うちの子も大きくなり、絵本を読む機会は減りましたが、「三コ(さんこ)」という絵本を読みながら、私は号泣してしまいました
奥様も子供もひくぐらい
「マジで泣いているの?」みたいな。
みなさん、国語の教科書に載っていた「モチモチの木」は覚えていますよね?
怖がりで寂しがり屋の寝小便小僧が、ある夜、じいちゃんがお腹が痛い、と苦しんでいるのを受け、怖がりのくせに夜に一人で飛び出して医者の所に駆けている時、勇気がある者しか見ることが出来ない、というモチモチの木に灯る雪明りを見る、というお話です。
斎藤隆介という児童作家が文章を、そして滝平二郎という木版&切り絵作家が挿絵を入れた、名作です。
特に滝平二郎さんの挿絵は強烈で、私も未だに覚えていて、うちの子どもの教科書に載っているのをみて「お~、まだ載っていたのか。懐かしいな~」とジーンとしました。
それほど、あの絵は強烈な印象を与え、本物は子供心に残るものなんだな~、と思っておりました。
さて、この2人はコンビを組んでいて、その他にも多々、名作があります。
色々あるのですが、今回、その1つ、「三コ」という絵本を読んで、グッときて感極まってしまったのです。
あらすじはこんな感じ。
昔の秋田の話で、農村では長男は総領として家を継ぐわけですが、次男、三男などは家を出て生きていかなければいけない。
しかし、畑は無く、家も仕事もなく、遠くに出稼ぎに行ったり、あるいはのたれ死ぬ、というのもあったわけです。
彼らは「オンチャ」と呼ばれています。
ある村のオンチャ達が途方に暮れていると、伝説の巨人「三コ(さんこ)」が現れて、はげ山に木を植えてくれるのです。
そうすることで、オンチャ達は「木こり」として食っていけるようになる。
ここまでで、まず感情移入が出来ます。
我が家は農家ではないのですが、成田の農村に携わって10年ぐらい経ちますから、「俺らはまだ3代目だけど、親父からじいさん達が苦労して森を開墾して、今の畑を作った、という話は良く聞いたな。今の畑が草が出ないのも、じいさん、ばあさん達が草を何十年も取り続けてきたからで、良く、周りからは『お前のところの畑は宝ものだぞ』と言われるんだけど、その意味はわかるんだよ」と言ったような話を聞きます。
明治になって、あるいは戦後もそうですが、「開墾」と言うのが一気に増えました。
「お上の土地を開墾したらその分、下げ与える」という時代です。
例えば、千葉県で落花生で有名な「八街」は8番目の開墾地、成田から富里に渡る「十余三」という地域は、千葉県で13番目の開墾地だから「十余三」です。
開墾時は、それこそバラックや掘立小屋、中には茅葺の小屋で暮らしていた、という話も聞きます。
ほんの100年前の話、私がつきあっている農家さんの親の世代の話だから、真実味があります。
しかし、昔はそういった土地が無かった。
秋田ならなおさらそういった土地はなく、かつ気候が厳しい。
次男、三男は家には必要のない存在で、そういった人たちが生きていけず途方に暮れて集ったところに、はげ山に木を植えて、生きていけるように「三コ」と呼ばれる巨人がしてくれたのです。
「三コ」も昔はオンチャだったそうです。
それがいつの間にか巨大化したという。なんとも昔話風なファンタジー感があります。
ところが、ある日、木を植え、オンチャ達が生きていく糧を与えてくれていたその山に大事件が起きます。
それを解決するために、「三コ」がとった行動は・・・・。
という話です。
自分のことを投げ出して、命をかけてオンチャ達、あるいは村人たちのことを救おうとする「三コ」にもう号泣でした
もともと感動しやすい、涙もろい、というのはありますが、以前読んだ時はそれほど感動はしなかったのですが。。。
農村の歴史、昔の農民のことをより親近感というか感情移入を出来る年頃、あるいはそういったバックグラウンドが私に出来てきたのでしょう。
そして、人と言うのはそこまでして人のために動けるのか、という事が、物語として、読み物としてだけではなく、農村に今も残る「人への優しさ」を持つ農家さん達のいる世界で10年間生きてきたからでしょうか、より真実味を感じられるようになったのかもしれませんね。
「三コ」を読んで泣く人は、今の時代になかなかいないのでしょうが、多分、田舎のじいさま達に読み聞かせたら、多分、ぐっと来る絵本だろうな~と思います。
大人に絵本を読み聞かせする、というのはとても価値があると言います。
その事を知ってから、「あぁ、これは大人になってから読んでもいいな~」という思う絵本に気づくようになりました。
それはさておき、特に斎藤さんの文章と滝平さんの挿絵は、双方相まって芸術の域に達していますから、子供も大人も良いですよね。
特に、文章のすばらしさ、絵の美しさと迫力溢れる「三コ」を私の愛読書にしようと思いました。
ちなみに、斎藤さんはこの「三コ」を生みだした後、色々なメディア用に十数年かけて十数回書き直したそうです。
それで、やっとこの絵本の「三コ」に落ち着いたそうです。
また、この「三コ」は昔は教科書に載っていたそうです。
「三コ」は時代背景からか教科書ではお見かけできなくなりましたが、「モチモチの木」は今も残っている。
今後もこの2人の絵本が教科書に載り続けることを願っています
奥様も子供もひくぐらい
「マジで泣いているの?」みたいな。
みなさん、国語の教科書に載っていた「モチモチの木」は覚えていますよね?
