れていた。

EUとトルコは、3月20日以降にギリシャに到着した「不法移民」はトルコに送還し、代わりにEUがトルコに滞在するシリア難民を受け入れることで合意した。4日に第1陣として、パキスタン人ら202人を送還。一方、トルコ国内に滞在していたシリア難民78人が再定住のためドイツなどに送られた。【4月8日 時事】 
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上記記事にもあるように、送還を免れるための難民保護申請がギリシャに殺到する事態(難民が最初に到着した国で保護申請することを義務付けた現行の「ダブリン規則」には沿ったものですが)ともなっており、ギリシャへの大きな負担ともなっています。

EUは6日、「ダブリン規則」の仕組みについて、ギリシャに偏る負担を軽減するため抜本的改革に着手すると発表しています。しかし、難民受け入れに消極的な東欧諸国の反発もあって先行きは不透明です。

****<難民問題>EU受け入れ手続き見直し 「玄関国」負担軽減****
中東などから欧州に多数の難民が押し寄せた問題を受け、欧州連合(EU)は、難民の受け入れ手続きの見直しに着手した。難民申請を難民が域内で最初に到着した国に限定する規則を改め、EUの「玄関口」となっているギリシャやイタリアなどに偏った負担を軽減する狙いがある。

EUの行政執行機関である欧州委員会は6日、難民が最初に到着した国で難民審査をするよう義務づけた「ダブリン規則」の二つの見直し案を公表した。
 
一つ目は現行の規則を原則維持しつつ、非常時などに加盟国間で申請を受け付ける責任を分担する修正案。
二つ目は難民が最初に到着した国が審査する仕組みを撤廃し、加盟国で経済規模などに応じて分担する案だ。さらに、将来的に難民申請の受け付けをEUに一元化することも検討課題として挙げた。
 
ィメルマンス欧州委副委員長は同日の記者会見で「現行の制度が持続可能でないことは明らかだ」と述べ、早期に見直す必要性を強調した。だが難民の受け入れには加盟国間で温度差が大きく、受け入れ規模が小さな国などからは反発が予想される。

昨年ギリシャ経由で西欧を目指す難民が多く通過した中東欧では流入に歯止めをかけるために国境管理を強化する国が相次いだ。

EUは昨年9月にギリシャ、イタリア、ハンガリーにたどり着いた難民12万人の受け入れを加盟各国に割り当てることを決めたが、東欧諸国の反発で計画通りに進んでいない。【4月7日 毎日】
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難民送還を受け入れるトルコ側にも厳しい事情も
一方、ギリシャから難民らの送還を受け入れるトルコは、難民に苦慮するEUの足元を見て、EUからの多額の資金拠や、EUへの入国査証(ビザ)免除などの有利な見返りを勝ち取った・・・とも評されていましたが、内情はそう簡単でもなさそうです。

****<トルコ>難民問題対応の試金石 EUとの合意めぐり****
難民問題での欧州連合(EU)との合意をめぐり、トルコが課題に直面している。EUは合意の見返りに、トルコ国民のEUへの入国査証(ビザ)免除を約束したが、トルコ側が、実施目標の6月末までに72項目すべての「基準」を満たすのが条件だ。

また、欧州からのシリア人送還予定地のトルコ南部では、治安悪化を懸念する住民の反発も拡大。合意を「トルコの利益」にどうつなげられるかが問われている。(中略)

ただ、ビザ自由化のためにEUがトルコに求める72の基準は、EUと同レベルでの個人情報保護や、国境管理当局者の汚職対策など、対処が容易ではないものが少なくない。(中略)

EUが「基準に満たない」と一蹴すれば、トルコ政府は「欧州に難民問題をつかまされたうえ、だまされた」との国内批判を招きかねない。

英字紙ヒュリエト・デーリー・ニューズは論評記事(3月29日付電子版)で、ビザ問題は「今回の合意がトルコの利益になるか否かを指し示すリトマス試験紙になる」と報じている。

