世の中には理解出来無いことが多いが、市長をやりながら知事をやりながら党首や幹事長を兼ねて、党結成の挨拶回りに遠方へ出向けることができるというのはどういうことか?
私は趣味で絵を描くけれども画家ではない。時間のある時気が向けば絵筆を握るだけで本職にはほど遠い。誰も私をプロのエカキとは認めてくれない。まあ、世の中には多才な人がいて、二足三足のわらじを履いている人もいるようだが、自由業というか拘束の少ない一人で出来る仕事が殆どだろう。そして一足専業の人には敵わないとしたものだ。兼業農家がもたらしたものを検証してみるといい。
もし大阪府知事や大阪市長が兼業でできる仕事なら、市長や知事は操り人形というかお飾りなのだと思えてしまう。普通の人には出来なくても、俺には出来ると言うのなら、それは私は危険人物であるという告白に等しい。
次から次と言葉を操る才能、ああ言われればこう言い返す才能は認めるけれども、語ることのできることと実行できることとは違う。ワシは夢を売るのだというのなら、正確に幻想を得るのだと言い直した方がよさそうだ。恋は醒めるもの、それでも見事に結実する夫婦も多い。維新は醒めても褪せないものを示すことができるだろうか?。妻には謝って済む?のかもしれないが、国民には謝って済むものではない。
マスコミの陰には考える国民がいる。止まると倒れる一輪車乗りはプロではないと申し上げる。
本当に自分の市を良いものにしていこうとするなら、市長職は激務の筈なのですが。踏み台にしか考えていないのでしょう。
誰の為に何をどうやってが、怪しげでよくわかりません。