失言?を捉え、有名人(主として政治家)をとっちめる騒ぎが横行している。マスコミ主導によるものだが日ごろの鬱憤の憂さ晴らしか付和雷同する人が居る。失言も様々、一つの言葉など、発言された文脈状況の中で慎重に吟味しなければ、意味や価値は分からない。中には発言を歪曲して報道したものが独り歩きしたと思われるものもある始末だ。
こうした動きにうんざりされている方も多いはずで、であればレッテル張りの思考停止に歯止めをかける発言をして欲しいと願う(している方もおられる)。
流行語大賞なども順位付けしてお祭り騒ぎをするのは止めたらいいと思う。言葉が世相を反映するのは事実だが、その分析評価は評論家や学者にまかせ、流行語は例えば二十を取り上げて解説する程度が適当と思う。一つの言葉だけを顕彰して総括されては思考停止を助長してしまう。
人物や社会の動きを一言で表すことはできないのは、本当は誰しも知っている。一言で表せないから小説や学術論文がある。少なくとも何百の言葉を連ねなければ、人や物事の一端すらを表すことはできない。お遊びと言う反論もあるだろうが、お遊びで終わらないのが思考停止の恐ろしさと思う。実際にお遊びでは終わっていない。
角を矯めて牛を殺してはなるまい。可もない不可もない人物に危機が乗り切れるだろうか。
‘ああいえば、こう感じ、こういえば、ああ感じる’ といった言いがかりによる言葉狩りが盛んに行われている。’あるべき姿’ の内容には、一向に磨きがかからない。もっと大切なことは、考えられんか。もののあわれか。
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(平安時代) 貴族社会・王朝文化
(鎌倉時代」 武家社会
(豊・織時代) 戦国時代
(徳川時代) 鎖国・士農工商
一つの時代を僅かな語彙で括り付ける様な考え方が敷衍しています。流れとか通史を教えないから歴史を人の営みと捉えない 其の辺りがこの国の考え方の脆弱の根本原因かと愚考いたします。
確かに日本の?政治家の場合は、元々教養に欠けるところがあるのかもしれません。
あるべき姿の内容に磨きがかかるように、たとえ蟷螂の斧でも振るおうと思っております。
教育者に頑張って貰いたいのですが。