一方、地元メディアによると、トルコ政府は欧州に不法入国したシリア人の送還予定地として、シリア国境に近いトルコ南部カフラマンマラシュ県に2万7000人を収容可能な施設の建設を計画している。

付近にはイスラム教シーア派と近いアラウィ派の集住地区がある。地元では、欧州から送還されるシリア人の多くがイスラム教スンニ派で、「過激派組織『イスラム国』(IS)共感者を含む可能性もあり、この地域をシリア内戦に巻き込んでいくのでは」との懸念が強まっているという。

トルコでは昨年夏ごろから、ISや少数民族クルド系武装組織によるとみられる自爆攻撃が各地で多発し、治安の悪化に歯止めがかからない。難民対応への不満や不安がさらに高まれば、EUとの合意が「不安定化を加速させた」との批判にもつながりかねない。【4月6日 毎日】
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結局、トルコは新たな難民受け入れ施設建設計画を撤回し、既存キャンプで受け入れることにしました。

****送還シリア難民は既存キャンプへ トルコが方針転換****
・・・・トルコ政府は、送り返されるシリア人を収容するための難民キャンプを新たに建設する計画でしたが、トルコ各地で治安の悪化などを懸念する住民たちが新たなキャンプの建設に反対する抗議デモを行ったため、こうした声に配慮して方針を転換したものとみられます。【4月8日 NHK】
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難民定住化を嫌う当局
トルコのダウトオール首相は4日、「難民は自分の子供や兄弟のように扱わなければならない」と語り、「寛容な受け入れ姿勢」を強調しています。

しかし、トルコの難民キャンプについては、「人間が住める環境ではない」との難民らによる訴えもあります。
だからこそ、難民らは命を落とすことも覚悟のうえで、トルコから欧州を目指すのでしょう。

また、トルコには230万人のシリア難民がいますが、政府が用意できた難民キャンプは27万人分にすぎず、ほとんどの人は街で自力で暮らしています。

難民キャンプで援助を頼りに暮らすにしろ、キャンプ外で自力で生活するにしろ、極めて厳しい生活環境であり、子供の教育など殆ど手が回らない状況にあります。

トルコ同様に100万人以上のシリア難民を受け入れるレバノンからは、難民らの定住を警戒する当局が、敢えて過酷な条件を強要している難民キャンプの実情も報じられています。

****難民に苦痛を強いるレバノンの本音****
冬ともなれば雪が山も平地も覆い尽くすレバノン東部のベカー平原。荒天の日には何だって吹き飛ばされる。仮設の小屋に暮らし、空き家や未完成の建物に身を寄せるシリア難民にとって、冬はとりわけ過酷な季節だ。

「嵐になれば水が染み込んでくるし、テント全体が揺れる。その音を子供たちが怖がる」。ベカー平原の街ザーレにある非公式難民キャンプで暮らすミンワル・ハレド・アブスルタン(43)が嘆く。彼は妻と子供7人を連れシリア中部のハマから避難してきた。「また嵐が来たら屋根が落ちるな。雪が屋根に積もるし、使ってる木材は古い。今でもギシギシ鳴ってる」

レバノンの非公式難民キャンプで暮らすアブスルタンのようなシリア人は20万を超える。大半が木やビニールシート、波形トタンなどを寄せ集めた仮設のシェルターに住む。内戦を逃れた人々が増え始めてから何回かの冬の間、彼らは雨風をしのぐだけの住まいで洪水にも厳寒にも耐えてきた。

もっといいシェルターを建てられたなら、もっといいシェルターがレバノンで活動する国際NGO(非政府組織)から与えられたなら、少しは彼らの苦しみも和らぐだろう。しかし狭いレバノンの難民受け入れ能力には限りがあるし、そもそも国民の多くは新たな難民の定住を望んでいない。

レバノンが直面する難民危機の規模は深刻だ。レバノンの人口は約400万だが、既に100万人以上のシリア難民を受け入れている。難民流入は国の経済を圧迫する。財政に余裕がないから、難民の生存権を認めて受け入れ国に一定の責任を課す51年の国連難民条約にも、レバノンは加盟していない。

