臨床医の仕事でちょっと辛いのは、何時呼ばれるか分からないことだろう。もう何十年もやっているから習い性に成り、そういう仕事と心得ているが、年に何回か真夜中に突然起こされるのが段々堪えるようになってきた。
自分の甘い方に偏る見通しは何時までも修正できず、週末だろうと予想していたHさんが未明に亡くなった。心配そうな家族の顔を見ると願望が入るせいか余命を長めに予想して仕舞う。教授でありながら超一流の臨床家でもあった恩師は、戦後逗留していた宿で往診を頼まれ、寝込んでいる老婆を後二日と診断し、その通りに亡くなったので村の人が驚き大した名医だと評判になったと聞いている。自分はもう何百枚の死亡診断書を書いてきたが、未だに死期を当てるのは難しい。
看取る人の多くは天命を全うされた高齢の方が多く、病死と言っても自然死に近く、心の負担は少ない。今では六十代七十代は未だ若い感じがして、そういう患者さんの多くは癌死のため、様々な苦悶もあり、これで良かったのだろうかと心残りに感じることがある。
それが人間なのかも知れないが全く同じようにしても感謝される家族、そうでもない家族と様々で、割り切るようにしているが、心に波風の立つこともある。月並みに大変なお仕事ですねえと表現できるものではない。多少辛くとも医者は収入で恵まれている。訪問看護師は私が帰った後も黙々と死後の処置をしてくれる。何かが伝えられ、何かが見落とされている。