半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

NHKスペシャル:「見えない貧困 未来を奪われる子どもたち」

2017年02月23日 | 自分の時間
NHKスペシャルのお話。

NHKは色々上層部が問題を起こしているかもしれませんが、最近の民法に比べて、きちんとした番組を作っていると思います。

NHKスペシャルは特に「おっ」という番組が多いです。

最近の「おっ」は「見えない“貧困” ~未来を奪われる子どもたち~」でした。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170212


子ども達の6人に1人は「相対的貧困」に置かれていると言われています。

恐らく、私の知り合いのほとんどが「相対的貧困ではない」ので、関心を持たないのでしょうが、私が子供の頃に比べて、「貧困層」は増えていると思います。

ちなみに私は「貧困」と「収入が低い」は違う、という持論があります

また、「収入が低い」のと「教育が受けられない」も違う、とも思っています。

「貧困」とは「困っている、困窮している」ということで、我が家の収入は低いですが、東京のセレブよりも良い食べ物を食べ、子供たちには塾やお稽古に通わせながら両親が働いている家庭よりよっぽどコミュニケーションを取り、子供たちの幸せ感を創れていると自負しています(と、自己肯定しています

それはさておき、「相対的貧困」とは、世の中の平均所得の半分以下を指すそうです。

つまり、平均所得が380万ぐらいなら、190万以下であれば「相対的貧困」となります。

そのほとんどが母子家庭です。もちろん、旦那さんが持病で長期労働、つまり正社員にはなれず、結果、パートや期間労働で働かざるを得ない家庭もあります。

で、番組で出ていたのは「貧困は目に見えない」ということです。

・スマフォなど、必要なものは優先してお金をまわしているので、見た目では貧困のように見えない
・高校生などのアルバイト費も世帯収入に入るので、数字としては貧困に見えない
・子供たちが隠すため、教師や周囲が気づきにくい

のが理由として挙げられていました。

びっくりしたのが、ある女子高生。

平日は平均4時間、土日は平均8時間働いています。

何故か?それは学費は自分で賄う、という状態だからです。

番組で取り上げられた家庭は大体が平均手取り20万未満。公の補助費含めてです。

母子家庭でお母さんは働き通し。

子どもはその姿を見て育っているので「おかあさんも大変、無理をしている。だから自分で働かなくちゃ」という思いが自然に育ちます。

それが「良いこと」なのかというと、「子供らしい時間」を過ごせません。

毎日、学校が終わったら部活も出来ず、働き通し。勉強する時間、友達と遊ぶ時間もありません。
それがず~っとほぼ毎日続くのです。

だから学校では眠くて授業中に疲れてぼけーとしてしまいます。

でも、休み時間はそんな働いてる素ぶりを見せず友達と談笑。唯一の日常というか子供らしい時間。

そして毎月の学費や友達との交際費やスマフォ代だけでなく、大学の費用も積み立てています。

「お母さんは就職すると思っている。もし自分が進学を考えていると言ったらびっくりすると思う・・・」ということで、母親にまだ進学したいという気持ちを打ち明けられていません。

そして、学校の「奨学金」の相談で「月間12万ぐらいの借金、つまり12万×12か月×4年=600万近くの借金をするかどうか」を、どこに進学するか、といったこととは別に、高校3年生の女の子が自分1人で決めなくてはならないのです。

親に相談さえできないので、「自分で返すことが前提」ですから、毎日毎日働き通しで、コツコツお金を貯め、アルバイトでどれだけ働けばどれだけ稼げるかを大体体でわかっている子が、これから勉強を頑張らなくちゃいけない、という時期に、「受験料、入学料、学費、生活費」のことを決断しなければいけないのです。

それは当然、親には頼れず、全部自分で返す、ということが前提という思考で。

奨学金のパンフは笑顔のモデルの高校生が写っています。
その写真を見て「なんで、笑ってるんや。。。なんで、笑ってるんや。。。もう、いやや。。。」と心が萎えそうになっているのです。

また、小学生2人の家庭ではお母さんは働き通しで、夜に帰ってきて、また9時に夜勤で2日に1回は家におらず、2人で寝ないといけません。
小学生低学年の小さな子供2人が、2日に1回は子供達だけで寝ている。愛情も欲しかろう、甘えたいであろうと思うと切なくなります。

また、ある高校男子は、Yシャツはずっと姉のおさがりです。女性ものですのでボタンは逆だけど、「みんな気づかないから」ということで、それで3年近く通してきました。

ただ、中学生でキャプテンもやったバスケは、高校では断念。靴1足買うのがどれだけ大変か、家庭のことがわかっているからです。
本も、おじさんが子供の頃に使っていた図鑑などをおさがりでもらったもので、教科書以外の本はほとんど家にありません。

テレビだからそういった子を特別取り上げたのかもしれませんが、働くお母さんには気持ちの余裕が無く、それが子供たちにも伝わるので、子供たちは「自分たちも我慢しなくちゃ、頑張らなくちゃ」という思いが募ります。

それが切迫感となって迫ってくるのです。

そういった子達は「明るい未来なんて考えられない」といいます。
そりゃそうです。ずっとずっと「お金がない」ということを考え続けているわけですから。

大学進学の6割が今は奨学金を頼ると言います。
そのほとんどが、子供たちが全額返すという状態です。

奨学金があることはいいことです。

ただ、それを全部子供たちに返すことを決めさせる前に、出来ることは多々あります。

例えば、目標の成績や社会貢献をすることで、減額する。
例えば、世界的に先進国は公立の大学は無料であり、日本の公立の大学の費用は高すぎるのだから、半額にする、あるいは無料にする。

日本にいると、それが当たり前に思えますが、世界的にみると、「おかしいでしょ、それは」というのが多々あります。

以前聞いた話ですが、アメリカはもっとかわいそうで、退学する子供の10%~20%が「奨学金が返せないから」という理由で止む無く辞めるそうです。

一方で、ドイツやフランス、北欧などは無料です。

経済格差ということで、何でも個の家庭に押し付けるのではなく、国として、制度として、もっとまともにならないものでしょうか?

最近、成田で「こども食堂」を開こうという動きが3か所ぐらいであります。

それにあわせて「学習支援」も付け加えたらどうかな、と考えている今日この頃です。
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