瀬戸内寂聴の奇縁曼荼羅を面白く読んでいる。驚くべき記憶力と鋭い現世的な人間観察に感心しているのだが、前回の記述にぎょっとするところがあった。百歳の高僧が亡くなられた場面の描写である。臨終の床に呼ばれた医師が百歳の高僧に馬乗りになって蘇生術を施し、しばらくして死亡宣告をしたとある。詳しい状況を知らないので、失礼で的はずれの感想かもしれないが、そんな蘇生術をする必要があっただろうかと思った。最近は、この患者さんには蘇生術はしないという暗黙ではなく明らかな判断が予めされていることが多いのではないかと思う。天寿を全うされた方に蘇生術を施しても、もはや心臓は拍動せず肋骨が折れたりするのが関の山で、消え入る蝋燭を見守るのが入寂にふさわしい。
その光景を瀬戸内さんはなんというか目ざとく生々しく描写されている。肌の艶とか・・なんというか触感的な描写、それどころかまだ暖かいと触れたりしている。さすがこの人は子宮で書くと批評されただけのことはあると思った。勿論、そういう視点で今は亡い有名人との合縁奇縁を書き下ろしてくれているので格別に面白いのだが。否、面白いだけでなく貴重な資料として後世に残ってゆくだろう。
寂聴さんの文章だけでなく横尾忠則の挿画も残るに違いない。しばらく見なかったが、この連載で平凡パンチ以来久しぶりに横尾の凄い才能を楽しんでいる。
その光景を瀬戸内さんはなんというか目ざとく生々しく描写されている。肌の艶とか・・なんというか触感的な描写、それどころかまだ暖かいと触れたりしている。さすがこの人は子宮で書くと批評されただけのことはあると思った。勿論、そういう視点で今は亡い有名人との合縁奇縁を書き下ろしてくれているので格別に面白いのだが。否、面白いだけでなく貴重な資料として後世に残ってゆくだろう。
寂聴さんの文章だけでなく横尾忠則の挿画も残るに違いない。しばらく見なかったが、この連載で平凡パンチ以来久しぶりに横尾の凄い才能を楽しんでいる。