駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

理解には体験が欠かせない

2014年04月27日 | 小考

            

 多くの人は人間の理解は脳の思考だけでは困難なのがわかっていても是正できていないのではと思う。私は街中の医者でしかも低所得者の方の多い地域で何十名もの生活保護の患者さんを拝見し、月に何十軒も往診に行っているからあらゆる階層の人達と直に接触している。だから格差のある生活をかなり理解出来ていると思う。尤も、富裕層の患者さんは殆ど居ないので本当の富裕層に対する理解は不足しているかもしれない。

 純粋の思考の産物のような数学も講義が分かったようでも、問題を解いてみないと本当は分かったことにはならない。臨床は全くその通りで、実際の症例の経験がないと診断できないと言ってもよいくらい、経験が大切だ。

 何が言いたいかというと、体験のない知識は不完全不十分ということだ。勿論、感受性の乏しい碌に考えない人に体験を振り回されても困るのだが。

 格差社会とよく言われた。今はそうした報道が減らされているようだが、本当に格差社会が存在するのなら、其処からの報道報告が必要だろう。其処に居る人がもっと発言しなくてはと思う。女子アナなどともてはやされる人達は立派なエリートで到底貧困層の理解などなしえていないのではと危惧する。

 メーデーが近い。時に目をそらすのも智慧かもしれないが、直視する精神が問題理解解決には不可欠と思う。体験の裏付けのない理解から発せられる巧言令色にはご注意だと申し上げたい。

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