録画していたテレビを見ていたら、「NHKの地球ドラマチック」という番組を奥様が予約していたみたいで、流れ出何となく見てみました。
私は世界一周をした時にイースター島に行ったことがあります
イースター島はモアイで有名な島ですから、誰もが一度は行ってみたいものですよね。
しかし、全てのモアイ像は倒されていたそうです。
私がイースター島に行ったのは10年ほど前ですが、日本の重機メーカーのコマツが尽力して倒されたモアイを立て直していたりして、ブルーシートがかかったモアイ像や「komatsu」の文字があって、「日本の支援の手がこんなところまできているのか」とびっくりしたのと同時に、「日本」「コマツ」という名前がイースター島で聞けたこともびっくりしました。
また、現地に住む人からイースター島の昔話を聞いて、それもびっくりしたのを思い出しました。
どういう話かというと・・・
「イースター島は、今は岩石と草しか生えない島だけど、昔はヤシの木などが茂る森林だらけの島でした。
しかし、人口が増え続け、段々食糧不足に陥ってきました。
その流れで森林は伐採され、島から木々が消えうせ、最後の方では島の中で部族の対立があり、耳長族と耳短族の対立があり、勝った方は負けた方の人肉も食べていたということでした。
その戦いで負けた方のモアイが倒されていきました。そして最後には全てのモアイが倒されたのです」
というお話でした。
それは、単なる「モアイがある島」という観光地としてしか見ていなかった私には、衝撃的なお話でした。
ところが、今回のテレビでは違う説も最近出てきたということを知りました。
もともとあったのが「人口増大による食料不足から来る部族対立」という説でしたが、もう1つの対抗する説は「人口増大は無く、部族対立も無い平穏な島であったが、気候の大変動による森林の衰退があり、モアイは津波などで倒された」という説です。
どちらが正しいかわかっていないのですが、この2つの説があるということは、10年ほど前に私が話を聞いたイースター島の方は、1つめの説を信じていたわけです。
しかし、別の説が出てきたということで、「その島の歴史がこうだった」と思っていたのが、時代が経ると「実は違ったのかもしれない」、ということがあるもんだな~ということ。
で、なんでこんなことになったかというと、実はイースター島は「西欧諸国による奴隷狩り」の場だったそうです。
西欧諸国はイースター島を「イースターの日」に「発見」すると、奴隷商人がアフリカや日本の島原で行ったように、「奴隷狩りの格好の場所」として知識階級をことごとく奴隷として連れ去ったそうです。
奴隷承認は、知識階級、神官や部族の長、中には島の王様も連れ去ったそうです。
そのため、島の伝統を知る長老や神事を司る人達など、島の歴史を語る人達がいなくなってしまったそうなんです。
だからイースター島の歴史は、考古学者が調べている、ということなのです。
なんとも酷い話です。。。
また、モアイ像の中でも特別なモアイ像を、大英博物館に持ち去り、今だ返却されていないということも。
私は昔から「イギリスは、よくぞまあ、世界各国から持ち去った文化遺産を平気で博物館に展示してあるな」と批判の目を持っているのですが、イースター島の一番大切な「別格のモアイ像」も大英博物館にあるということでした。
こういった番組を見るにつけ「かつては、ほとんどの人間は、地域に根付き、先祖崇拝をし、自然の中で生きてきた。しかし、産業革命後の欧米列強諸国が世界を植民地化し、戦争の火種をばら撒いた」という人間の歴史事実に対して、どう人は生きていけばいいかと思いを馳せますし、これをどういった形で子供達へ伝えていくのか、ということを考えます。
いずれにしろ「モアイがある島」というだけのイースター島も、人が暮らしていた長さだけ、様々な歴史があったんだ、ということを知ることが出来ました。
なんてことを考えましたが、いずれにしろ、久々に地球の裏側にあるイースター島に思いを馳せることが出来た時間でした
私は世界一周をした時にイースター島に行ったことがあります

イースター島はモアイで有名な島ですから、誰もが一度は行ってみたいものですよね。
しかし、全てのモアイ像は倒されていたそうです。
私がイースター島に行ったのは10年ほど前ですが、日本の重機メーカーのコマツが尽力して倒されたモアイを立て直していたりして、ブルーシートがかかったモアイ像や「komatsu」の文字があって、「日本の支援の手がこんなところまできているのか」とびっくりしたのと同時に、「日本」「コマツ」という名前がイースター島で聞けたこともびっくりしました。
また、現地に住む人からイースター島の昔話を聞いて、それもびっくりしたのを思い出しました。
どういう話かというと・・・
「イースター島は、今は岩石と草しか生えない島だけど、昔はヤシの木などが茂る森林だらけの島でした。
しかし、人口が増え続け、段々食糧不足に陥ってきました。
その流れで森林は伐採され、島から木々が消えうせ、最後の方では島の中で部族の対立があり、耳長族と耳短族の対立があり、勝った方は負けた方の人肉も食べていたということでした。
その戦いで負けた方のモアイが倒されていきました。そして最後には全てのモアイが倒されたのです」
というお話でした。
それは、単なる「モアイがある島」という観光地としてしか見ていなかった私には、衝撃的なお話でした。
ところが、今回のテレビでは違う説も最近出てきたということを知りました。
もともとあったのが「人口増大による食料不足から来る部族対立」という説でしたが、もう1つの対抗する説は「人口増大は無く、部族対立も無い平穏な島であったが、気候の大変動による森林の衰退があり、モアイは津波などで倒された」という説です。
どちらが正しいかわかっていないのですが、この2つの説があるということは、10年ほど前に私が話を聞いたイースター島の方は、1つめの説を信じていたわけです。
しかし、別の説が出てきたということで、「その島の歴史がこうだった」と思っていたのが、時代が経ると「実は違ったのかもしれない」、ということがあるもんだな~ということ。
で、なんでこんなことになったかというと、実はイースター島は「西欧諸国による奴隷狩り」の場だったそうです。
西欧諸国はイースター島を「イースターの日」に「発見」すると、奴隷商人がアフリカや日本の島原で行ったように、「奴隷狩りの格好の場所」として知識階級をことごとく奴隷として連れ去ったそうです。
奴隷承認は、知識階級、神官や部族の長、中には島の王様も連れ去ったそうです。
そのため、島の伝統を知る長老や神事を司る人達など、島の歴史を語る人達がいなくなってしまったそうなんです。
だからイースター島の歴史は、考古学者が調べている、ということなのです。
なんとも酷い話です。。。
また、モアイ像の中でも特別なモアイ像を、大英博物館に持ち去り、今だ返却されていないということも。
私は昔から「イギリスは、よくぞまあ、世界各国から持ち去った文化遺産を平気で博物館に展示してあるな」と批判の目を持っているのですが、イースター島の一番大切な「別格のモアイ像」も大英博物館にあるということでした。
こういった番組を見るにつけ「かつては、ほとんどの人間は、地域に根付き、先祖崇拝をし、自然の中で生きてきた。しかし、産業革命後の欧米列強諸国が世界を植民地化し、戦争の火種をばら撒いた」という人間の歴史事実に対して、どう人は生きていけばいいかと思いを馳せますし、これをどういった形で子供達へ伝えていくのか、ということを考えます。
いずれにしろ「モアイがある島」というだけのイースター島も、人が暮らしていた長さだけ、様々な歴史があったんだ、ということを知ることが出来ました。
なんてことを考えましたが、いずれにしろ、久々に地球の裏側にあるイースター島に思いを馳せることが出来た時間でした

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