O先生は総合病院の優れた胸部外科医だったが、数年前五十五歳で独立し個人医となられた。何らかの事情があったと思うが詳しいことは知らない。病院に居られた時には二例ほど早期肺がんの患者をお世話になった。
メスを手放し、市中での早期肺がんの発見をライフワークとされているようである。先日、仲間内の肺疾患勉強会で現在までの成果を発表していただいた。もうすでに七例の早期肺がんをCTを駆使して見付けられている。残念ながら、それが全て上手く治療できたとは言えないのが先生が悔しそうに発表される由縁だ。
先生が居られた総合病院ははっきり言えば呼吸器が総崩れで、元居た病院に見付けた早期がんを依頼することができない。そのために他の二つの病院に紹介されるのだが、若い先生はO先生が何者か知らないらしく、肺がんの知識経験も不足しているようで、この程度の陰影では癌とは言い切れない経過を見ましょうと返事が返ってきたことが一方ならずあったとのことだ。一例などは揚句の果てに手術できたのは十か月後で、その一年半後には転移が見つかってしまった。他の一例は抗がん剤治療となり、結局亡くなってしまった。O先生は外科医だったため、手術すれば根治出来たのではという思いがにじみ出ていた。抗議の手紙にはくどくどと言い訳がつづられていたようだ。
所謂GGOの扱いは、漸くコンセンサスができつつある病変で微妙なところはあるが、十分な意思疎通が成立しなかったのは遺憾だ。
O先生は外科医でいかつい顔の割には人見知りがあるようで、私なら病院に出向いて差しで話をしたのにと思った。顔見知りであればこうしたことはある程度避けられたように思う。しかしながら総合病院の見解が上位という感覚の壁は簡単には破れない。対等に話せるまでには嫌な思いを受け流す術も必要だ。最善の方法ではないかもしれないが、院長に直接話すのは効果的だ。院長というのは経験や年齢を考慮する大人で我々を対等、時に先輩として大切に扱ってくれる。