先日、NHKBS放送で、フランスイタリアでミシュランの星を獲った日本人オーナーシェフのドキュメンタリーをやっていた。包丁一本さらしに巻いていなくても、心に灯した強い思いを胸に異国の地を踏み、遮二無二くじけず技を磨き、異国を吸収し心を豊かにして、手にした星の価値は大きい。凄い素晴らしいと感嘆、拍手したことだ。
食いしん坊を自認するが、番組で気づいたのは料理でなく、彼らの言語能力だ。聴くところによると一般に料理人は言葉が苦手で、何年も居ても片言の人も多いそうだ。ところが星を取った料理人はみんな流暢にフランス語やイタリア語を話す。ははあ、だから現地に残り、しかも星を手にすることができたのだなとピンときた。おそらく私の気付きは当たっていると思う。料理は一人ではできないし文化は言葉ができないと十分に吸収できない。料理の腕は勿論、コミュニケーションの能力も一流と見つけた。そうして、かの地には本物はどこの誰であろうとも優れていれば認める風土があるようだ。
尤も世界は広く、コミュニケーション能力は二流三流でも教養はもう一つでも、権力を自家薬籠中のものにする力さえあれば、睨みを効かして事実を修飾すり替え、悪ガキ顔負けにお前の母さん***と筋違いの逆襲に出て、我意をごり押しする人達も居る。最キョウのコンビだかトリオだかクワルテットだか存じ上げないが、本当に危険が危なくなっている。どうも相手に釣られて表現が露骨になってしまった。
優れた仕事は、業績を取り払っても中身のある人間によってはじめて達成できると、オトカムが言っていたと記憶する。