怖がりで寂しがり屋の寝小便小僧が、ある夜、じいちゃんがお腹が痛い、と苦しんでいるのを受け、怖がりのくせに夜に一人で飛び出して医者の所に駆けている時、勇気がある者しか見ることが出来ない、というモチモチの木に灯る雪明りを見る、というお話です。
斎藤隆介という児童作家が文章を、そして滝平二郎という木版&切り絵作家が挿絵を入れた、名作です。
特に滝平二郎さんの挿絵は強烈で、私も未だに覚えていて、うちの子どもの教科書に載っているのをみて「お~、まだ載っていたのか。懐かしいな~」とジーンとしました。
それほど、あの絵は強烈な印象を与え、本物は子供心に残るものなんだな~、と思っておりました。
さて、この2人はコンビを組んでいて、その他にも多々、名作があります。
色々あるのですが、今回、その1つ、「三コ」という絵本を読んで、グッときて感極まってしまったのです。
あらすじはこんな感じ。
昔の秋田の話で、農村では長男は総領として家を継ぐわけですが、次男、三男などは家を出て生きていかなければいけない。
しかし、畑は無く、家も仕事もなく、遠くに出稼ぎに行ったり、あるいはのたれ死ぬ、というのもあったわけです。
彼らは「オンチャ」と呼ばれています。
ある村のオンチャ達が途方に暮れていると、伝説の巨人「三コ(さんこ)」が現れて、はげ山に木を植えてくれるのです。
そうすることで、オンチャ達は「木こり」として食っていけるようになる。
ここまでで、まず感情移入が出来ます。
我が家は農家ではないのですが、成田の農村に携わって10年ぐらい経ちますから、「俺らはまだ3代目だけど、親父からじいさん達が苦労して森を開墾して、今の畑を作った、という話は良く聞いたな。今の畑が草が出ないのも、じいさん、ばあさん達が草を何十年も取り続けてきたからで、良く、周りからは『お前のところの畑は宝ものだぞ』と言われるんだけど、その意味はわかるんだよ」と言ったような話を聞きます。
明治になって、あるいは戦後もそうですが、「開墾」と言うのが一気に増えました。
「お上の土地を開墾したらその分、下げ与える」という時代です。
例えば、千葉県で落花生で有名な「八街」は8番目の開墾地、成田から富里に渡る「十余三」という地域は、千葉県で13番目の開墾地だから「十余三」です。
開墾時は、それこそバラックや掘立小屋、中には茅葺の小屋で暮らしていた、という話も聞きます。
ほんの100年前の話、私がつきあっている農家さんの親の世代の話だから、真実味があります。
しかし、昔はそういった土地が無かった。
秋田ならなおさらそういった土地はなく、かつ気候が厳しい。
次男、三男は家には必要のない存在で、そういった人たちが生きていけず途方に暮れて集ったところに、はげ山に木を植えて、生きていけるように「三コ」と呼ばれる巨人がしてくれたのです。
「三コ」も昔はオンチャだったそうです。
それがいつの間にか巨大化したという。なんとも昔話風なファンタジー感があります。
ところが、ある日、木を植え、オンチャ達が生きていく糧を与えてくれていたその山に大事件が起きます。
それを解決するために、「三コ」がとった行動は・・・・。
という話です。
自分のことを投げ出して、命をかけてオンチャ達、あるいは村人たちのことを救おうとする「三コ」にもう号泣でした
もともと感動しやすい、涙もろい、というのはありますが、以前読んだ時はそれほど感動はしなかったのですが。。。
農村の歴史、昔の農民のことをより親近感というか感情移入を出来る年頃、あるいはそういったバックグラウンドが私に出来てきたのでしょう。
そして、人と言うのはそこまでして人のために動けるのか、という事が、物語として、読み物としてだけではなく、農村に今も残る「人への優しさ」を持つ農家さん達のいる世界で10年間生きてきたからでしょうか、より真実味を感じられるようになったのかもしれませんね。
「三コ」を読んで泣く人は、今の時代になかなかいないのでしょうが、多分、田舎のじいさま達に読み聞かせたら、多分、ぐっと来る絵本だろうな~と思います。
大人に絵本を読み聞かせする、というのはとても価値があると言います。
その事を知ってから、「あぁ、これは大人になってから読んでもいいな~」という思う絵本に気づくようになりました。
それはさておき、特に斎藤さんの文章と滝平さんの挿絵は、双方相まって芸術の域に達していますから、子供も大人も良いですよね。
特に、文章のすばらしさ、絵の美しさと迫力溢れる「三コ」を私の愛読書にしようと思いました。
ちなみに、斎藤さんはこの「三コ」を生みだした後、色々なメディア用に十数年かけて十数回書き直したそうです。
それで、やっとこの絵本の「三コ」に落ち着いたそうです。
また、この「三コ」は昔は教科書に載っていたそうです。
「三コ」は時代背景からか教科書ではお見かけできなくなりましたが、「モチモチの木」は今も残っている。
今後もこの2人の絵本が教科書に載り続けることを願っています
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