世の中変わったと言っても社会だけでなく、天候や人間を含めた生物も変わってしまった。五十年前は台風と言えば九州で、台風銀座と言われた。希に大きいのが東にずれ関西東海を襲っていた。
今では九州よりも東にずれる事が多くなったし、台風一過の日本晴れも死語になりそうな気配である。暑さ寒さも彼岸までは意味不明となった。災害は忘れた頃にやってくると寺田寅彦が言ったそうだが、今では憶えきらないうちにやってきてしまう。
渡しの船頭さんも居なくなったが六十の爺さんも居なくなった。八十でも元気な人は多い。五十年前とは、十五才ほど暦年齢の内容が若返ってきた。五十五才の定年が七十才になりそうなのも宜なるかなだ。
実は病気も変わってきている、五十年前は胃十二指潰瘍が多く、手術したり長期入院をしていたのだが、今では絶対数も減り、優れた治療薬が出現して手術が必要なことは希になった。糖尿病も十倍以上の増加で、国民病の横綱になってきた。
先日九十五才で亡くなったK子さんは九十才になられた時、もうそろそろねと色々準備をされたようだったが、一昨年くらいまで文庫本を読まれるほどお元気で「死に方を忘れちゃった」と笑っておられた。自分も前期高齢者になって四年、そろそろ引退をと考えていた年になったが、まだ働けそうな気がする。女房は何とかまだ働かそうといろいろ画策している。なんだか着陸しようとしたら空港が先の方へずれていった感じだ。そうは言ってもK子さんも予定より五年延びたが天寿を全うされたのだから、いつまでもというわけではない。
世の中変わったが変わらないこともあると思いなして生きていかねばならないようである。
ご指摘のように、ちょっとした変化はまとまった時間が過ぎないと分からないので、対応が遅れたり、驚くことになるのかもしれません。
毎日面倒みていると昨日と一緒だとしか思えませんが、半年ぶりに会うじいさん、ばあさんが、目を丸くして「大きくなったなぁー」なんてこともありますよね。