駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

虚しく響く言葉

2011年08月05日 | 診療

 川向こうで内科医院をやっているYが講演会の後軽く飲みながら駄弁っていると突然「おい、どうしたもんだ」。と言う。

 末期の肺がん、もはや為す術はありません。自宅で最善の支持療法、横文字でbest supportive careって言うらしんだ、という結論になりました。どうぞ宜しく。と紹介状持って患者の夫が来たという。ああそれならと往診を行ったところ、患者は青白い浮腫んだ顔をうなだれ、苦しくて横になることもできない。「わかってる」。「やるよ」。「***旨そう」。などとわかったような返事に意味不明のフレーズを連発している。楽な体位を取らせる工夫を教え、鎮痛剤の貼付剤を処方し、訪問看護を導入してやったという。

 三回目の往診から帰るとご主人が話があるとやってきて「先生が浮腫みを取ったり、いろいろやりたいのは医者だからわかるけど、病院では出来ることは何もないと言われた。だから何もしないでほしい」。唖然としていると「往診は金が掛かるからもういい。看護婦さんに診てもらう」。・・・・「最後の時、呼ぶからそれでお願いします」。と言われたんだ。

 「往診は一回五千円くらいのもんだぜ、週一回だから入院費の三分の一以下なんだがなあ。それに急に呼ばれて死亡診断書書けって言われても困るよなあ」。

 「患者本人はどう思ってるんだろうな」。

 「元気な時に何もしなくていいって言ってたと言うんだがね」。

 「どうしたもんかなあ、ケアマネと訪問看護師と相談したらどうだ」。と返事をしながらNさんを思い出した。

 「先生、早く終わりにしてくんろ」。と手を握ってくる。比較的元気な時から、死を恐れる風もなく「もう十分だよ」。と言っていた。そんなこと言われてもなあ。「そうもいかないんだよ」。と虫の息の患者との会話とも思えない返事をする。手を握り返して、逃げるように帰ってくる。

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