レバノン政府は、国連機関が難民の定住キャンプを建設することを認めていない。そのため多くの難民が自力でシェルターを建てたり、仮住まいの場所を見つけたりしている。

こうした急場しのぎのシェルターで過ごす冬は命の危険さえある。昨年1月には東部の都市バアルベク郊外で、3人の子の母親が凍死。同月、やはり東部の難民キャンプで10歳の女の子も死亡している。14年の凍死者には、生後間もない赤ん坊2人が含まれる。1人は国境の町アルサル近くの寒いテントで生まれ、肺炎にかかって3日後に命を落とした。

警戒される住居の資材
「私たちは限定的な援助しか許されていない」と、レバノン社会問題省でシェルターのまとめ役を務めるアフマド・カセンは言う。「私たちができるのは、仮住まい用の建設資材を手渡すことくらいだ。非公式のキャンプでは、コンクリートの建物は許されていない。コンクリートブロックを配る権限は、私たちにはない」

永住可能な住居の建設を認めないというルールは、いかなる難民支援団体にも適用されている。地元の民間団体でも国際NGOでも、国連機関でも同じだ。

シリア内戦以前からレバノンで活動しているデンマーク難民評議会は13年、「ボックス・シェルター」を考案した。基礎にコンクリート、壁には木材を使用したもので、各地で増加中のベニア板やシートの小屋よりも少しは暮らしやすいと思われる簡易シェルターだ。

しかしレバノン政府は、難民に定住への道を開くという理由でその使用を禁じてしまった。

この規則に少しでも違反すると当局が嗅ぎつけてくる。例えば3年半前に家族とシリアのホムスからやって来た女性ファティマ(67)のケースだ。「(嵐の際に)小屋に水が入ってこないよう、外側にコンクリートのブロックを置いた。でも去年の洪水では水がブロックを越えて流れ込んだ」と彼女は言う。

最初に置いたブロックに新たなブロックを積むと、兵士が来て「そんなに石を積んでいいと誰が言った?」と言われ、やむなく彼女はブロックを取り除いた。今は、雨が降ると砂利を詰めた袋を積んで、どうにか水の浸入を防いでいるという。(後略)【4月11日 Newsweek】
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レバノンの場合、かつてのパレスチナ難民が定住し、イスラエルとの武力衝突の基地になってしまったという苦い思いもあるようです。

もちろん、難民のなかには厳しい環境を克服して、新たな生活を切り開いている人々もいます。

****シリア難民が誇りと夢を取り戻した街*****
内戦を逃れたシリア難民が最も多く流入しているのは隣国トルコ。その数は220万人にも上るが、彼らは正規の労働を認められておらず、生活は苦しい。25万〜30万人が難民キャンプで暮らし、危険を冒してヨーロッパを目指す人も少なくない。

一方、厳しい現実の中でたくましく人生を再始動させた人々もいる。100万人近くの難民が暮らし、国外最大の「シリア人都市」となっているイスタンブールで、写真家アレッサンドロ・ガンドルフィはそんな難民たちの姿を捉えた。

ポケットに小銭だけ、という状態で戦火を逃れてきた人々が今ではレストランやホテルを経営したり、観光事業を手掛けたりしている。14年には新規開業の3分の2が、シリア人起業家によるものだったという。その売上高は50億ドル相当とも推定されており、地域経済に大きく貢献している。

「私たちの多くはシリアでうまくいっていた。でもすべてを失ってしまった」と、洋菓子店を経営する31 歳のアドナンは言う。「(多くの難民を受け入れている)ドイツへ渡ろうという話は2度断った。みんなに『難民』と呼ばれるのは嫌だから。ドイツに行くなら自分のお金で堂々と、観光客として行く」

ホムス生まれのアハマド・アブドゥル・アニ(31)は 13年にイスタンブールに来て、観光ビジネスを起業した。「当初の所持金は1000ドル以下。少しずつ仕事を替えて金をため、観光クルーズ船を始めるまでになった。今は40人を雇い、そのほとんどがシリア人だ」

