今週の「朝取り野菜ボックス」のお手紙です
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「親子で乗り越える 高校受験3つの柱」というタイトルの本が、8/9(金)からAmazonで出版開始となります
このお手紙をまとめた「農村コーディネーターからの手紙」より引き合いが多く、やっぱりお子さんの受験に対する関心は高いんだな~と思いました
今回の本は「受験戦略」をまとめたわけで、子育てをしている親にとっては必ず通る受験をどう乗り越えるか、というガイドブックになると思っています。ただ、本質的なところは「子供が本気になってやることなら、親も本気になって応援しよう」というメッセージ本です。
逆に子供が本気になっていないのに親が上から目線で「勉強しなさい」とか点数で子供を評価するのであれば本末転倒で、それなら勉強に関わらない方が良い場合が多い、とも思っています。私は受験やテストなど「点数評価」というのは「諸刃の剣」と思っています。
そこで出版記念ではありませんが、ちょっと「受験」というシステムに対する親の在り方について書いてみたいと思います。
日本は明治時代に「廃藩置県」が行われ、試験で選び出された優秀な官僚が国を動かす「中央集権型のシステム」が出来上がりました。
それまでの日本は「村社会」ですので、民族学者の宮本常一の話だと、「長男は家を継ぎ、次男や3男は長男の下僕扱い、あるいは丁稚奉公や流浪の旅に出るような地位だった」そうです。そういう意味では、勉学が出来たら一気に官僚になれて逆転人生を起こせる時代に変わったわけです。
しかし、実際、教育を受けられるのはお金がある家の長男だけで、戦後も「長男が家督を継ぎ家全体をまとめ、家族全員の面倒を見る」、「次男、3男は引き続き地位が低く、女性は嫁に行く」というのが大前提でした。
ところが高度経済成長時代に入り、今の団塊世代ぐらいから中学卒で働き始める人は減り、高校進学は半分ぐらいになったと聞きます。さらにその子供達、団塊ジュニア世代には「受験戦争」が起きました。なぜならその親である団塊世代の間で「大企業の会社員」と「地方の農家の息子」の間で経済格差や安定性の差が拡大し、地方に残った長男の方が貧富差や社会的地位を嘆く時代になったからです。
10年ほど前ですが、「こんなところにいたら俺らのようになる。お前は都会に出ろ」と言って、山を売った資金で息子を大学に行かせた人の話を今も覚えています。
こう考えると「努力次第で道が開ける受験」というシステムは、長男、次男あるいは女性であろうが、生まれた地位によって職業などを選べなかった昔に比べれば、平等で「夢のようなシステム」でしょう。一方、度を超すと一昔前の日本の受験戦争時代、あるいは今の韓国のような子供も大人も巻き込む社会の軋轢を生む原因にもなるわけです。
結局、「人を点数で評価する」というのは何なのか?という所に行き着くと思うのです。
そもそも点数評価は「単なる受験」の話であって、人間性とは全く関係ありません。お医者さんには人間としてダメな人が多いと聞きますが、それは1日10時間以上机の前で勉強に没頭出来る能力は、人間性とは全く関係が無いからでしょう。
受験はあくまで「システム」であって、親がそれに飲み込まれていては、もし子供が勉強に向いていなければ、親が社会と同じ視線で子を点数で評価する事になり、親も悩むでしょうが、子供は家庭でも逃げ場が無くなりもっとかわいそうです。 また、どんな子だって自己肯定感が下がってしまいますよね?
親は社会の評価など関係なく、我が子を絶対肯定するべきだと私は思っています。その前提にたった親なら、何があっても子供にとっては「親は味方」と思ってくれるでしょうし、受験も一緒に乗り越えられると信じています。