駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

秋刀魚の煙はいずこへ

2018年08月21日 | 世の中

 

 昨日一昨日は秋風が吹いていた。今朝は湿った暖気が駅構内を包んでいた。涼しくなる有難いと思ったのは糠喜びだったらしい。暑いのも八月一杯はともかく、九月に入ってからの残暑は勘弁して欲しい。

 何だか次々と台風が来る。日本上陸数が多く、しかも異例な進路が多い。異変にも慣れがあるようで、自然界から人間界まで経験しなかったことが連発すると、又かああそうと驚かなくなってしまう。

 日本の詩歌には俳句を筆頭に季節の変化を微妙に味わう心がないと分からないものが多い。千年の命を持つ詩歌が末枯れるというか呆けるというか、味わいが分からなくなりそうだ。そういえば食べ物の旬もあるようなないような、一年中出回る野菜も増えた。

 もうすぐ秋刀魚の季節で、子どもの頃はご近所のあちこちで秋刀魚を焼く匂いがして、母親に家でもとねだった記憶がある。今では佐藤春夫の秋刀魚の歌も、情乏しくどうも伝わらなくなった気がする。

 時代というものは抗いようもなく変化してゆく。なかんずく、元号は明治以来、昭和は異例に長く戦前戦後と二つに分けられそうだが、時代を象徴してきた。父は明治大正昭和を生きた。母は大正昭和、兄は昭和平成を生きた。昭和が終わり平成も終わる。次の元号がどうなるか、中島みゆきの歌声が日本の隅々まで響き渡り始めている。願わくば三つの元号を生きて、働き発信し続けたい。

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