シリア人が経営するページズ・ブックストア・カフェで友人と談笑するリーム・バシル(34)。アレッポ出身の彼女は英語教師だが、旅行代理店でも働いており、デザイナーの仕事をすることもあるという

ダマスカス出身のシャディ・ハデム・アル・ジャメ(28、右)と、シリア生まれのパレスチナ人である妻ガザル・ソウブ(25)。シャディは旅行代理店で働く。「トルコの人々は、私たちが仕事を奪っていると言う。シリア人を追放したいと言いだした政党もある」

ワリード・アルボシ(47)は経営する土木工事会社を失い、シリアから逃れてきた。妻と息子、娘3人がいるが、「シリアに家族の未来はないと思った」と話す。現在はパンやお菓子の製造会社を経営する。「トルコ人の好みに合ったパンを売るのは難しいから、うちの主な顧客はアラブ人だ」(後略)【4月13日 Newsweek】
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ただ、やはり上記のような成功をつかみ取れた人々はごく一部でしょうし、記事にもあるように、難民らがまともな雇用を得ると、それはそれでトルコ人低所得層との競合という別の問題を惹起します。(トルコ政府は難民に労働許可を出していないと思うのですが、そのあたりはどのようにクリアされているのでしょうか)

【「バルカンルート」に足止めされている難民 より危険な「リビアルート」にすがる難民
なんだかんだで難しいEU・トルコの間の難民送還合意ですが、それ以外にも、合意以前にギリシャに到達した人々の未だ多くが封鎖された「バルカンルート」に取り残されている問題、バルカンルートが使えなくなると、難民らはより危険な「リビアからイタリアに渡るルート」に押し寄せることにもなるという問題もあります。

****マケドニア 警察が催涙ガスで難民を追い返す****
多くの難民や移民が足止めされているギリシャとマケドニアの国境で、国境を通過させるよう迫ってきた難民たちをマケドニアの警察が催涙ガスなどを使って追い返し、300人以上が手当てを受けました。

中東などからヨーロッパ北部を目指す難民や移民の移動ルートとなっていた旧ユーゴスラビアのマケドニアが、南のギリシャとの国境を封鎖したため、国境付近では1万人以上が足止めされています。

こうしたなか、10日、およそ500人の難民たちが国境を突破しようと石を投げたり、国境に設置されたフェンスの一部を壊したりしたのに対し、マケドニアの警察が催涙ガスやゴム弾などを使って追い返しました。

国際的なNGO「国境なき医師団」は、難民たち300人以上が手当てを受けたとしています。

ギリシャ政府の報道官は声明を発表し、「催涙ガスなどの使用は危険な行為で、マケドニア政府は、そうした危険性を認識すべきだ」と強く非難しました。【4月11日 NHK】
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****イタリア、シチリア海峡で移民1850人救助 リビアからの船急増****
イタリア沿岸警備隊は11日、リビアを出航した移民船が急増しているシチリア海峡で移民救助活動を8回行い、計1850人を救助した。同沿岸警備隊が明らかにした。

沿岸警備隊の声明によれば、沿岸警備隊の巡視船「ディチョッティ」が計740人を乗せた小型の移民船2隻を停止させ、イタリア海軍の哨戒艦「シガーラ・フルゴーシ」は255人を乗せた2隻のゴムボートを助けたという。

さらに商船が現場に向かって117人を救助したほか、欧州連合(EU)海軍部隊の艦艇がバージ船2隻と小型船1隻で渡航していた移民計738人を救助した。
 
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の3月末時点の統計によれば、今年に入ってからイタリアに到着した移民はおよそ1万7500人に上る。【4月12日 AFP】
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「バルカンルート」の問題は、EU内で高まる不協和音やドイツでも受け入れが困難になってきたことの問題でもあり、「リビア・イタリアルート」の問題は統一政府が樹立できないリビアの混乱が大きく影響しており、ともに難しい問題です。
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