安倍政権の前へ外への方向性には賛成しているが、その中身については疑問があり賛成しかねるものも多い。国益とか正しい史観という表現は、内容を素通りしては張りぼてに過ぎまい。
益とか正とか、良いように響くけれども中身を煎じつめなければ、好印象を与えることに依って反対しづらくして異論を排除し、自分の言い分を通そうとする魂胆が透けて見える。国民というのは誰のことか心配になる。果たして私は員数に数えられているのだろうかと思うこと人も多かろう。
歴史の見方に正しいは相応しくない形容詞に思える。歴史の見方は常に流動的で微妙に較正されながらゆっくり収斂してゆくものだと思う。
俺が正しい私が正しいという大声は中身の吟味なくしては、羊頭を掲げているに過ぎない。世界平和のためだ、人類の幸せのためだと言われて誰が反対できるだろう。で、何をどうすると尋ねるのを忘れてはならない。
異論異質を受け入れることができる能力が、破綻暴走を防ぐと臨床医学から学んできた。
蟷螂の斧は承知。